−木内野球の夏が終わって− |
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【七月二十二日・県大会四回戦、対岩井戦。打線が上向きになり11安打で12―0で五回コールド勝ち。続く二十三日の準々決勝の相手は東洋大牛久。同校監督は、木内幸男監督が取手二の監督だった時代、初めて甲子園に出場した七七年と七八年に、選手として活躍した大野久氏。元プロ野球選手でもある。最後の夏の大会で、師弟対決が実現。結果は10―0で恩師の木内監督が貫録勝ちした】 ―(準々決勝の)試合を振り返ってどうでしたか。 木内 サインはなしです。ノーサインで、生徒だけの力で勝った。まぁ、(相手が)深く守って非常についていましたよ。深く守ると、前に落ちる。前に出てくると、頭の上に行く。全くの勝ちパターン、ツキもあるのが野球ですから。ヒットの割には点数が入ってしまった、と。 でも、これからが戦いだと思っていまして、磯部五回、飯島二回、仁平二回と、九回だったらそういうローテーションを考えていました。打っていない者が、いくらか打ち始めたので、足並みがそろってきた。打線に切れ目がなくなってきたな、と多少の手応えを感じております。 ―教え子の大野監督との対決でしたが。 木内 試合前にあいさつに来られまして、まだまだ就任して間もない(大野監督は四月に監督就任)ということで、野球の世界はそんなに甘くありませんので、「好きなようにやってみろ」「三年計画でやれ」みたいな話をしました。 よく大野監督の意向が生徒の方に伝達した、と感じました。ただし、ピッチャーを代えたから抑えられる、というレベルには、まだ達していないと思います。 ―大野監督はどんなタイプの監督に見えますか。 木内 まだ分かりませんね、監督さんの性格的なものは。とにかく、どうしたら勝てるかということだけを考えて野球をやっている。おれも若いウチはそうだったけどね。 (東洋大牛久四回の守りで、ボークにより常総学院に得点が入り、大野監督が審判に執ように抗議)ボーク問題は、文句なしのボークでした。ですからあれを長い間、抗議しちゃいけません。プロじゃないんだから。その辺のところを注意しとかないとなぁ、高校野球は審判は絶対であるということを。 いっぺん抗議して、こうですよと説明を受けたら、すいませんでしたという風に終わってほしかった。それだけ、一生懸命だったんですよ。おれも若いうちは引っ込まなかった。今は分かってきて、人のことを言えるけどね。あの時代は引っ込めなかった。 ―選手時代の大野監督はどういう選手でしたか。 木内 頭が良かったが、ちょっと手のかかる子だった。ほんとまぁ、よくここまでやってきたという気がします。いい監督になるだろう。(最後の夏で)もう二度と戦わないからいいや、と思ってますけどね(笑)。 同じ地区の中に教え子がいるというのは嫌なもんなんですよ。これからは高見の見物、下手くそーと言っていればいいんですから、気は楽ですよ(笑)。 |
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