「漠然とした不安」解消
喫煙歴10年でやめたDさん/ライター持つ、今も…

 J・ディーンの喫煙ポーズに魅せられた時代もあると、Dさんは語った
「うわぁっ!」。声にならないうめきを漏らし、Dさんは左胸を押さえ、ベッドから飛び起きた。不整脈だった。「怖かった。でもその後、外をぼんやり見回し、何の危機意識もなく、またたばこに火をつけていた」と、とつとつと表情を変えず、喫煙時代を振り返る。今は吸っていない。

「カシャ、カシャ」。話の最中、Dさんは手に持ったオイルライターの開閉作業を続けている。喫煙時代に露店で買ったという、ジェームス・ディーンのはにかむ表情がプリントされた金メッキのものを、禁煙後もなんとなく持ち歩き、一年が経つ。くせなのだという。

■一口目■
一年前まで東京都世田谷区内のパチンコ店に勤務していた。現在は転職活動中だ。喫煙歴は一九歳からと一般喫煙者より遅めだ。それまでは全くたばこに目を向けたことがなかった。大学一年から同店でアルバイトを続け、卒業後社員へ移行した。パチンコが好きだったわけではないが、支配人をはじめ周囲の人間関係が肌に合った。また、玉が詰まった一箱三、四キロのドル箱を、何度もカウンターに運ぶ単純な反復運動、肉体労働がひたすら純粋な達成感をもたらしてくれた。

Dさんは作家志望だ。十数年続けている創作活動のため、仕事空けの今夜も、机に向かい、ペンをかじる。作品のテーマはさまざまだが、喫煙と自分の関係をつづったものもある。

本格的な喫煙体験は、同店の備品置場でだった。使い古されたパチンコ台や宣伝用のパネル、清掃用具、椅子などが詰め込まれた場所での小休止。仲間のたばこをいたずら心で一本盗み、置かれたライターで火を付け、吸い込んでみる。「ふざけていただけだと思う。そうでないなら、意識することもなかったものに、なぜ手を出したのか、理由づけができない」。その瞬間を振り返り続ける。

強めのものという印象がある。なんとなく心地よかった。二口目では、頭に広がる不自然な快感が「非日常」の扉が開いた。「なぜ今さらこんなことをした?」。こう思った瞬間に、好奇心は後悔と恐れに変わったという。

もうもとには戻れなかった。仕事終了後には、首をかしげながら店内の自販機のボタンを押していた。「喫煙の理由を自問自答しながらも、あの特別な感覚にもっと漂っていたい、そして昔から自分の中に渦巻き、突き上げてくる何かを解決してくれる力になると感じた」と遠くを見つめる。

■たばこと心■
精神面でつまずきを数多く経験している。幼い時から何不自由なく成長したという自負が自身の弱さを否定しつづけ、いつもどこからかやってくる苦しみの理由と、解消方法を探し求めた。中学時代から、手や足へカッターなどによる軽い自傷行為、高校時代の拒食症を経て、大学時代には過食・おう吐を繰り返す。心療内科に通院し、精神安定剤を常用していた時期もある。

周囲のささやかな変化に揺さぶられる心に、平穏を取り戻す手段は「自分に痛みを与えさせ、疲労させる」という方法に集約された。喫煙がこれにあたった。一口目の「快」の後にあるのは怠惰とやりきれなさだった。煙にまどろみ空っぽになる。それでよかった。この無為な感覚こそ求めていたものだった。自身に攻撃を与えなくとも、数センチの巻紙に火を付けさえすれば、過去から未来に続く「漠然とした不安」と「身のほど知らずな欲求と向上心」を焼き尽くしてくれるのだから。

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