三協インターナショナル 代表取締役・荊華(けい・か)さん

土浦に中国ビジネスへの入口

中国の東北地方政府の人脈も強く、来年5月瀋陽市で開く『ジャパンウィーク』の視察ツアーも企画中の荊さん
北京五輪を控え、中国の時代がまもなくやって来ると言われて久しい。中国のレノボ・グループが、米国IBMのパソコン事業を12億5千万ドルで買収すると今月12日に発表したニュースを聴くに至って、いよいよ、その経済的実力を実感させられた。

この中国ビジネスへの入口が土浦にある。有限会社三協インターナショナル社長の荊(1964年生)は、名門・四川大学の工学部を出て、故郷の国営産業機械メーカー・瀋陽重型機械研究所入社。理科系のエリートコースを歩み、医科大学で数学を教える妻と幸せな暮らしを営んでいた。当時の同期生たちは、既に、国営大企業の部長職についている。

荊の人生を、変えたのは、1991年の静岡県の精密機械メーカー・高木産業への研修留学であった。当時、日本の進んだ技術は、大いなる衝撃を彼に与えた。半年の留学期間を終えて、瀋陽に帰った荊の日本への想いは募るばかりであった。

「このまま、ずっと同じ場所にいて年功序列ではつまらない。自分のチャレンジ精神が黙っていない」。5年後、ついに、決断した荊は、日本にいる友人から誘われて、長野県のアルプス精器への就職。約1年半で、今度は、奇跡の発展を遂げてきた、日本の経済そのものを学びたくなった。普通の中国人留学生と正反対の道程で、つくばに辿り着いた。

筑波大学・大学院経営政策科学研究科・修士課程に入学。四川大学の一般教養で学んだのはマルクス経済学。筑波大で学ぶのは近代経済学。工学部出身で、会社でもデータ解析が専門、もともと数学が得意だったのでシミュレーションなどの大学院での計量経済学は楽だった。『中国国有工業の全要素生産性の成長分析』が修士論文のテーマ。中国政府に読ませたい内容だが、手元に置いたまま…。

中国の大学の教官職を捨てて、日本に来て、荊の学生生活を支えてくれた妻が、今度は筑波大の大学院へ。その間、荊が、地元土浦で運転手のバイトをしながら生計を立て、妻への恩返し。彼女が筑波の大学院を卒業した時、二人で中国に戻ることも考えた。だが、経営政策で勉強したことを、実際の会社経営として使えるかどうか試す意味でも日本でベンチャー起業したいと、「茨城県をいろいろ調べたら、中国コネクションをコーディネートする会社が無い。日本と中国を結ぶ技術のパイプ役になりたい。人生最大の賭けでした」

さらに、具体的な創業の実務を学びたかった。そこで、土浦商工会議所の『土浦創業塾』の一期生として勉強。いよいよ起業だが、外国人の創業は、自宅では認められない。事務所を借りなければならない。そこに、『SOHOつちうら』の募集がたまたま始まった。

アルバイト先の会社の社長が、出資を申し出てくれたが、迷った末に断った。「実際に会社経営するのは、初めての経験だし、もし失敗したら、折角できた日本の友達を無くす事になるから、自己責任でやることにした」。中国時代の貯金を全てはたいた。外国人だし、資本金は有限会社の最低ラインを超える500万円とした。

最初の仕事は、筑波大の中国の大学への礼状の翻訳。次が、『ひたちなかテクノセンター』のコーディネーターが紹介してくれた技術翻訳。レベル、スピード、料金、何れも自信があった。社名の『三協』とは天の時、地の利、人の和、の意。独学の日本語で敬語が上手く使えないから、信用が得られないとの指摘も受けたが、現在では、二カ月に一度の割り合で、日本企業を中国に連れて行っている。留守は、二人の社員が守る。中国の東北地方政府の人脈も強く、来年五月瀋陽市で開く『ジャパンウィーク』の視察ツアーを企画中。

「お客さんが満足してくれた時、一番幸せを感じる。すべて順調に行く訳ないと思っていると、平常心が保てる。無理といわれても全く、落ち込まない。自分がやりたいから」。(花山亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略)

【会社概要】本社・土浦市川口1の3の132モール505SOHOつちうら3号室。2003年4月設立。資本金・500万円。中国ビジネスに関するコンサルタント、特定労働者派遣事業(特08-04-0052)、中国語翻訳・通訳、日中技術貿易。http://www.j-sankyou.com/

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