2004年3月7日
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| ●かや文化を見直そう |
| 茨城茅舎の会、広がるネットワーク |
| 県内の国指定重要文化財・史跡の所有者や一般市民が会員となって運営されている
「茨城茅舎(ほうしゃ)の会」(照沼信邦会長)
が創立されたのは一九九六年。同会は二月十四日、
水戸市三の丸の県立図書館視聴覚ホールで「茅
(かや)ぶき文化の生活」をテーマに初めてのフォーラムを開催した。
縄文時代から連綿と続いてきたかやぶきの家は、
人々の生活の源でもある。その、かや文化を見直すとともに、
かやぶき民家が文化財保護の指定を受けている所有者の悩みや問題点を探ろうというもので、
関係者など約百八十人が参加して、熱心に講演やパネルディスカッションを行った。
同会は民家所有者の協力が不可欠。所有者の高齢化や茅場の減少、
かやで職人の不足などさまざまな問題を抱えている。 ◆茅舎の会 「茨城茅舎の会」の前身となる「茅舎の会」 は一九七六年に、文化財指定を受けた八郷町の羽生家住宅の羽生元信さんが、 同じ指定を受けた所有者に呼び掛け七八年に発足した。 趣旨は、「県下の重文指定民家所有者相互の親ぼくを深め、 指定民家の保存修理管理に関しての情報交換。 また、他県の重文指定の民家を訪ねて維持管理を学び、 自宅の維持管理に活かす。さらに、会員の要望事項を文化庁に要望する」 というもの。 ◆一筆啓上 羽生会長は、指定を受け管理棟で生活を強いられた体験を元に、 八〇年から三回にわたって、「一筆啓上仕候文化長官殿」 という要望書を文化庁に提出している。 提出された内容は、(1)かやで職人の育成(2)相続税の全免(3)設計管理費が高い(4)経常的維持管理費の支給―など多岐にわたっている。 この中で、茅舎の会の要望で管理棟建設をやめ、 台所などの設備を認めるなど改善されたのもある。 しかし、会の中心的な役割を担ってきた羽生氏を八五年に失ったことは大きく響いた。 さらに九三年に羽生家が全焼するという不幸な出来事も起きた。 その後、新会長と事務局が中心となって会の存続を図ってきたが、 会員の高齢化に伴い、休眠状態となった。 ◆草の根運動 県南文化の会や佐久良東雄顕彰会の会員で、 文化活動に熱心な黒坂清子さん(霞ケ浦町深谷) が同会の事務局に就任。しばらく動きはなかったが、 黒坂さんは、茅舎の会の再出発を図ろうと奔走。 役員と意志疎通を図りながら「茨城茅舎の会」 と名称を改め会運営を再スタート。会員からアンケートを募るなどして、 今回のフォーラム開催にこぎつけた。 パネルディスカッションに参加したのは、日塔和彦 (文化財建造物保存協議会)、今瀬文也(県民俗学会代表理事)、 一色史彦(建築文化史家)の三氏の専門家のほか、 民家所有者や実際にかやぶきの生活をしている人たちも参加。 かやで職人として現場の状況を把握している人の発言もあり、 茅舎の会発足当時とは明らかに違い、会員のすそ野が広がっている。 かやぶき民家の写真を撮り続けている写真家の柳下征史氏は、 「かやを求めている人はたくさんいる。その人たちのためにも協力したい」 と発言した。 かや文化を見直そうという気運が民家所有者や専門家だけではなく、 一般市民の間からも盛り上がってきており、 その動向と連携が注目される。 ◆今後の展開 照沼会長の照沼家は現在、文化財として未指定だが、 水戸藩の横目庄屋を務めた家柄で、大規模な寄せ棟造りの曲がり屋。 書院は幕末に水戸藩主を迎えるために建てたものとされる。 これまで、文化財の指定を受けず個人の力で、 かやぶきの家を守ってきた同会長は「フォーラムを開催してたくさんの方から応援をいただいた。 保存するにはさまざまな困難が伴う。会員の知恵を出して運営していきたい」 と話しており、新執行部のかじ取りが注目される。 |
| ●高校生の就職サポート |
| マニュアル作成、配布へ−茨城労働局− |
| 茨城労働局はこのほど、民間企業や県、教育関係者の協力を得て、
高校生など若者を対象とした就職サポートマニュアルを作成した。
進学希望者を含む県内の高校二年生約三万二千人に配布する。
雇用失業情勢は依然厳しく、県内の新規高校卒業予定者の内定率は北関東三県で最低の状況。 求人不足はもちろん、企業側から若年求職者の職業意識の低さも指摘されている。 このため在学中からの職業観の形成、意識啓発を目的に、 本県オリジナルの就職活動支援マニュアルを制作した。 茨城若年者就職サポートマニュアル「はばたけ若人」 は、A4判で六十七n。内容は、人生設計の一つとしての職業選択を問いかけることから始まり、 具体的な職業選択、戦略的な企業へのアプローチなどを掲載し、 企業の実態に照らし合わせて就職への近道になる情報を網羅している。 進学者や中途離職の若者が就職に当たって活用できるような内容や、 企業人、社会人としてのマナーに関する情報、 就職後の定着にも配慮した情報も載せている。 また、職業選択の視点を世界にも向け、地球規模で活躍するグローバルな社会人になるためのアドバイスも盛り込まれている。 同労働局では毎年度すべての公立、私立高校の二年生に配布していく考えで、 「高校のロングホームルームなどで使用してもらい、 勤労観、職業観を養う手助けになれば」と期待している。 |
