2003年1月20日

まちを元気にする地域通貨

筑西広域圏で導入模索

 お互いさま―。かつて地域で自然に行われていた「助け・助けられる」関係を世知辛い現代によみがえらせる魔法のお金がある。「地域通貨」と呼ばれるシステムだ。真心や信頼、愛情など、日常使っているお金(=円)では買えない地域の助け合いを「金額」に換算することで、コミュニティー(地域社会)を発展させる手段として注目されている。これを下館市や結城市など筑西広域圏内にも導入しようと、「NPO(民間非営利団体)プラザ・ねこねっと」(今藤泰資代表)が取り組む地域通貨講習会(全三回シリーズ)が始まった。同会での講演を手掛かりに、話題の地域通貨について考えた。
 ▽予想以上の参加者
 「せっかくなので、最後に『アミーゴ!』と言って、お互い握手して終わりましょう」。十七日夜の「地域通貨講習会」第一回会合。参加者は照れながらも、締めくくりに隣同士で握手して散会した。
 この日、講師を務めた経済評論家、森野栄一氏は「地域通貨は『ありがとう』の気持ちを形にしたもの。助け合いの輪を広げるのが目的」と助言。感謝の気持ちを互いに地域通貨流の態度と言葉で表すよう促した。
 子供じみた感謝の演技のようだが、「アミーゴ!」は千葉県の地域通貨「ピーナッツ」の会員らが、実際にピーナッツを使った際、取引終了時に握手をしながら励行しているあいさつだという。
 ピーナッツの会員でもある森野氏は、地域通貨の基本を「人間関係の作り直し。心に負担がなく、お互いが貸し借りのできる、仲のいい関係になろうということ。暮らして楽しい地域づくり」と力説した。
 講習会には、県西地域を中心に行政や企業、商店、市民団体、学生、大学教授ら幅広い立場から百人を超える参加者があった。「予想以上の参加者に驚いた」と今藤代表。NPOや地域通貨に対する期待と関心を裏付けた。
 地域通貨の導入に意欲的な下館市が全面的にバックアップ。同市の「魅力あるまちづくり提案事業」の助成対象となり、地元の商店街関係者が参加しやすいようにとの配慮から、夜の時間帯に設定された。
 講演は、地域通貨に詳しい森野氏が、全国的に話題を集めている背景や実際の取り組み状況を解説。後半で、ピーナッツを実践しているNPO法人「千葉まちづくりサポートセンター」運営委員の原田正隆氏が報告した。
 原田氏は、はがき大の大福帳を示し、通帳方式を採用しているピーナッツの特徴や仕組みを解説。会員は六百五十人。地元商店会三十五店のうち二十二店が会員になっているという。
 使い方は、例えば会員の飲食店が千円でサービスを提供すると、店側は大福帳に五十ピーナッツを記入、反対に客は支払い欄にマイナス五十ピーナツを記入、互いの通帳を交換してそれぞれサインする。また、戻して「アミーゴ」といって握手し、取引完了となる。
 ▽ブームの背景
 森野氏によれば、日本にはNPOや地域通貨の伝統は昔からあった。「講(こう)」や「結(ゆい)」などの相互扶助。講をつくって伊勢参りに村の代表を送り、屋根のふき替えは結で互いに労働力(=手間)を提供し合った。
 こうした助け合いは半面で、束縛された不自由な人間関係が伴った。プライバシーや権利意識が高まり、「水くさい」程度の関係がちょうどよいとされる現代社会では、そのままでは反発を招く。
 一方で、長引く不況と豊かさへの幻想が崩れると、殺伐とした事件など社会の崩壊現象が目立っている。「何でも金に換算できる」と思い込んだ反省から、今では「金では得られない気持ち」に関心が傾いている。
 森野氏は昔から商売の基本にあった儒教的な教えを引用し、「かつての講や結のよさを受け継ぎながら、現代に合うように風通しのいい仕組みにしたのが地域通貨」と説明する。もちろん地域通貨は万能ではない。
 お金が取り持つ「貸し借りなし」のサバサバした人間関係の発想と、「気持ちに対しては気持ちで返す」地域通貨のよさを取り入れ、ほどよい人間関係と地域コミュニティーを再生させる試みといえそうだ。
 ▽地元でも動き
 子供じみた取り組みのようだが、今藤代表は「疲弊した地域コミュニティーや中心商店街の再生に、無視できないツール(手法)」と強調。やや性格は異なるが、下館市内の一部商店会ではエコマネーの導入が研究されている。
 同市では懸案だった中心市街地活性化の切り札、地域交流センター・市立美術館が今年オープンする。国の合同庁舎(ミニ官庁街)のシビックコア地区整備や県道稲荷町線の拡張などにも期待が集まる
 一方で大型店の撤退が相次ぐだけに、今藤代表は「市や企業、商工会、商工会議所など既存の組織だけでは、もはや地域活性化の役割は果たせなくなっている。NPOや、ソフトとしての地域通貨の果たす役割は、ますます大きくなる」と予言する。

