2007年3月26日
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| ●バリアフリー発祥の舞台 |
| 31日閉鎖の土浦京成ホテル |
| 31日閉鎖される土浦市川口の土浦京成ホテル―。実は、バリアフリーのノウハウが生まれた場所として関係者によく知られたホテルだ。14年前から、障害者や高齢者の意見や苦情を受け止め、試行錯誤で手作りの改修が試みられてきた。2003年には障害者団体の推薦を受けてバリアフリー推進化功労者表彰で内閣総理大臣賞を受賞。土浦で発祥したバリアフリーのノウハウは現在、各地の旅館やホテルに広がりつつあり、閉鎖後もホテルマンに受け継がれる。 土浦で、手作りのバリアフリーに挑戦してきたのが、本社(千葉市)の技術担当総務部長を務める秋元昭臣さんだ。 秋元さんは全国各地の旅館やホテル、自治体などに、土浦で培ったノウハウを伝授。千葉県では「県旅館ホテル生活衛生同業組合」と協働で、バリアフリー化のノウハウを伝える冊子を作成し普及に努めている。 こつは「自分で考えないで、使う人の意見を取り入れること」と秋元さん。「ハード面の改修はコストをかけないでもできる」と十四年間を振り返る。 きっかけは、社内で犬吠崎京成ホテル(千葉県銚子市)の改修計画が持ち上がったこと。当時、犬吠崎の担当者だった秋元さんは、新しい時代に合わせた改修のコンセプトづくりに悩んでいた。車を運転中、たまたまラジオから流れてきたのが「バリアフリー」という言葉だったという。 当時、ハートビル法が施行される前で、バリアフリーという言葉はまだ一般に知られていなかった。国内のホテルでは、外資系や千室以上ある大規模ホテル以外は、バリアフリールームを設けていなかった。 「これからは高齢者社会になる。バリアフリーしかない」と確信した秋元さんは、障害者のツアーなどに取り組んでいる旅行会社を回って意見を聞くなどして、まず土浦を実験の舞台にして改修を試みた。 一般のホテルは、施設の所有者と経営、維持管理者が別々の場合が多い。京成ホテルは、自社で施設を所有、維持管理していたことから、改修が自由だったためできた、という。 秋元さんは介護機器の展示会が開かれる情報を仕入れては見学に行き、いいところだけを取り入れて改修、利用者の意見を聞いてさらに改良を重ね、五年に一度の大改装時には設計に組み入れるなど、コストを掛けないで挑戦を続けた。 失敗もある。自信をつけたころ、リウマチ患者団体に改修した部屋を見てもらう機会があった。褒めてもらえると期待していたが、患者団体から返ってきた言葉は「病気の知識を全然知らない。ことごとくだめ」という叱責(しっせき)だった。 障害の程度は一人ひとり異なるため、ある障害者にとって良くても、別の障害者にとっては逆に負担を増やすこともある。 秋元さんは、どうしたらいいのか患者の自宅を訪ね、生活上の工夫を見せてもらった。 患者は、ねじったり、曲げたりする動作が困難で、蛇口をひねって水を出すなどの動作が難しかった。 秋元さんは患者の意見を取り入れ、押せば水が出るレバー式の蛇口に交換した。 土浦で成功した試みは、犬吠崎や水戸京成ホテルなど同社の他のホテルに取り入れられた。さらには隣接の京成マリーナ、ボウリング場、土浦京成ボウルにも波及した。 同マリーナは国内百十八カ所あるマリーナのうち、全国で八カ所しかないバリアフリーマリーナの一つ。施設内を車いすで自由に移動でき、障害者用トイレを設置。障害者や高齢者にも楽しんでもらおうと、転覆しにくく操縦が簡単な障害者用ヨット「アクセスディンギー」を導入し。五隻配備している。さらにヨットの乗り降りがしやすいよう、水位の変動に合わせて高さが変わる桟橋を設置。障害者もヨット免許を取得できる。 同マリーナで四人の障害者が免許を取得。免許を取った障害者の間で、ヨットクラブをつくって手すりを付けたヨットを共同購入してはどうかなどの話が持ち上がっているという。 社内では各ホテルにバリアフリー担当者を設け、土浦で生まれたノウハウを普及させた。当初は利用者から苦情が出るたび、各ホテルの担当者から秋元さんに、相談が持ち掛けられ、その度指示を出していたが、現在は個々の担当者が自立できるようになったという。 同社では現在、体の不自由な障害者ばかりでなく、精神障害者や知的障害者、認知症の高齢者にも利用しやすいホテルを目指して研修を続けている最中。 〇三年に内閣総理大臣賞受賞後は、秋元さんが全国各地のホテルや旅館、自治体などに出向いて、土浦で蓄積されたノウハウを伝授している。 |
