2004年2月2日
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| ●Roadto甲子園−土浦湖北高校1 |
| 初代監督の木口邦夫氏 |
| 昨秋の関東大会で優勝し、堂々の成績で初の選抜出場を成し遂げた土浦湖北。本県勢のチームが選抜に選出されたのは七年連続で、その間に一九九九年に水戸商が準優勝、県内から三校トリプル出場の二〇〇一年には、常総学院が優勝するなど、本県の高校野球レベルは全国トップクラスにある。関東を制した土浦湖北ナインも、次なる目標は「全国制覇」だ。しかし公立高校としてセンバツをつかむまでの道のりは険しかった。甲子園出場を契機に、二十一年間の野球部が歩んできた歴史やチームを支えてきた人物にスポットを当ててみた。 ◆創部発足時に部員40人殺到 土浦湖北が開校した一九八三年は生徒数の増加を見込んで、県内では守谷、竜ケ崎南、藤代紫水、私立・常総学院の新設校が次々に誕生、翌八四年には竜ケ崎南が開校するなど、新設校ラッシュの時期だった。 「文武両道」をモットーに学校設立と同時に野球部も発足し、四十人の新一年生が殺到した。「土浦湖北の野球部の歴史の中で、これだけの部員が一学年で集まったのは最初で最後でしょうね」と話すのが、初代監督の木口邦夫氏。 母校は岩瀬。高校球児で、内野手としてプレーした。当時、選抜に出場しノーヒット・ノーランを達成した鉾田一の左腕・戸田投手が活躍するなど、まさに高校野球全盛の時代だった。 英語教師として着任したが、高校球児でもあったため「高校野球の監督はあこがれでしたね」(木口氏)。真っさらな環境の下、自分の野球スタイルで自由に取り組むことになった。 本職の教員と野球部監督を両立させるため無我夢中の学校生活となったが、木口氏は選手を指導するうちに「プレーが上達する子供は、おのずと勉強の方も自然に伸びる傾向にありましたね」と回顧。練習にも力が入った。 ◆初ゲームは強豪・鉾田一戦、0―1と善戦 創部した最初の年は、チームが整わず夏の大会は出場しなかったが、夏休みの八月に初めての練習試合が実現した。 その相手は名将・天野清二氏が率いる鉾田一。産声を上げたばかりのチームだったが、夏の県大会ベスト8まで勝ち進んだ強豪相手に、互角の試合を演じた。 結果は0―1のサヨナラ負けだったが、木口氏は「練習試合ながら、私にとっては初めての試合。公式戦みたいな感じでした。今でも練習試合を快く受けてくれた天野先生に感謝してます。また一年生のチームがよく頑張ってくれました」。 初の公式戦はその年の秋の県南地区予選。翌八四年春の県南地区予選で竜ケ崎二を2―0で破ったのが、公式戦初勝利だった。 実は木口氏の在任五年間は、夏の県大会で一度も初戦敗退はなかった。しかし「逆に言えば二回戦までしか勝てなかった」と反省する。 ◆立ちはだかる夏の3回戦の壁 木口氏が最も印象に残った公式戦は八七年(第69回大会)夏の県大会三回戦。相手はまたしても鉾田一。 ゲームは延長十回の接戦となり、延長十回の攻撃で一死一、三塁のチャンスが巡ってきた。木口氏は最初はバッターにすべてを託すはずだったが、カウント2―2になってからスクイズのサインを出した。しかしスクイズはファールボールとなりアウトに。後続も凡退し逆転できず、その裏に相手に1点を許し、またしてもサヨナラ負けに終わった。 木口氏は「三回戦の壁は本当に厚かったですね。本当はそんな壁を感じちゃいけないんでしょうがね」と振り返る。野球の1点の重さも同時に痛感した。 チームの基礎作りにまい進した後、偶然にもその後の異動先は鉾田一となり、天野氏の下で三年間コーチを務めた。木口氏は「夏の大会になると、チーム全体が甲子園に出場するような独特な雰囲気に包まれていました」と、天野野球をそう表現する。 現在、土浦湖北よりも遅れて、八七年に創部された中央でさい配をふるっている。ここでは三年連続して三回戦止まり。「チーム最高の四回戦が目標ですが、どんな大会でも準々決勝や準決勝、そして決勝と『決勝』と名の付くところまでチームを持っていきたい」 |
| ●本宮ロードパークが完成 |
| 太平洋望むドライバーの憩いの場 |
| 太平洋を望みながら走る日立市のシーサイドウェー、「日立バイパス」に、本宮ロードパークが完成し、ドライバーたちの憩いの場になっている。 同バイパスは、北部海岸線の田尻町からJR日立駅海岸口付近の旭町まで、四・七キロを結ぶ「海中橋」。このうち、昨年五月には同市東町の鶴首アクセスまで、暫定二車線で供用を開始した。 ロードパークは、鶴首アクセス北側の海岸線に設けられ、面積は約三千平方メートル。歩車道境界ブロックのほか、ガードレール、フェンスなどの防護柵を整備。大型車二台、乗用車八台が駐車できる。 テーブル付きのあずまやが二基、ベンチ四基も設けられ、すべて海側を向いていることから、日の出や海岸線の景勝を楽しめる絶好のポイント。 すでに先月二十九日からオープンしており、同バイパスの新名所としてドライバーたちに人気を集めている。 |
