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| タ イ 3 | |
日本との技術協力を強化 |
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一九九三年から二〇〇〇年まで、七年間にわたりJICAのプロジェクトとして高専拡充計画が進められ、九八年に教育省所管の工科大に昇格。二〇〇〇年にはプロジェクトに参加した長岡技術科学大(新潟県)と学術交流協定も結ばれた。 プロジェクト終了後も日本との技術協力を引き続き強化するため、シニアボランティアの原田喜達さん=牛久市=が昨年四月、二年間の予定で派遣された。 ■きっかけ■ 旧満州のハルピンで生まれ、東京育ち。防衛大で電気工学を学び、陸上自衛隊入り。途中で防衛大に戻り大学院理工学研究科で勉強した。自衛隊では人事データの処理などのほか、静岡県の富士学校で教官・研究員を務めた。 防衛大も含め約十七年の自衛隊勤務を経て、三十六歳のときに大手電機メーカーに移籍。 「国のために働くことに慣れてきたためか、個別企業の利益追求にはギャップを感じてきた。自分には合わない。もっと公共性のある仕事を、最後にしたかった」とJICAに応募。 電車の中吊り広告で知ったのが二〇〇〇年秋募集。会社に慰留されて一年間待った。 ■しごと■ 赴任後、学長が交代し、経営方針が大きく変わった。人事異動や学科の人員配置の見直しなどにより、カウンターパート(相手国の担当者)も交代。工科大学院の併設を目指して改革が進められており、活動内容も要請時とは変化した。 この変化に柔軟に対応。最初の一年は工学部の経営改革に取り組み、競争力のある大学にするための改善策などを提案した。学生の卒業研究の指導や、学科のカリキュラム改善にも取り組む。 長岡技科大との交流では毎年、交互にシンポジウムを開催し、交換学生を派遣。日本からの工場実習を二カ月間、タイで行う。交換学生に日本語を教えたり、日本の生活をアドバイスしたりもする。 ■これから■ 実際的技術者(プラクティカル・エンジニア)を育てるため、同大学長は産学共同利用のラボセンターを作る構想を持っている。 「自分で自分を変えられる技術者でなければならない。技術は変わるのに、先生も教科書も変わらないと対応できない。理論やプロセスを重視しないといけない」と指摘する。 民間企業に転職する際、牛久市に移った。家族を残しての赴任。 「帰国後のことはまだ何も考えていない。もともとモノづくりが好き。大学などで、先生や学生には作れないようなものを作る『何でも作るおじさん』のような仕事があれば」と考えている。 【メモ】JICA(国際協力事業団):一九七四年設立。技術協力は政府全体の半分を担い、開発途上国の人づくりに協力。本部のほか、国際センター十二カ所、支部三カ所、訓練所二カ所を持ち、つくば市には筑波国際センター。海外五十七カ国に五十八の在外事務所がある。十月一日に独立行政法人国際協力機構となり、理事長に元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏が就任。独法化に伴い、裁量権が拡大するほか、課題として平和構築支援が加わる。 |
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