−木内野球の夏が終わって− |
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【七月二十六日の決勝戦。第一シードの常総学院と第二シードで春の選抜出場の藤代という、予想通りの顔触れに。木内幸男監督の県大会最後のゲームは、くしくも自分の後任でもある持丸修一監督が相手。持丸監督にとっても竜ケ崎一時代を含め、長年の県立高校監督として最後のゲームとなった。両監督にとって甲子園出場とともに監督生活でも大きな節目となる決勝戦直前に、それぞれ会見が行われた。ライバルでありながら二人は、野球を通して固いきずなで結ばれている。そこで前半は持丸監督のインタビューを紹介する】 ―対戦する常総学院のチームについて。 持丸 秋はまだ生徒の個人個人の力だけでやっていた。夏になってきのう(二十五日の準決勝)初めて見たが、打線も守りも組織的に良くなっていますね。 ―決勝の相手は木内監督ですが。 持丸 木内さんとは泣いても笑ってもこれが最後でしょう。幾度となく対戦していますが、藤代に移ってから一回だけ決勝で勝った(二〇〇二年秋の県大会決勝10―0で常総学院を下す)のみで、あとは何回も常総に負けてばかり。 そういう意味では、木内さんとの決勝というのは自分の中ではもう捨てられないものになっている。これが最後で、こういう決勝戦で戦えるということは幸せだと思ってます。 ―もっと幸せになるには勝つことですか。 持丸 そうですね(笑)。もっと幸せになるには勝つことですね。 ―木内監督とは最後の戦いになりますが、寂しさはありますか。 持丸 ありますね、やっぱり。茨城県の高校野球は木内さんが作り上げてきたもので、それに「絶対負けないぞ」とみんなやってきた。やっぱり、世代交代じゃないけど寂しいなぁ、という気がしますね。 ―持丸監督にとって木内監督はどんな存在ですか。 持丸 高校で野球の監督をやろうと思って、最初に会ったのが木内監督だった。結局、菅原さん(元竜ケ崎一、前土浦日大監督の菅原進氏)の下を経て、竜ケ崎一で監督をやりましたが、ずうっとね、木内さんの存在というのは選手の時から知り尽くしていた。勝負の上では敵、目の上のたんこぶでしたが、それ以外は「おやじ」みたいな感じだった どういう訳か木内さんの家には監督(竜ケ崎一)になってから、二十代のうちからずいぶん親しくしてもらっていますから。家族も全員知ってますしね。家の中の雰囲気も知ってますしね。困った時もずいぶん助けてもらいましたしね。 ―木内さんから教わった中で一番学んだことは。 持丸 木内さんという人は生徒の扱い方が非常にうまいんでね。勝負に対して、なんて言うんですかね。木内さんは生徒にうまくだまされてね。子供らにだまされたふりをするんですよね、非常にうまいんですよ。 普通の大人なら3点も取られたら、「勝手にやれ、おれなんか知らない」と引っ込んじゃうでしょ。でも生徒をぶん投げてもね、勝てそうになると、また出てくるんですよね。ああいう技というのはなかなかできませんよね。そういうところを生徒を掌握するっていうんですかね。 それと前回の甲子園の時ですよね。子供らと勝って抱き合っている姿を見た時は、「あー、高校野球の監督なんだなぁ」と思いましたね。そうならないといけないんじゃないかなぁ、と思いましたけどね。 |
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