![]() つくばセミテクノロジー 代表取締役CEO・松本光由さん |
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10年後にグローバルスタンダードを
一九四三年、群馬県前橋市生まれ。株式会社つくばセミテクノロジー代表取締役CEO松本光由は、「もう六十二歳なんですが、結局、茨城県に居る時間が一番長いんですね。こうなったら茨城に骨を埋めるか…」と、覚悟を決めた。 一九六八年、沖電気の半導体部門から、世界のTIへ。日経に、ソニーと合弁の日本テキサスインスツルメントが上陸と、大きく人材募集広告が出たのだ。社員番号10番。「半導体の本家本元に、他流試合に行く軽い気持ちで応募した」が、初めての海外で、松本は、TIの本社がある、カウボーイ魂の街『ダラス』が、すっかり気に入った。 一九八〇年、製造部長として、TI美浦工場を立ち上げるため帰国。三期目から工場長。「ダラスと美浦で、ちょっと実験してみよう」ということになった。同じ規格のウェハーの製造工場を、設計段階から同時に立ち上げ、成果を競うという企画。量産に入ってから、一気に『美浦』が『歩留り』の勝負に勝った。逆に、三十名の日本人を連れて行き、『ダラス』の本社工場を建て直した。爾来、松本が世界のIC生産を任された。 一九八四年、TIは産業の米作りで、世界的成功を納めた。韓国のヒュンダイに技術移管。松本は、さらに、イタリアの国家プロジェクトとして、地震が多いアビザロを選んで、ICの最先端工場を立ち上げた。米国五十人、日本三十人、総勢五百人、カソリックの地鎮祭で、アメリカンスクールと日本人学校を併設。台湾ではエイサーとの合弁で新竹工場。組み立て工場はシンガポールに。四千三百人の松本の部下が、世界中でチップを作り続けた。 一九九六年の半導体不況の歴史的大波に、TIは、しかし、『暴れるメモリー部門』を御しがたく、ついに売却。その時、一緒に松本もTIを去った。 二〇〇〇年一月、TI退職時に手にしたストックオプションの一部を売却して、阿見の自宅二階で、元同僚とSOHO創業。半年程、仕事が無かった。そのうち、コンサルティングの依頼が舞い込む。ある問題が出た時、『自責』と『他責』二つの立場から『責任範囲』を明確にしていく。例えば、日・伊混合チームで、イタリア人から観た日本人の『他責』は何か。日本人から観たイタリア人の『他責』、つまり、悪いところは何かを出し合い、共通項目をリストアップして解決して行く。「カルロス・ゴーンなんかも、観ていると、この論理で攻めているな」と思う。一社半日月二回で、年五百万円。二人で四千五百万円の年間売上げ。 二〇〇二年五月、昔の部下と出会い、フラフラしていたので「何かやりたい事ないか?」と聴いてみたら、全く新しい、半導体の洗浄技術を提案してきた。化学薬品を一切使わない、そのノンケミカルの洗浄では、オゾン水と光(エキシマ光)を使う。 微細なチリが命取りの超LSIの製造はクリーンネスとの闘いである。フロンから硫酸、塩酸まで、ジャブジャブ使う時代は、やがて、終焉を迎える。『つくばGrand Slam』という筑波ブランドを、産総研『半導体MIRAIプロジェクト』のスーパークリーンルームに一台納入。経験則から、この一億数千万円の商品が売れ出したら止まらない…はず。 二〇〇七年七月七日に上場しようと決めている。社内の合言葉は、『トリプルセブン(777)』。調達した資金で、阿見東部工業団地に工場を作るつもりだ。「もう一度、自分で新しい工場を作るとは、夢にも思わなかった…」。十年後、グローバルスタンダードを持つことが目標。「関わっている人が、自分の強みをいつも生かせるような環境で、喜びを感じながら楽しく生きられれば良いですね」。松本の創る強みの工場を、早く見てみたい。(花山亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略) 【会社概要】つくば市高野台2の1つくばベンチャーラボパーク内。電話029・837・280。2000年1月創業。資本金3億1000万円。半導体関連ビジネスに特化した「エンジニアリング」と「コンサルティング」。化学薬品を使わない半導体洗浄装置の創造。http://www.m-t-m.co.jp/ | |
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