| 夢のまた夢だった甲子園 | |
木内氏と同級生 河合茂さん(71)
木内幸男氏(72)と同級生で、ポジションはキャッチャーだった。草野球程度だったが、先輩の故・島田実氏から「野球部にぜひ入ってくれ」と差し出されたスパイクと引き替えに、土浦一高野球部に入部。 当時のエースは、読売ジャイアンツにテスト入団した柳下満氏。河合茂さん(71)さんは「1試合に10三振を奪うぐらいの好投手で、受ける私も気持ち良かった」と話す。 監督は大川長治氏。 捕手だったため大川氏から個人ノックの本数を数える役目をし、1回につき100本以上をいつも数えていた。二年の秋からは、監督が大川氏から立教大OBの故・市村要氏にバトンタッチとなったが、木内氏が実質的にチームをまとめていた。 木内氏の練習方法について河合さんは、「大川さんから引き継いだ厳しい練習をしていた。それに同級生で左翼を守っていた中島仁平氏と一緒に、練習方法をいつも考えていたようだ」と話す。 練習は日が暮れるまで続けられた。下校時間は遅く、部員はへとへとで空腹状態だった。それを見かねた木内氏は、「おれんちに寄れ」と、学校近くの自宅に河合さんら同級生数人を立ち寄らせ、ふかしイモを振る舞った。 ●懐かしいふかしイモの記憶 当時、木内氏の実家は下駄(げた)屋で、比較的裕福だったため、出されたイモは「六角イモ」と呼ばれる、普段口にできない高級なイモだった。河合さんは「とにかく空きっ腹だったのと、めったに口にできないイモだったので、大変喜びながらほおばりました」と笑顔で語る。 同級生にふかしイモを振る舞うなど、木内氏は高校生の時から部員への気配りを欠かさなかった。そんな木内氏に河合さんは、「野球に対する考えも私たちよりも一段上で、大人びていた」という。 河合さんは卒業後、つくば市内の実家から都内に移り、主に予防医学に関する仕事に就いた。3年前には、仲間とお年寄りの介護専門のNPO法人「宅老所やすらぎ」(本部・つくば市)を立ち上げた。 常総学院が選抜大会で優勝した2001年に、河合さんは仕事の関係で新治村内の老人ホームを訪ねた。その際、施設内で偶然にも、県庁で優勝報告を終えた帰りの木内氏と、木内氏の母親に再会した。 河合さんはごちそうになったふかしイモの話をしたところ、木内氏の母親は鮮明に覚えていた。河合さんは「ありがとうございました」と、約50年ぶりにおいしかったふかしイモのお礼をした。 ●仲間と新幹線ホームで見送り 2年前、つくば市内で開かれた高校の同窓会の会場近くに、約30年前に亡くなった同級生の広瀬隆児氏の実家があった。広瀬氏の父親は、木内氏が常総学院に移る時の県立取手二高の校長だった。 そのため、自宅を訪れて仏壇に線香をあげた時に、木内氏は「親子に線香をあげることができてよかった」とつぶやいたのを傍らで聞いていた。 今年の夏で監督を勇退した木内氏は、計20回甲子園の土を踏んだが、河合さんは木内氏が甲子園に出場するたびに、これまで一度も欠かすことなく、JR東京駅に出向き、新幹線のホームで見送りをした。 河合さんは「選手時代は、甲子園なんて夢のまた夢の場所だった。それだけに私たち同級生の夢を実現した木内を励ます意味で、毎回東京駅で送り出してきた」と説明する。 20回目の今年は、木内氏にとって最後の甲子園だっただけに、仲間8人でホームで見送りした。「木内、頑張れ」と。その期待に応えるように、木内氏は3度目の全国制覇を成し遂げた。 |
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