ヨーロピアンスクール 代表・ブノワ・マリニャックさん

多文化の時代を先取り

最近ではフランス製ファッション製品の輸入業務を手掛けるなど、仕事の幅を拡げているブノワさん
パリのスポーツクラブの中にあった柔道場に連れていったのは、小学校に入って喧嘩ばかりする九歳の息子の行く末を案じた父親であった。ヨーロピアンスクール代表のブノワ・マリニャック(一九六〇年生まれ)は、生粋のパリジャンだ。一九八二年の暑い夏、筑波大学に留学して来た。つくば市には、当時フランス人は珍しかった。花の都・パリからやってきた都会っ子のブノワが、つくば市に住みつき、語学スクールを創業して二十年余り。筑波大発、フランス人留学生のビジネスへの挑戦を取材した。

筑波大の前身、東京高等師範学校を設立した嘉納治五郎は、教師たるもの運動能力で生徒を圧倒するのが早道として、自身が作り上げた「柔道」を大学の必須科目にして普及に務めたといわれる。そんな柔道の原点とも言える筑波大学に、二十二歳の時、フランス国立スポーツ大学から留学。兵役時代65キロ級でフランスチャンピオンでもあったブノワだが、日本の柔道のトレーニングは、とても険しいものだった。

当時、オリンピックの正式種目ではなかった女子柔道の山口香選手が道場にいて、時々練習したが、その技の切れに驚くばかり。「今では、良いお友達だが、その頃は、近づくのが怖い程の迫力だった…。また、あの苦しいトレーニングを、毎日続けた仲間が全国にいて、どこに旅しても大歓迎してくれる。最高の仲間たちだ」と、柔道部時代を振り返る。

二〇〇四年のインカレ(大学選手権)の男子団体で、久方ぶりに筑波大柔道部が優勝して、暮れに行われた祝勝会では、当時のメンバーが集まり、想い出話に大いに盛り上がった。

最初は、半年のつもりが、つくばがすっかり気に入ったブノワは、何とかこの街で生きて行くため、市内のホテルでベルボーイのアルバイトを始めた。六カ月ごとに、近隣諸国に出ては、観光ビザを更新して行った。三年後、さらに、アルバイトでフランス語の個人教授を請われて始めるに至った。

フランス語を教えながら、逆に生徒から日本語を学んで行った。つくばの研究所の研究者がフランスへの海外赴任の前に、本人や奥さんが習いに来始め、スクール形式にした。生徒たちの中から、電話加入権が高くて設置できないブノワを観て、新聞広告の申込先を自宅の電話で引き受けてくれる研究者の奥さんがいたり、そろばん塾の隣の部屋を破格値で貸してくれる地元の大家さんがいたりと、フランス語教室の応援団が自然にできて行った。ブノワ自身もさまざまな工夫を重ね、壁にペンキを塗ったり、カラーボックスの上に黒板を置いて机にしたりと、お金をかけずにスクールを手作りで立ち上げた。

やがて、そのウイットに富んだ楽しい授業が話題を呼び、NHKラジオのフランス語講座に出演していたこともある。「フランスと日本の文化交流もしたい。コックさんやワインの好きなソムリエ志望の人などが、仕事のために必死にフランス語を習う姿に打たれ、フランスのレストランのコネクションも、実家を通じて紹介した」。百名程度の学生が常にいる。そして、ブノワの教え子は、既に千名に達する。

最近、自分の国フランスについて、一層深く考えるようになった。柔道を学びに日本に来て、相手の国よりも、自分の国を知らないことに気付いた。好きとか嫌いとかのレベルを超えて、パリに帰る度に、フランス人と日本人の違いが気になる。

「昔の人情あふれる良きパリの面影は、スッカリ無くなった。移民の人も、それに憧れ、ニューヨークのように世界中から集まってきたのだろうが…。フランス人のタクシー運転手も減って、移民中心。今は、もうパリに戻りたくない。自分も日本への『移民』とすると、しがらみのないところに住みたいという彼らの気持ちも分からないではない」という。

最近では、鹿革のスーツなど、フランス製ファッション製品の輸入業務を手掛け、仕事の幅を拡げてきている。通訳兼コーディネーターとしても活躍し始めた。(花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略)

【会社概要】つくば市花室989の4。電話029・857・7028。1986年創業。フランス語、スペイン語、ドイツ語、ポルトガル語、英語などヨーロッパ言語スクールの経営。各種通訳。通商コンサルタント。

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