玉造町長に新人の坂本氏

接戦で現職ら退け初当選

 任期満了に伴う玉造町長選は十九日、町内十五カ所で投票が行われ、同夜七時から町中央公民館で即日開票の結果、前町議で団体役員の新人、坂本俊彦氏が、現職で三選を目指した成島忠行氏、 前町議で会社役員の新人、山口律理氏を破り、初当選を果たした。当日有権者数は一万千九十五人、投票率は84・61%だった。
 同町長選は、二期八年間の成島町政への評価とともに、合併問題への取り組みが大きな争点だった。合併特例法期限(二〇〇五年三月)内に合併が実現すれば、当選後の任期は約二年二カ月。町政の締めくくりと、将来ビジョンに向かっての筋道をつける任期となる。
 町長選初挑戦で初当選した坂本氏は、行方郡での広域行政の実績を尊重新し、郡のまとまりを第一にした発展的な合併推進を訴えた。
 また、三選を目指した成島氏、連続三度目の挑戦となった山口氏は涙をのんだ。

総和の転落死で組員ら2人逮捕

交通上のトラブルで突き落とす

 総和町水海の新利根川橋(国道4号バイパス)下で九日早朝、三和町仁連、会社員、片倉勉さんが頭から血を流して死んでいるのが見つかった事件で、境署と古河署の合同捜査班、県警捜査一課は十九日、三和町諸川、住吉会系暴力団組員で運送業、倉持勝之、同町谷貝、無職、鈴木清次両容疑者を傷害致死と器物損壊の疑いで逮捕した。
 調べによると、倉持、鈴木両容疑者は九日午前三時すぎ、境町横塚の町道で、対向して来た片倉さんのトラックとすれ違った際、片倉さんがライトを上向きにしたままだったことに腹を立て、ワンボックスカーを運転していた倉持容疑者が車をUターンさせてトラックを追走。同二十ごろ、新利根川橋上り車線で、片倉さんのトラックの前に車を回り込ませて停止させ、外に出て片倉さんに詰め寄った。
 両容疑者は片倉さんのトラックの方向指示器を蹴り上げ、運転台の屋根に上がるなどして暴れ、「出て来い」「けんかを売っているのか」 などと脅した。片倉さんは身の危険を感じトラックを降りて逃走。約二百八十メートル離れた場所で、 約十二メートル下のアスファルトに誤って転落し、死亡した。
 両容疑者は、トラックを壊して片倉さんを脅したことについては認めているものの、逃げた片倉さんを追いかけてはおらず、転落したところも見ていないという。二人はその後、現場を立ち去ってから車で戻ったが片倉さんの姿は確認できず、片倉さんの死亡は、新聞報道などで知ったと供述しているという。

