東日本メディカル 代表取締役・大金一広さん

反・クールビズ宣言

3年前、シーメンスに出会い、売上10億円の壁を超えた大金さん
この男が仕事中にネクタイを外すことは決してない。白いワイシャツとネクタイにこだわるだけの理由があるからだ。もらった名刺には、SIEMENS認定代理店と刷り込んである。茨城を中心に福島と埼玉が、株式会社東日本メディカルの代表取締役・大金一広(一九六二年生まれ)のテリトリーだ。医療機器分野地域一番店の証である。

リードギター一本と布団一式とを、カローラの狭い座席に押し込んで込んで、地元の久慈を当てもなく飛び出したのが、十八歳の夏。実家の精肉店を継ぐつもりで、父の元で働き出してまもなく親子げんかしたのである。高校時代の同級生のいる水戸に向かった。国道118号線の不安な暗闇を、今も忘れる事ができない。

バンド仲間の友人の家で一泊した後、翌日にはアパートを探した。そして、工事現場の仕事を見つけて、夢中で働き出した。日給七千円。三カ月目、現場に向かう途中、交通事故に遇い、長期の入院生活を余儀なくされた。「おれの人生は、この先、一体どうなるのか…」

目の前をスーツ姿の若いビジネスマンが、肩で風を切って通りすぎて行った。見上げた先で、婦長に軽く会釈したそのビジネスマンは、ちゅうちょすることなく病院長の部屋に入って行った。さっそうとネクタイを棚引かせる青年のスーツ姿が、パジャマ姿の大金の目に焼きついた。「カッコいいと思いました。ネクタイ締めてみたい」と。

退院後、大金が工事現場に帰る事はなかった。転職を繰り返しながら、医療関係の仕事を、水戸の職安に行っては、探し続けた。三年目、五人程度で運営する小規模だが、医療機器販売会社の求人を、ついに見つけた。何が何だか判らないまま、『青山』でスーツを一着買って、勤め始めた。大金が初めてネクタイを締めた二十二歳の夏であった。

補聴器から始めて、注射針から検査装置、MRIまで取り扱い範囲は広い。先輩に言われるままに、病院やクリニックのご用聞き稼業をこなしていたある日、「アンタ、なんにも分かってないんだね。子供の使いじゃないのよ!」と、ある病院の婦長にガツンとやられた。「注射針にも何十種類もあるんですよ。その微妙な違いが分からなかった」

その日から、時間があればその病院に通った。医療現場で、納品した機器がどのように使われているのかを、つぶさに学んだ。「この時の体験が、私のビジネスの原点になったと思います」と。

大がかりな医療機器なら、メーカーから専門の担当者を呼び、営業に同行してもらった。その行き帰りのクルマの中、仕事を終えて飲みながら、さらには、アパートに泊めてまで、貪欲に知識を吸収して行った。「徹底的にトークを覚えて、トップセールスマンになろう。学歴のない自分は、いずれ独立するしかない」と決意した。驚異的な販売実績を残した大金の元に、都内の医療機器販売店が開設する土浦支店の支店長就任の話が舞い込んだ。土浦に移った二十五歳の大金は、次々と県南の医者たちを得意にして行った。部下八人に。

「引っ越しといえば手伝い、家にも呼ばれた。先生が、何を求めているのか。どうしたら喜んでもらえるか真剣に考えた。ある分野は、よその商品の方が性能がいいと、正直に答えた」。十人程の得意先の医者が中心になって大金を独立させる会が発足した。

三十一歳でとうとう独立。つくば市竹園に、十年前、東日本メディカル社を設立。「待っていたように、キカイが古いんで買うから…明日カネ振り込むから…」と医者たちが高額な医療機器を注文してくれた。そして三年前、シーメンスに出会い売上十億円の壁を超えた。

さらに、病院の血液検査関係の臨床データをまとめる株式会社日本ステックスを設立。東京支社を新宿に作り、三人のシステムエンジニアを雇って、DNAのデータ処理を勉強中。「メーカーになるのが夢。そして、コラボレーションして自分で開発した商品を、自分の商社で売るのが最終目標」。この商品は、こういう風に売ればいいね、とピーンとくる。(花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略)

【会社概要】つくば市二の宮2の12の14。電話029・856・6060。1994年12月21日創業。資本金1000万円。事業:医療機器の販売。医療システムの開発。http://www.higashinihon-medical.co.jp/

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