
西金砂神社(金砂郷町)と、東金砂神社(水府村)主催で、七十二年に一度の開かれる祭事、「第十七回磯出大祭礼」が、二十二日から十日間の予定ではじまった。二町村のほか、常陸太田市、日立市、山方町の計五市町村で三十一日まで、「みこし」を担いだ行列が、「ご神体」を浄める水木浜(日立市)まで、往復約八十キロを練り歩く。同日は、金砂郷町上宮河内の西金砂神社から、古式ゆかしい装束の氏子ら約五百人が、「みこし」をかつぎながら山越え。見物人らから歓声が上がった。
大祭礼は、五穀豊穣や浜大漁を祈願する祭りながら、米国のイラク攻撃など、世界情勢が緊迫している中での開催。西金砂神社磯出大祭礼実行委員長、秋山清市さんは、「天下泰平という、戦争を無くし、平和への願いを込めて大祭礼に臨みたい」などと話した。
行列に先立ち午前中、西金砂神社の拝殿では出社祭が行われ、お払いや二つのみこしを浄める神事などが執り行われた。平安時代初期の八五一年(仁寿元年)から、千百五十二年も続いているとされる大祭礼は、その長い歴史の中で今回初めて、一回り小さいみこし(重さ約六十五キロ)を制作した。
従来のみこしは、長さ約六メートルの担ぎ棒を含めると重量は約一トン近くになるため、険しい山道では転落などの事故が起きていた。行列の参加者の高齢化などを配慮し、山越えのみに小さなみこしを使うことになった。そのため出社祭では、拝殿前に用意された二つのみこしに、それぞれご神体を入れる珍しい場面が見られた。
その後、神社下の広場に平安時代や、江戸時代の衣装をまとった約五百人が隊列を組み、神職や刀を抱えた飛脚を先頭に出発。七頭の馬も隊列に加わり、長さ約一キロにわたり時代絵巻を見事に再現。沿道の両側には、見物人の群衆で埋め尽くされ、カメラやビデオ撮影を片手に、七十二年ぶりの祭りに見入っていた。
秋山さんは、「三年十カ月にわたり、八十一人の実行委員で準備を進めてきた。いよいよ今日が出陣。先人が、一千百五十年間にわたり、続けたきたこの祭りを、次回二〇七五年に引き継ぐため、今回も立派な祭礼にしたい」と話していた。
過去にも、第十四回の一七八七(天明七)年は、「天明の大飢饉」があり、第十五回の一八六二(文久二)年は、「安政の大獄」で国内が混乱、開催が三年遅れた。前回の一九三一(昭和六)年は、満州事変が起きている。今回も、米イラク戦争開戦時の開催に、秋山さんは「巡り合わせというのが七十二年にはあるのかな」とつぶやいた。
笠間市福田で整備中の廃棄物公共処分場、「エコフロンティアかさま」の工事や、施設が稼働させた際の環境対策、モニタリングなどを話し合う「エコフロンティアかさま環境保全委員会」(委員長、田村武夫・茨城大教授)の第二回会合が二十二日、同市石井の市役所で行われた。
会合では、昨年九月での初会合で出された意見などの対応や、昨年度の環境モニタリングの結果報告、保全地の対策、周辺井戸の水位調査や、岩盤調査の結果などが報告された。
質疑応答では、傍聴席の市民からも、文書で質問を受けたが、時間がなくなった上に、質問文書の説明したい―とする反対派と、時間に縛られた委員会が対立。反対派が「委員は質問に答えろ」と詰め寄る場面も。
田村委員長は「建設をこのまま進めていけば問題点はないだろう」と強調し、県環境保全事業団の替地享二事務局長は「事業団としては会合で出た意見を採り上げていきたい」と話した。
山方町で二十二日、県内唯一の「分校」が歴史に幕を閉じた。この日、閉校式を行ったのは、同町立山方小の舟生分校。今年で創立百三十年を迎える。当初は舟生小学校として、町内でもっとも早く開校し、学校統合で分校となって、今日まで地域の教育拠点だったが、過疎化と少子化で児童が減り続け、ついには長い歴史に幕を閉じることに。児童や父母、OBらは寂しさを隠し切れない様子だった。
閉校式には、三次真一郎町長や、山方小学校の成田實校長、職員や在校生、卒業生、PTA、地域住民など約二百人が参加。閉校を惜しむとともに、新小学校の将来に分校の歴史を託した。
今年で、創立百三十年を迎える同分校。学制発布の年である一八七二年に、「舟生小学校」として、現山方町内ではもっとも早く開校した。翌年、山方小学校が設立されると、統合で同校の分校となるが、七七年から八七年には、再び「舟生小学校」として独立、その後また分校となり現在にいたる。
一九五四年から五七年の間は、四年生までの児童も百三十五人に増加。学校もにぎわいをみせていたが、しだいに地域の過疎化と少子化が進み、二〇〇一年には十五人まで激減した。今回、町内の学校再編成により、同分校の児童は新しい山方小に通学することに。
式で、三次町長が「この分校も少子化の波により、地域が一体となって母校を守り立ててきた思い出を残して消えてしまう。しかし、本校の伝統を継承しながら、二十一世紀の新時代を盛りたててもらいたい」とあいさつ。成田校長も「分校の歴史を閉じるのは感慨深いが、子どもたちには共同作業と、切磋琢磨の精神を学んでもらいたい」と話していた。