学習ノート集め展示会〜水戸

授業改善の貴重な資料にも

 学校教育の充実を図る一環として、水戸市内のすべての市立小中学校から、児童、生徒らが授業中に書き込んだ学習ノートを一堂に集めたユニークな展示会が、同市笠原町の市総合教育研究所(土門能夫所長)で開かれている。同研究所では「ノートを通して児童生徒の思考過程や理解度をつかむことが出来るほか、教員にとっても授業改善の貴重な資料にもなる」とし、学校関係者のほか、一般にも広く公開している。二十五日まで。
 同研究所では今年度の授業改善の施策の一つとして、各学校に対してノート指導の充実を提案。同展示会には、小学校三十一校と中学校十五校の市内全市立学校から提出された学習ノート計二百六十一冊を展示している。
 各学校独自に「創意工夫された優れたノート」を選考し、一校あたり三〜六冊提出。昨年四月から始まった総合的学習の時間を含め、すべての授業を網羅している。
 展示されたノートには、書き込んだ児童や生徒自身の感想と、指導教員の講評が一緒に添付されている。ある歴史上の人物に関する年表をきめ細かく書き込み、イラストも入れた小学六年の男子児童は、「どんどん学習するうちに書くことが増え興味も広がった」と授業の感想を書いた。これに対して担当教諭からは、「興味を持った事柄について、さまざまな資料を用いて調べ、細かくノートに記している。自分の感想も丁寧に書かれ、学習の足跡がしっかり残っています」との講評もあった。
このほか、創意工夫して、カラーのイラストや写真、図表を使って、分かりやすく書き込んでいるものもあり、ノートを通して児童らが積極的に授業を受けている様子がうかがえる。

ハンセン病患者の人権回復を

笠間で理解求める展示会開催

 今年こそ「おかえりなさい」の声を出そう!。ハンセン病問題について理解を深め、人権を考えようと、「ハンセン病療養所―過去・現在・未来―人権回復、ふるさとへの道を願って」と題する展示会(全国障害者問題研究会茨城支部主催)が、笠間市笠間の喫茶ギャラリー・せらぃで開かれている。約一世紀にわたり、人間としての尊厳と人権を奪われたハンセン病患者・回復者の帰郷への道程が、少しでも開かれることを願い、企画された。二十一日まで。
 同支部は一九九九年に「ぼくのおじさんは、ハンセン病」を出版。東京都東村山市のハンセン病療養施設「多磨全生園」で暮らす、茨城県出身のハンセン病回復者、平沢保治さんを主人公に、ハンセン病の歴史を子供たちに知ってもらおうと、平沢さんと県立水戸飯富養護学校教諭の船橋秀彦さんが共著者となり、自伝風の童話作品にまとめた。
 平沢さんは、十四歳で多磨全生園に入園。戦後はハンセン病患者・回復者の運動、地域の障害者運動にかかわってきた。らい予防下の過酷な現実を生き抜いた一人として、いのちの尊厳をテーマに自らを「語り部」として、全国の学校や医療、福祉施設などで熱心に講演活動をしている。
 早くからカミングアウト(実名公表)して活動してきたが、募る故郷への郷愁とは裏腹に、平沢さんは「いまだ兄弟や親戚への影響を考えると故郷に戻ること難しい」と述べ、帰郷に踏み切れずにいる。平沢さんらの人間性回復には、依然として故郷の重い課題が障壁になっているためだ。法的・制度的な救済措置とは別に、一世紀に及ぶ歴史によって形成された誤解と偏見、差別意識は今も故郷の人たちの強固な無意識として残っている。
 そのため、同支部では昨年、「ぼくの―」の増補改訂版を出版したのを記念し、「ふるさと茨城へお帰りなさい」の意味を込め、同展示会を企画した。年表や写真、関連書籍などを展示しているほか、「ぼくの―」のイラスト原画も展示している。

−過去の紙面へ−
−HOME−

headlinenews