| ●研究成果一堂に |
| 3つのイベント同時開催−つくば |
| つくばの研究機関の研究成果を一堂に紹介した「つくばテクノロジー・ショーケース」(つくばサイエンス・アカデミー主催)と、「技術交流inつくば2004」(筑波研究学園都市研究機関等連絡協議会主催)、「いばらきベンチャーマーケット」(県、県中小企業振興公社主催)の三つのイベントがこのほど、つくば国際会議場で同時開催された。会場には約八百人の研究者や企業関係者などが訪れ、ベンチャービジネスに結び付くかどうかなどを見極めながら、ポスター発表などを熱心に見入っていた。 「テクノロジー・ショーケース」は今年で三回目。「遺伝子工学における分子操作技術」「注射で軟骨を再生する材料」「超音波尿意センサー」など、生命科学、農業、物質・材料、防災の幅広い分野で、ベンチャービジネスの種となりそうな百四十四の研究成果がポスター発表された。 前回、二〇〇三年の参加者の追跡調査によると、その後の成果について「共同研究者が見付かった」「企業から製品化申し込みがあった」「ユーザーの意見、要望を直接聞くことができる」などの意見が寄せられ、七人から「成果がある」、十人から「成果が生まれつつある」と回答があったという。 同時開催された「技術交流」では、実用化間近の癒やしロボット「パロ」=本紙三十一日一面既報=をテーマに、講演会とパネルディスカッションを開催。 「いばらきベンチャーマケット」では、新産業創出で将来が有望視される大学院生や若手研究者などのベンチャー起業家五人が表彰された。 なお、受賞者は次の通り。(敬称略) ▽最優秀賞=粕谷健志(茨城大学大学院理工学研究科)「ナノ複合表面改質による提案設計開発型企業の実現」▽優秀賞=市橋史行(筑波大学大学院システム情報工学研究科)「血栓モニターを中核としたメディケア・ネットワークビジネス」、星野厚(筑波大学第三学群工学基礎学類)「『かんたんスタジオ』インターネットラジオ・TV放送システム」▽奨励賞=田村弘「常陸コミュニティ放送局」、長谷川ひとみ「モバイルポイントカードを媒体としたマーケティング・データベース」 |
| ●中学生が研究発表 |
| 市内の遺跡などテーマに |
| 教科書で触れられない、郷土の文化財や歴史について学んでもらおうと、石岡市教育委員会が中学生を対象に毎年開催している「石岡市文化財教室」の研究発表会が一日、同市東石岡の市東地区公民館で開かれ、市内の中学生らは地元に残る遺跡や古墳をテーマに、半年間重ねた研究成果を発表した。 この研究教室は今回で二十六回目。市教育委員会が毎年六月に開講する。市内の史跡や県内外の博物館、資料館を訪れるほか、土器や勾玉(まがたま)づくり体験など七講座を実施。この中で、学校ごとに研究テーマを決定し、講座最終回に発表を行う。 同日は石岡、府中、城南、国府の市内四中学校の一年生から三年生二十八人が参加。城南中は「縄文時代の生活」を題材に発表。インターネットや市内に残される資料などを参考に、土器や石器について紹介した。 同中一年の三城眞紀さんは「勾玉」について解説。縄文時代に祖型が誕生し、古墳時代には古墳の副葬品、権力者の首飾りとして使用。現在ではキーホルダー、ブックマーカーなどに使用され、インターネット上などで販売されるなど、各時代におけるとらえ方の変遷を紹介、「勾玉の美しさ、神秘性は時代を超えて人を引き付けている。もっと詳しく調べたい」と話した。 国府中は、市内の舟塚山古墳に焦点を当て、全長百八十六メートルは東日本の古墳で二番目の大きさで、五世紀半ば、地元の権力者の墓として作られたことなどを発表した。 講評で、三村小の桜井二郎教頭は「文化財や歴史の調査は、地元への愛着と理解を深めるきっかけとなる。その好奇心を大切にしてほしい」と語った。 |
| ●オオハクチョウが飛来 |
| 美野里の池花池で越冬 |
| 美野里町部室の池花池に今年もオオハクチョウが飛来し、現在、二十羽ほどが羽を休めている。県道石岡常北線(通称、石塚街道)沿いにあり、毎年、オオハクチョウが訪れて越冬する隠れた名所だ。地域の人々の努力や周囲に高圧線などの障害もない環境が幸いし、飛来地となった。 昨冬は最多で四十羽が訪れ、この池で長旅の疲れを癒した。今年も既に二十羽ほどになり、カモも交じって真冬のにぎわいを見せており、地域の人々の、心のオアシスにもなっている。 自然愛好家や専門家の関心も集めており、ホームページでの紹介も多数。合併後、新市のまちづくりの中で、新たな地域資源として期待も高い。オオハクチョウ飛来地として、一帯の自然保護と環境整備を含めた整備が求められている。 |
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