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| カンボジア 1 | |
経営改善に取り組み成果 |
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空港から直行した公共事業運輸省のカンボジア道路建設センター(RCC)は、日本から供与された建設機械を維持管理するともとに、運転の指導を行っている機関。一九九六年にできた。 建設機械メーカー出身の小野雄司さん=龍ケ崎市=は、建設機械の維持管理・運転指導の専門家として二〇〇〇年十月、RCCに着任。一年間延長した任期も、間もなく終わろうとしている。 ■きっかけ■ 大阪府出身。大学卒業後に日立製作所に入社。一九七〇年に建設部門が独立した日立建機に移った。設計や海外技術サービスなどを担当、足立工場が土浦工場に統合されたのを機に龍ケ崎市に転居し、定年までの数年間は霞ケ浦町戸崎の技術研修センタにいた。 定年半年前。JICAのプロジェクトで、同社から海外にエンジニアを派遣することになる。社内では人選する立場だったが、「いっそのこと自分で」と部下に手配を指示。常務会ではやや議論になったらしいが、「ほかに適格者がいない」と強行突破、九六年十二月から三年間、スリランカに赴任した。 帰国から半年後、今度は業界団体の日本建設機械化協会から「もう一度、海外に出てみませんか」との誘い。それがRCCの仕事だった。 ■しごと■ RCCには大型から小型まで含めると約百二十台の建設機械があり、百五十人が働く。 着任した当初は予算も少なく、鉛筆一本買うにも事欠き、ガソリン代の未納もあった。「経営者になったつもり」で改善に取り組み、「欲しい金は自分で稼げ」とはっぱを掛けた。 例えば、公共事業の枠から外れない範囲で建設機械を運転手付きの短期で貸し出す。これは地域貢献にもなる。財政事情は好転し、一定の貯金もできた。 運転教習制度の普及にも取り組んだ。構内に五dダンプ三百台の砂や砂利を入れ、高さ四bほどの大きな築山を造成。車両系の建設機械編など三つのコースで教習課程も整備、クメール語のテキストもそろえた。インストラクターも養成した。 ■これから■ 日本以外に、会社の仕事で赴任したイギリス、スリランカ、カンボジアと「ふるさとが三つある」のも自慢。海外生活は通算で十年ほどになる。 「自分で判断してスリランカにもし行かなかったとしたら、と思うとぞっとする。人生の転機、機転は面白い」というのが実感。 スリランカ時代に六十一歳でスキューバダイビングを始めた。これまでに百三十三回潜った。とりあえず、百五十回が目標で、日本に戻ってからも続けることになる。 「じっとしているのは嫌い。何か、海外に関係したことをしたい」。間もなく帰国、三人の孫に会える。 【メモ】カンボジア王国:ポルポト政権による虐殺、内戦を経て、一九九三年に国連PKO監視下で新国家が成立。九八年十一月に現政権が発足した。面積は日本の約半分、人口は約千三百万人。国内総生産(GDP)は三十六億二千三百万ドル、一人当たりGDPは二百六十九ドル。東南アジアでは珍しく、侵略など日本が過去に汚点のない国で、五三年の独立と同時に国交樹立。今年は五十周年の節目になる。世界文化遺産のアンコールワットは日本からも年間十万人以上が訪れる。 |
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