山方小PTAの鈴木浩之舟生支部長は、「卒業生として分校がなくなるのは寂しいが、児童のことを考えると仕方がない。たくさんの友達を作って団体生活になじみながらも、舟生の地区を愛し、他の地区には負けないという意気込みでがんばってもらいたい」と児童らにエール。児童らは「寂しいけど、新しい学校でがんばります」と全員で元気に答えていた。
式に参加した四年生の鈴木悠太くんは「みんなで本校にバスに乗って行けるのは楽しいが、学校がなくなってしまうのは悲しい」。分校近くの卒業生、木村あや子さんは、「畑仕事をしていると毎朝、子どもたちからあいさつがあった。元気な声が聞こえなくなってしまうのは寂しい」と話していた。
式の後、分校閉校を惜しむ会が開かれ、舟生分校の歩みを紹介した映像には、会場から当時を懐かしむ声が聞こえていた。
同町では、過疎化と少子化が急速に進行。一九六〇年度に、約二千二百人いた小学校児童が、二〇〇二年度には四百十六人に。対策として今春、小学校の再編成が行われる。三月中に、分校を含む小学校八校が閉校し、四月から山方小と山方南小を開校する。再編に伴い、岩井市立七郷小学校筵打分校の閉校以来、県内に唯一残っていた舟生分校も閉校し、県内から分校が姿を消すこととなった。
つくば市内で、住民が自らハイキングコースを整備―。自然や歴史の宝庫である小田を、より広く知ってもらおうと、市内小田東部区(本川福一郎区長)で二十二日、宝篋(ほうきょう)山ハイキングコース整備作業が行われ、地域住民のほか藤沢順一市長、地元の橋本喜美子市議ら約三十人が参加した。
地域へのスポーツ公園誘致の一環として始まったハイキングコース作りは、住民の間で予想以上の盛り上がりを見せ、これまで二回にわたって整備作業を実施。藤沢市長は作業開始に当たり「学園都市だけがつくばではない。周辺の自然に目を向けた地域づくりに感謝する」とあいさつ、地域住民が主役の活動に期待を寄せた。
参加者は二組に分かれると、早速コースの上と下から作業を開始。コースは三十―四十年ほど人の手が入らなかった里道のため、シノやササの生い茂る中、草刈り機で少しずつ道を切り開いていった。
この日参加した瀬尾脩さんは、「頂上の宝篋印塔から眺める景色はとても素晴らしく、コースの目玉」と話し、区長の本川さんは「ハイキングコース作りで地域が一つにまとまった」と、これまでの整備作業を振り返った。
宝篋山ハイキングコースは、小田の常願寺をスタートして、小田城跡、小田遺跡、宝篋山(通称小田山)などを巡る約十キロのコース。史跡や自然に親しみながら、山頂の宝篋印塔を目指す。
橋本市議は「五月の連休明けには開通のお披露目式も予定している。市内外から多くの人が集まる、楽しい場所になれば」と話していた。
春の訪れとともに咲くスイセン―。ひたちなか市馬渡の国営ひたち海浜公園で二十二日、恒例の「スイセンファンタジー」がはじまった。那珂湊観光協会、勝田観光協会が主催。この日は、日中の最高気温七・四度で、平年に比べ五度も低く、冬を思わせるあいにくの寒さだったが、早咲きのスイセンを一目見ようと、大勢の家族連れなどが訪れた。会期は四月十三日まで。
スイセンファンタジーは、国内の都市公園最大規模のスイセンの祭典。同海浜公園西口側の翼のゲートから、約三分のところにある約一万一千平方メートルの広大なスイセンガーデンには、世界各国から集めた二百五十二種百万本のスイセンが。花を咲かせると、香気が敷地内いっぱいに広がり、開花ピーク時は黄や白色の花じゅうたんのよう。
この日は、オープニングセレモニーが行われ、地元の本間源基市長が「海浜公園のスイセンは日本一と聞く。市の観光の目玉として、大いに期待している」とあいさつ。常陸海浜公園工事事務所の脇坂隆一・調査設計課長や、本間市長ら関係者が記念のテープカットを行い幕が開けた。
現在、スイセンの花を咲かせているのは早咲きの「フェブラリーゴールド」、「テタテート」などで、来園者たちの目を楽しませていた。また、咲いているスイセンを自分のカメラに納めたり、来園の思い出にしようと咲かせているスイセンをバックに記念撮影をする姿も数多く見られた。
公園管理センターによると、スイセンの開花は例年並みで、見ごろは三月末ごろ四月上旬になるという。期間中は「花のある暮らし塾」と題した特設のブースで絵手紙教室などをはじめ、記念の森レストハウスでははなの万華鏡やスイセンキャンドルなどものづくり教室が開かれるほか、様々なイベントが催される。なお、昨年の同イベント期間中、約十万人が海浜公園を訪れている。
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