| ●国際生物学五輪、2009年に筑波大で |
| 世界の高校生が頭脳競う |
| 世界の高校生が頭脳を競う「国際生物学オリンピック」が二〇〇九年、つくば市天王台の筑波大学を会場に開かれそうだ。世界五十カ国以上の高校生約三百人が参加し、試験問題を解いたり、実験に挑戦するなどして生物学の能力を競うコンテストで、七月までに正式決定する。 〇九年の開催予定地だったギリシャが辞退したことから、主催者の強い要請を受けて、「国際生物学オリンピック日本委員会」(委員長・毛利秀雄東京大学名誉教授)が二十二日、日本に招致することを決定した。日本開催が正式決定した場合、筑波大学が会場となるほか、開催準備や大会の運営を中心的に担う。 つくばでは二〇〇九年七月十日から十七日まで八日間の日程で開催、世界各国から高校生三百人と引率教員三百人など計六百人が参加する予定。 「国際科学オリンピック」は一九五九年に数学で開催されたのが始まり。現在、数学、物理、化学、情報、生物学の五種目がある。高校生は各種目とも選抜された各国代表の四人が出場。大学の教養学部程度の試験問題が出題されるという。大会ではレセプションや見学会、講演会なども開かれ、各国の生物学教育の情報交換の場ともなる。 翌年の二〇一〇年には東京で国際化学オリンピックが開催される予定で、同日本委員会は「日本開催を一過性のイベントとするのではなく、わが国の理科教育の革新を目指すムーブメントにしたい」としている。 |
| ●美浦トレセン、来年開場30周年 |
| 観光スポットとしても人気 |
| 美浦トレセンの愛称で親しまれている美浦村のJRA(日本中央競馬会)美浦トレー二ング・センターは、来年四月でちょうど開場三十周年の節目を迎える。競走馬を集中管理するための一大センターとしてスタートし、現在は県内外から多くの人たちが施設の見学に訪れるなど村内の貴重な観光スポットの一つともなっている。競馬会は、年内を通じて多くのイベントを企画し、競馬ファンとの交流に力を入れている。 日本一の規模と設備を持つ美浦のトレセンは、村の財源確保策の一つとして、名物村長として知られた糸賀喜一元村長(故人)時代に誘致され、一九七八年四月に開場。東京ドームの約四十八倍の二百二十三fもの広大な敷地内で、関東地区の競走馬約二千頭の調教が行われている。 週末になると、トレセンから移送された馬が中山競馬場や東京競馬場でファンの大きな声援を受けながら華やかなレースを展開。日ごろの厳しいトレーニングは、晴れの舞台で最高のレースを見せるためのコンディションづくりでもある。 トレセン周辺には住宅団地が整備され、職員や家族約五千人が居住。村の人口が約一万八千人だから、トレセン関係者が約三割を占める計算になる。 土浦ロータリークラブ(鈴木実会長、会員六十八人)のメンバー三十人がこのほど、美浦トレー二ング・センターを視察に訪れた。総務課の藤田卓次さんがまず案内したのが、ファンのための広報スペースとして開館した広報会館四階のターフプラザ。南調教馬場などを一望できる。メンバーのほとんどが初めてのトレセン見学とあって、その広さに驚いていた。 その後、水の中を歩かせて馬の心肺を鍛える競走馬スイミングプール、調教師の高橋裕さんが二十棟を経営するきゅう舎、馬の総合病院ともいえる競走馬診療所などを次々に見て回り、馬事文化を支える人たちのさまざまな息づかいに触れた。 美浦トレセンでは施設見学のほか、馬と触れ合うさまざまな交流会が行われている。毎月第二日曜日には乗馬体験などを行う「馬に親しむ日」、G1レースなど大レースに向けての調教を公開する「調教公開」なども。今月二十一日には、普段は入れないきゅう舎で、調教師や馬と触れ合う「きゅう舎の見学ツアー」を今年初めて実施。募集定員四十人に県内はもとより千葉、埼玉など関東近辺からも多数が応募し、抽選で見学者を選ぶなど好評だった。 