植物ゲノムセンター 代表取締役社長・美濃部侑三さん

コメにこだわるサムライ

社内の田んぼにタワワに実った短稈コシヒカリ『つくばSD』を前に満足そうな美濃部さん
最近完成した『短稈(たんかん)コシヒカリ』は、味も最高ランクの特Aを獲得。丈を低くしたため風雨にも強い。育種法を指導しながら農家に作付け依頼しブランド米大量生産事業に乗り出したのは、株式会社植物ゲノムセンター。コシヒカリに遺伝レベルで解析した他の品種からより優れた形質を取り入れて品種改良を行うために、遺伝子組み替えを使わず、素早く効率的に有用新品種を開発できる。ゆえに八千億円のコシヒカリ市場を制する事ができるのか。

代表取締役社長の美濃部侑三(一九三八年生まれ)は、農水省の生物資源研究所時代の一九九一年、日本初のバイオの国家プロジェクトとして『イネゲノムプロジェクト』を立ち上げ、プロジェクトリーダーとして世界に先駆けてイネゲノム解析に挑んだサムライ。この時、農水省の管轄下にある日本中央競馬会(JRA)から投入された補助金は、世界を驚かせた年間二十億円。ということはこの会社、解読を終えたゲノムデータを使ったポストゲノムの商品開発を睨む国策ベンチャーかと思いきや、そうではないという。つくば発ベンチャーの横綱、植物ゲノムセンター社誕生までの空白の十カ月の秘話に迫った。

コメの優良形質の遺伝子特許を抑えられると、日本の稲作を米国にコントロールされてしまうことになる。米国の穀物メジャーによる遺伝子レベルの囲い込み戦略から、美濃部たちが進めてきた国家プロジェクトが、有史以来の日本の稲作を守り切った。

その快挙に着目したのが、当時、つくばで最初の地域ベンチャーファンド『筑波ファンド』を運営していたジャフコの大滝義博であった。あるシンポジウムの席で、突然「あなたなら投資する」と言われた。この大滝との出会いが、美濃部の第二の人生を決めた。そして、退職にあたり農水省も、「たまには、研究成果を生かしてベンチャーを起業するという、勇気のある研究者がいても良いだろう。協力する…」との英断を下した。

大滝から声は掛かっていたが、実際の会社設立となると、出資を募って丸の内界隈で企業を回ってみるが、すぐに会社のスキームが出来上がる訳ではない。そもそも、特許があったわけではなく、イネゲノムに取り組んできた美濃部のキャリアだけを頼りに起業するのである。常にどこかの組織に属していた美濃部の人生だったが「退職して突然行くところがなくなったのが苦しかった。頼みの農水省はいざとなるとメールアドレスを一つ残してくれただけ…」。それでも諦めず、週に一度は大滝たちと都内のジャフコのオフィスに集まった。「そうしないと忘れられるから」。十カ月目、ついにしびれを切らし、退職金の残りを叩いて、吾妻に小さな準備事務所を作った。それを見た周りは少し深刻になってくれた。

知り合いの理化学会社の営業マンが、農林研究団地近くの羽成工業団地内にあったデュポン社のイネ用農薬の研究所が撤退して、半年前から空き家になっているという。見に行くと、研究棟ビルに直結する構造で、実験用田んぼが並んでいた。「ここでやれば必ず成功する」と確信した。一日に何度も、生育状況を確認に来られるからである。会社を設立する二週間前に、とうとう、その巨大施設を買い取るための出資者を口説き落とした。結果、あまりにも理想的な研究開発環境を見て、即座に就職を決めた研究者も多いという。

趣味は、トレーニングと月一のグループ登山。「一日五キロは走る。トラブルが起こると、右腕の総務担当取締役から、怒鳴っていないで走って来るように」との進言を受ける日々。会社を始めて、十八キロ絞った。今年六月、美濃部たちは、『短稈コシヒカリの開発』で産官学連携功労者として、科学技術政策担当大臣賞を受賞した。株式公開の日も遠くない。しかし、ふとその成功の喜びを共有する相手のいない寂しさを痛感する。大組織の中での長い長い研究生活を支え、空白の十カ月を共に苦闘した妻と、退職金で守谷に新築したマイホームで三カ月間だけは過ごす事ができた。その最愛の妻は、しかし、創業一年目、突然病死。今、山の頂上に立つ美濃部が、天に召された妻に向かって何を語りかけるのか。(花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略)

【会社概要】つくば市観音台1の25の2。電話029(839)4830。2000年2月1日創業。資本金・3億9520万円。植物および関連する生物のゲノム機能の解析、画期的な解析技術の開発、有用遺伝子の単離、バイオテクノロジーへの利用法の開発等の研究開発を行う。米の品種鑑別、有用新品種開発等。 http://www.pgcdna.co.jp/index.html

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