![]() |
|
| カンボジア 6 | |
水利組合の育成も課題 |
|
二十年の内戦で農業関連のインフラも破壊された。一九七〇年代、ポルポト体制下で建設された灌漑(かんがい)用水網は技術的に未熟で、二百二十万ヘクタールの耕地のうち二十五万ヘクタールで補助灌漑を行っているだけ。毎年のように洪水や干ばつ被害を受けている。 技術者の養成や農民組織の育成などを目的に、二〇〇一年一月から五年間の技術協力としてスタートした灌漑技術センター計画。海老原洋司さん=牛久市=は五人の専門家の一人として、設計・水管理を担当している。 ■きっかけ■ 北海道大農学部を卒業後、一年間の研究生を経て大学に残り、助手を五年間務めた。 三十三歳の助手時代、「(大学内で)いろいろな問題があった。実家でテレビを見ていたとき、青年海外協力隊のコマーシャルが流れた。当時はまだ年齢制限が三十五歳だった」。大学を辞めて協力隊に応募。七六年からネパールに派遣された。 協力隊は二年間で終了したが、そのまま残る形で専門家として四年。合わせて六年間、ネパールに滞在した。 八五年から五年間はタイ。九二年から五年間はJICA筑波農業研修センター(後に筑波国際センター)で研修生を指導。九七年から約三年間は中米のホンジュラス。海外生活は通算十七年になる。 ■しごと■ ポルポト時代、八百四十一カ所、千四百キロに及ぶ「ポルポト水路」が作られた。ほぼ一キロのメッシュ状に掘られ、内戦時にかなり荒廃してしまっているが、適切に補修し、維持管理できれば灌漑面積を倍増させることができる。 プロジェクトは、プノンペン郊外のカンダール州カンダル・ストウン郡をモデル地区に設定。受益者である農民の事業参加も進めながら、用水路に人や牛が渡る簡易横断橋を設置したり、個々の水田に水を引くための三次用水路、四次用水路を整備した。 相手方の技術水準などの現況調査を行って目標を設定するとともに、現場で仕事をしながら技術移転するOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)、マニュアルの作成などを進めている。 ■これから■ カンボジアの米作は一月―四月に作る乾期作、六―七月ごろに植える雨期作が中心。しかし、水が潤沢にあれば、コメは三回取れるという。 「価格が安くコメを作ってももうからない。水を天水に依存しているため、限界がある」というが、十年前は一ヘクタール当たり一d台だった収穫量は、二・五―三dに増えた。 モデル地区では工事の段階から操作管理の段階に入っている。事業に参画することで、農民に「共有財産」という意識ができてくれば、維持管理のための水利組合につながる、と期待する。 プロジェクトのスタート当初から参画。二年半が経過し任期は来年一月までに迫る。 【メモ】JICA筑波国際センター(TBIC):一九八〇年に設立された筑波インターナショナルセンター、翌八二年設立の筑波国際農業研修センター(内原町から移転)が九六年に統合されて改称。六一年に設立された前身の内原国際農業研修センターでは日本最初のODAとして、研修員の受け入れが行われた。二百人収容の宿泊施設と研修施設を持ち、つくばの試験研究機関の協力で途上国からの研修員受け入れ事業を行うほか、県内のJICA事業の総合窓口として、広報や開発教育、青年海外協力隊の募集活動、青年招へい事業なども担当している。住所はつくば市高野台三の六、電話は0298・38・1111。 |
|
|
|