来月七日と八日には、花見シーズンに合わせて年一回開催する「愛馬の日」を実施。美浦トレセン名物の千本桜が満開の乗馬苑で、さまざまな馬のアトラクションや乗馬試乗会、馬車試乗会など馬との触れ合いを楽しむ盛りだくさんのイベントが企画されている。 美浦トレセン総務課の松野下泰大総務係長によると、昨年は約一万人がイベントや施設見学などで訪れているという。同係長は「多くの人がトレセンを訪れ、エキサイティングなドラマを繰り広げる競馬場という舞台の裏に、もう一つのドラマが存在するということを理解してもらいたい」と話している。 問い合わせは美浦トレーニング・センター総務課(電話029・885・2002)まで。 |
| ●中高生の霞ケ浦研究会設立 |
| 11校が参加、共同で環境調査など |
| 「中学生と高校生の霞ケ浦研究会」(山口庄平会長)の設立記念式典が二十五日、土浦市沖宿町の県霞ケ浦環境科学センターで小中高校生、関係者など二百五十人が参加して開催され、記念講演や研究発表が行われた。二十一世紀は水の世紀と言われるが、霞ケ浦を取り戻すため、これまでの「学校単位」という考えの垣根を越えた組織で、霞ケ浦についての環境調査、環境保全運動、環境学習を共同で行う。 設立に向け、県立小川高の山口会長は「小さなことからの取り組みだが、真剣に、そして謙虚に始めて行きたい。皆さんの協力を」とあいさつ。来賓の祝辞に続き、土浦日大高、県立潮来高など十一の参加校が紹介された。 記念講演では、元東京大学教授の田淵俊雄氏が「霞ケ浦とその流域に住む私たち」をテーマに、現在の霞ケ浦と流域を取り巻く環境を分かりやすく解説。「調査して事実を明らかにする。考えて学習する。発表して意見交換をする」とアドバイスした。 また、「滋賀の環境教育・環境学習」として、琵琶湖からのメッセージも紹介され、土浦市立上大津東小学校四年生の「土浦市内の水かんきょうマップをつくろう」、県立土浦第二高、県立竹園高の生徒たちによる霞ケ浦の流入河川の調査研究発表が行われた。 ほかの参加校は県立水戸二高、県立並木高、小美玉市立小川北中、つくば市立吾妻中、同市立谷田部中土浦市立土浦二中の各校。 |
| ●労働不足の農家を応援 |
| 牛久市で市民ヘルパー制度 |
| 牛久市は竜ケ崎市農協と協働で、四月から農業ヘルパー制度を導入する。高齢化や労働力不足に悩む農家に対し、市民からヘルパーを募って野菜作りなどを応援する。農家とヘルパーがそれぞれ事前登録。登録農家には市と農協がヘルパー利用料の十分の一を補助する。農業ヘルパー制度の導入は、県内で初めてという。 二〇〇五年の市内の農家総数は専業百六十戸、兼業五百八戸で、農業人口は約二千九百九十人。銘柄産地のスイカやダイコンのほか、ハクサイやトマト、サツマイモ、ラッカセイなどの栽培が盛んだ。しかし、農業人口は一九九五年に比べ、約二千百五十人減少するなど農業を取り巻く環境は年々厳しくなっている。 一方では定年後の第二の人生の生きがいとして、野菜作りを楽しむ市民が増えている。現在、市内には四カ所の市民農園が開設され、全二百区画が埋まっている人気ぶりで、増設が計画されている。 こうした状況から農業ヘルパー制度を導入。登録農家は必要な時、必要な人数を農業ヘルパーから供給されるため、農家にとっては大きな応援になると期待されている。 事務局は市内にある農協営農経済センター内に置かれ、市と農協が農家とヘルパーの登録受付をする。登録農家が台帳からヘルパーを選び、直接交渉で契約する。登録農家一軒に対する市と農協の補助金は、それぞれ上限が一万円ずつになる。 市では「登録農家数よりもヘルパー数が圧倒的に多く、登録しても依頼が来ないことも想定される」とみている。このため、登録ヘルパーを農業経験により、「プチファーマー」から「プロファーマー」までの六段階に区分する。 初心者には市で農地を借り受けてヘルパーの研修農園とし、徐々に市民農園や学校給食の食材生産などに当たってもらう。さらには稲敷地域農業普及センターや生産部会と連携してヘルパーの新規就農につなげていく。最終的には登録農家の応援だけでなく、市農業全体の活性化に役立てたい考えだ。 |
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