| 審判の目線で見た木内野球 | |
土浦リトルシニアリーグ野球協会審判長 飯村 恒夫さん(74)
県内8つある「リトルシニア」は、中学一年生から三年生を対象にした少年野球。現在、審判長を務めているのが飯村恒夫さん(74)だ。以前は高校野球の公式戦や練習試合でも球審として活躍、審判の目線で木内幸男氏(72)の野球を見続けてきた。 電電公社(現・NTT)で働き、草野球でプレーしていたところ、軟式野球を全国に広め、審判の技術向上に大きく貢献した、当時、土浦市軟式野球理事長を務めていた故・塚原政親氏から「審判をやってみないか」との誘いを受けた。35歳のときに県軟式野球連盟に登録、後に県内の審判技術を高めるために、高校野球にも携わることになった。 勤務地が取手市内だったため、夕方になると取手二高の木内氏から「ツネさん、仕事は終わったかい」と、練習試合の審判を頼み込む電話がひんぱんに掛かってきたという。 「取手二高時代の木内さんは、とにかく毎日のように練習試合を組んでいた。私もいつもグラウンドに立っていた」と飯村さん。練習試合での木内氏は、選手がプレーでミスをすると「タイム」と試合を中断、ベンチを出て選手に問題になったプレーについて細かく指導する場面が多々あったという。 ●粟野監督から追い回された逸話も 「木内さんが選手に話す指導内容には、自分も『なるほど』と勉強になることがあった」。審判をしていた飯村さんがそう語るように、木内氏の指導にはひと一倍熱がこもっていたという。 その一方で、故・粟野武氏が監督をしていた土浦三高との練習試合では、木内氏が控え選手を多く出したために、バットを持って怒り心頭の粟野氏に、グラウンドで追い回されたというエピソードを耳にしたことがあった。 ほかにも、木内氏がグラウンドで刈った雑草を燃やす際に、ガソリンを使って燃やしたため、手にやけどを負ったこともあったというエピソードも紹介。飯村さんは「木内さんは洋服に気を遣うなど、意外にもおしゃれだった」と苦笑いする。 当時、試合会場にブレザー姿で現れるのは木内氏ぐらいだったようだ。派手なチェックの柄で登場した時は、県南地区のある監督から、「木内さんは田舎のプレスリーだよ」と冷やかされたこともあったという。 そんな木内氏だが、甲子園に何度か出場すると、飯村氏に「甲子園の塁審は飛球を最後まで追ってジャッジしている。これは見習った方がいいよ」と、アドバイスしてくれた。 ●県内の審判レベルも引き上げた 取手二高からメキメキと名将としての力をつけた木内氏に、県南地区のライバル・竜ケ崎一高の応援団からは、木内氏への激しいヤジや罵声まで飛び交った時期もあった。 飯村さんは「木内さんは県内の高校野球のレベルのほかに、審判のレベルも上げてくれた」と、感謝の言葉を述べる。 1979年から土浦市軟式野球連盟審判長に就任。翌1980(昭和55)年の第62回全国選手権県大会の下妻一―江戸川学園の決勝戦では球審を務めた。84年に同審判長を引退。 監督を引退した木内氏は今後は少年野球の指導にあたることを表明しているため、飯村さんは「木内さんとまた一緒に野球ができればうれしいですね」と話した。 |
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