| ●1228人が「サクラ咲く」 |
| 茨大の合格発表、県内志向強まる |
| 茨城大学(水戸市文京二丁目、宮田武雄学長)
で六日、二〇〇四年度入試前期日程の合格発表が行われ、
五学部あわせて千二百二十八人が合格した。
合格者は県内出身者が昨年よりも6・6多い37・7%になり、
経済事情を反映して県内志向が強まったとみられている。
学部別の合格者は人文三百三十九人、教育二百三十三人、 理百三十九人、工A四百二人、同B二十六人、 農八十九人。全体で募集定員よりも30・8%多くなった。 合格者のうち新卒者は78・7%、浪人生21・3%で、 昨年に比べ浪人生の割合が1・0高くなった。 前期日程は募集人員九百三十九人に対し、三・六倍の三千三百九十四人が志願、 三千二百四十九人が受験した。人文学部社会科学科や理学部は個別学力検査を課さず、 共通一次の結果で判定した。 合格発表は水戸、日立、阿見の各キャンパスで行われ、 五学部の合格者の受験番号を掲示した。 水戸キャンパスでは、午後一時に講堂のガラス戸に内側から外に向けて各学部の受験番号が張り出されると、 思わず笑顔がこぼれたり、表情が険しくなる受験生など、 明暗を分けた。合格した受験生はボート部の学生に胴上げの祝福を受けていた。 また、受験番号をデジタルカメラやカメラ付き携帯電話で撮影する人も多かった。 人文学部人文学科に合格した宇都宮市の斉藤弥生さんは 「二次試験ができなかったので心配だったけど、 合格できてうれしい」と喜んでいた。 後期日程は十二日に行われ、四百七人の募集人員に四千三百六十八人が志願している。 |
| ●子孫ら出席、除幕式祝う |
| 新撰組・芹澤鴨、平間重助の顕彰碑建立 |
| 幕末に活躍した新選組の初代筆頭局長、芹澤鴨と、
副長助勤の平間重助の出身地として、まちおこしに取り組む、
玉造町観光協会の新選組まちおこし事業実行委員会
(代表・代々木栄久町商工会長)はこのほど、
二隊士ゆかりの地である証として、顕彰碑を芹澤家の菩提寺の同町芹澤の法眼寺に建立、
これを祝って六日、除幕式が行われた。式には芹澤、
平間両家の子孫をはじめ、坂本俊彦町長、代々木代表、
設立に協力した商工会関係者ら四十人が出席した。
除幕式に先立ち、委員が京都・壬生寺の芹澤の墓から昨年持ち帰った土を顕彰碑の下に埋め、 芹澤のふるさとへの帰還を祝した。 坂本町長や代々木代表らにより除幕が行われ、 碑が姿を現すと、参加者から大きな拍手がわいた。 また同寺の中村英也住職の点眼法要のほか、 玉造町剣友会による夢想神伝流の居合道奉納演舞披露などが行われた。 同顕彰碑は今年一月から、委員会が町民や商工会関係者から費用を募り、 集まった百万円で建立した。碑には、芹澤と平間の誕生から、 新選組への入隊と活躍、そして亡くなるまでの経緯や人物像、 芹澤が詠んだ句などが刻まれている。 代々木代表はあいさつで「新選組にはさまざまな評価があるが、 二十代の若者が日本の将来を真剣に考えた純粋さは素晴らしい。 今だからこそ、その意志を思い起こしたい。 二人の隊士を通じ、町に賑わいが戻ることを期待したい」 と感慨深く語った。 また、芹澤鴨の弟のひ孫に当たる、石岡市国府の芹澤雄二さんが両家子孫を代表してあいさつ。 「このような碑を建ててもらい感謝している。 二隊士には激動の時代に飛び込んだ情熱、志の高さがあった。 そのような人がいたからこそ時代は動いたのだと思う」 と述べ、先祖について「暗殺されず、もっと活躍してほしかった」 ともらした。 |
| ●医療の現状を解説 |
| JA県厚生連、つくばで県農村医学会 |
| JA県厚生連に所属する医師や看護師の技術や意識の向上を目指す第六十三回県農村医学会
(会長・椎貝達夫取手協同病院長)が六日、
つくば市竹園のつくば国際会議場で開かれた。
県厚生連勤務の医師が取り組んでいる症例を解説したほか、
山梨大学医学部第一内科の榎本信幸教授が「C型慢性肝炎の先端的診断と治療」
と題し、記念講演を行った。 同日は県厚生連に所属する水戸協同、土浦協同、 取手協同、高萩協同、茨城西南医療センター、 なめがた地域総合の県内六病院から、医師や看護師、 医療技師ら百六十人が参加。専門分野を越えた、 医療の現状に耳を傾けた。 症例解説では、整形外科、小児科、呼吸器科、 秘尿器科などから二十三人の医師が参加した。 土浦協同病院小児科の渡部誠一医師は「小児救急拠点病院から次へのステップ」 と題し県南地域の小児医療について解説。 昨年十月から県南地域の小児医療拠点病院となった同病院では、 小児科救急外来は広域化、低年齢化が進み、 過去三年間で患者数は一・五倍に増加。渡部医師は小児科医師が不足し、 現場の医師は身体、精神両面で疲弊する状況を訴えた。 また、克服策として、院内研修医の参加、 小児科医師の小児診療以外の仕事の軽減、地域全体の小児科医師が拠点に集まって診療する体制の確立などを提案。 「今だからこそ病院間の連携が必要。問題を克服し、 小児救急センターとして次のステップを目指したい」 と語った。 |
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