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| 雇用問題 | 煙を吐かなくなった煙突 | |
日本加工製紙自己破産から2年 2002年5月29日夜、市街地の活性化策を話し合うための会合に出席していた、岩倉幹良市長の手元に一枚のメモが渡された。就任したばかりの新市長にとって予期せぬ事態が記されていた。表情を変えることなく、紙片を見つめていた岩倉市長は、会合を終えると、その足で工場へと向かった。 「寝耳に水。青天の霹靂(へきれき)。何と表現してよいのか分からない状態だった」。市幹部の一人は、当時の動揺ぶりを話す。 一夜明けた30日午前9時から、部長以上の庁議が開かれ、各部に情報収集の指示が出された。雇用はもちろん、社宅入居者の住宅、税収など想定される問題を洗い出す作業が始まった。 ◇ 東証一部上場企業の中堅製紙会社「日本加工製紙」(本社・東京、資本金約115億円)は、県内で高萩市とひたちなか市に工場を有していた。自己破産による影響は、職を失う同社従業員ばかりでなく、県北地域を中心に、県経済にも大きな影を落とした。 民間調査会社東京商工リサーチ水戸支店によれば、2工場に、輸送や倉庫、メンテナンスなど関係会社など県内で千人規模の従業員が職を失った。同社は県内に根付いていた企業でもあったため、取引業者も多かった。 従業員の構成年齢は45歳未満が41.3%、45歳から54歳が41.8%、55歳から59歳が15.4%で、世帯形成者の割合も高かった。 1954年に創業した高萩工場では、市民の10人に1人が同社と関係がある生活を送っていたとみられていた。国道6号に近接し、高萩市の玄関口とも言える場所に立地していた高萩工場。高い煙突から出る煙は一種、「市のシンボルでもあった」と振り返る市民もいる。 ◇ ひたちなか市の勝田工場は、半年後に同業他社に売却された。高萩工場の立地条件は、製紙業界はもちろん他の業界からも高い評価があった。冷え込んだ県内経済状況ではあったが、新規立地企業への期待もあった。 事実、高萩工場の設備を生かして古紙から再生紙を生産する計画が持ち込まれたが、同時に一般廃棄物処理事業も行うとしたため、市街地での廃棄物処理を行うことに市民が反対の声を上げた。 結局、インドネシア最大級の財団で、世界各国に拠点を持つコングロマリット(複合企業)のシナルマスグループ傘下の日本法人が、2004年1月に買収。工場内の設備を国外に解体搬送することで決着した。同地での製紙業の再開の見通しはなくなった。 「雇用の場、新しい産業が生まれる可能性が非常に厳しい状況になった」と多くの市民が感じている。今では足を止め、煙を吐かなくなった煙突を見上げる人もいない。 |
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