◇3◇ 目算狂い

吉原氏の猛追及ばず 取り込めなかった「中村票」


 ◆熱気◆
 四月二十四日夜、岩井市の総合体育館が熱気に包まれた。吉原英一氏の個人演説会に、四千人の支持者らが集まったのだ。トレードマークのジープによる街頭活動、水面下の動き主体が、最終盤に浮上して加速した。
 壇上には、中村喜四郎元建設相派ら、反山口会長の県議七人が初めて集結。中村派の森田悦男県議は「これで勝てます」と自信を示し、川口三郎県議も「(山口武平・自民党県連会長)に、時代が変わったことを知らせたい」と訴えた。
 「熱気がぜんぜん違いますね…」。会場を埋め尽くした支持者らに、偵察に来た自民党関係者は青ざめた。「話もこなれている。選挙慣れしてますね」「永岡さんにも、これだけの柔らかさがあったら…」。口調が愚痴っぽくなった。
 翌日、「四千人」は選挙関係者の間で話題になった。参院補選の岡田広事務所では、「本当に四千人集まったのか」、永岡氏を支援した公明党県本部でも、「二十四日夜というタイミングが上手い。テコ入れが間に合うかどうか」と心配した。

 ◆中村票分散◆
 「素人だからよくは分からないが、終盤は確かに盛り上がってきた。接戦にはなったと思う。追い越せたかもしれない」。投開票前日の四月二十六日夜、岩井市の吉原選挙事務所では、選挙戦最終盤の手応えを感じていた。
 根拠はあった。集会の動員、街頭での熱気、好感度、こなれたしゃべり…。「差し切った」「逆転した」。そう思って不思議はない勢いの差が、吉原陣営と永岡陣営にはあった。運動を表面的に見るかぎりは…。
 が、開票直後にテレビは「永岡当確」。大手新聞の出口調査では、吉原氏に流れた「中村票」は四割台。永岡氏らにも分散、自民支持層の五割前後、公明支持層の七割前後は永岡氏が得、吉原氏は自民支持層三割前後で及ばない。
 決起集会でも、登壇した農協幹部や県議ら、中村派に迷いが見え隠れした。「土着の吉原氏は、中村さんにとって一番の強敵。一期交代と言っても、当選すれば自民入りで反古かも…」。支持者の不安も、自民党の壁を崩せない一因だった。

 ◆敗北の起源?◆
 一つの噂が、県政界関係者の間を流れた。「吉原さんは昨年秋、参院補選の件で橋本知事を訪ねた。山口会長は、『衆院は吉原さんでも』と思っていたが、これで可能性は消えたようだ。知事と会長は微妙な関係だから…」と。
 吉原氏は父子二代の首長。父、三郎氏は一九五五年から七〇年まで、四期十五年にわたって岩井町長を務め、自身も七八年から九四年まで、四期十六年間を岩井市長として過ごした。地元政界のサラブレッドと言っていい。
 衆院が中選挙区制だった時代、山口会長は赤城派、吉原氏は丹羽派で対立もしたが、基本的には「県議は山口、市長は吉原」ですみ分けてきた。吉原氏が、石塚甚太郎市長に敗れて以降も、関係悪化することはなかったのだが…。
 先の集会でも、中村派ら反山口系県議らは、山口会長を明に暗に批判したが、吉原氏は選挙を通じて会長批判を避けた。中村派は「負ければ、吉原に次はない」と言ったが、「県内有数の逸材。惜しい」の声も。今後の対応が注目される。


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