![]() 一誠商事 代表取締役・五十嵐翼さん |
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マンション管理、8500戸
「右翼団体と間違われたこともあるが、社名の一誠の意味は、中庸の『天下の万機は一誠に帰す』から取ったもの」だという。心からの誠実さがあれば、どんな仕事も成功することができるとの意味だ。その座右を教えてくれたのは、土浦市神立の駐在所に長く務めた警察官の父だった。 当初、兜町の証券マンとして社会人をスタートしていた五十嵐は、三十歳の時会社を辞め、地元に帰り、父親の社会的信用で『一誠不動産』を創業したという。 なぜ、不動産業か?「学生時代、取手の茨城県の学生寮に入りました。大学の先輩が、たまたま、その取手市で、事務員一人だけの小さな不動産屋を営んでいて、取り扱い物件の草刈りなどのアルバイトに駆り出され、その度にキャバレーに連れていってくれましてね…」。五十嵐は、酔っぱらいながらも「この商売は、結構儲かるのかな」と思った。 大学の経済学部での講義で、唯一記憶に残ったのは、マルクスの『資本論』。それで解いた資本主義の三原則は、「土地・資本・労働力」だとの一節。キャバレーに連れていってくれた不動産屋の先輩のことと共に、頭に焼き付いていた。 サラリーマンとして務める会社としては、手ごろな不動産屋は見当たらず、証券会社に就職した。証券会社の調査部に配属された五十嵐は、不動産業界には、常に興味があり、業界の動向の分析を担当した。 三十歳までには、独立しなければと常に考えていた。二十八歳で結婚した妻と、新婚時代、二人で勉強を始め、宅建の資格を取得した。そして、二人目の子供の出産で、妻が新治の実家に里帰りしていた間に、特に相談もせずに会社を辞め、父の知り合いの多い地元神立で創業してしまったのだ。 一戸建てを借りて、土間を改装して、取手の先輩のやっていたような不動産屋を作ってみた。だが、時代は青息吐息。オイルショックの直後で、数軒の大地主を父に紹介された以外、大したコネもなく、失業保険が切れる六カ月目まで、売上は発生しなかった。 さて、どうやって食べて行こうかと、脳裏に大きな不安がよぎった時、突然三千万円の物件の仲介業務が舞い込んだ。売り手と買い手からそれぞれ3%の手数料で、合計百八十万円を手にした。人生は、まんざらでもないと五十嵐は感じた。 しかし、このままではいけないと、安定的な収入源を探る中、五十嵐は、県外の大家が増えてきたところに目をつけた。「一戸建てやアパートの管理も、庭先に建てた物件なら何とかできるが、遠く離れた大家にとっては、思うに任せない。契約更新や家賃の値上げ交渉、さらには、滞納者への督促などは、あまり近い関係になると情が絡んで上手くいかない」。そこを、第三者として担当しようとの五十嵐の提案は、次々に顧客を獲得していった。 あれは、数えて二十年前。つくば万博開催。これからは「つくばの時代」だと思い、買っておいたつくば市竹園の一等地にオフィスを構えた。パビリオンスタッフ用に建てられた、千戸を超える高級アパートが、ポスト万博で空っぽになった時が出番であった。「半年で、再び全てを満杯にした…」という、五十嵐の快進撃は、現在まで留まることなく続く。 アパートやマンションの企画段階から、空室募集業務・管理業務の依頼がくる。二十四時間体制のきめ細かいサポートで手にする管理費は、家賃の5%。これも、自らの経験で算出した値だ。今では、スタッフが百人を超えた。 TX開業で、ターミナルとしてのつくば市が急成長するな中で、一つの誠が、この街に移り住む人々を迎える。そして、一誠商事がつくば都心部に展開する『森ビル』ならぬ『ISSEIビル』は、まもなく五本目が完成。新しい時代を拓く医薬品関係、宇宙開発などのハイテク企業が、多数入居している。(花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略) 【会社概要】神立本社・土浦市中神立町32の7。営業本部・つくば市竹園2の2の4。電話029・860・8611。ファクス029・860・8612。1972年創業。資本金・1000万円。総合不動産業(不動産の売買、仲介。賃貸およびその仲介と管理。保険代理業。不動産コンサルティング)。http://www.issei-syoji.co.jp/ | |
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