![]() 有限会社ケージープランニングサービス・堀越雄二さん |
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老舗料亭の味を科学の街に!
大正十年に海軍航空隊ができ、日英同盟の証としてイギリスからセンピル大佐一行が飛行技術の指導に訪れた。また、山本五十六が、翌年、航空隊の司令となり月月火水の猛特訓を行った。当然、猛特訓だから、飛行機が落ち、殉職者が出る。 当時のマスコミ各社の仕事は、要するに、今日も飛行機が落ちましたと、全国から集まってきたスパーエリートの青年の誰と誰々が死にましたと、そういう記事を送るのが、土浦通信部の仕事だった。 読売の名物記者の高木健夫が、昭和の正に初期に、国民新聞に入り土浦通信部にまず配属された時の辛い想い出を書き残している。そして、山本五十六が下宿していた土浦市文京町の神竜寺の住職であった故秋元梅峯師が、霞ケ浦海軍航空隊殉職者の慰霊と不況にあえぐ商店街復興のために、私財を充てて霞ケ浦湖畔で花火大会を始めたのが大正十四年。 今年の土浦花火大会に新名物として「土浦花火弁当」を創案したのは、ケージープランニングサービス代表取締役社長の堀越雄二(一九五〇年生まれ)である。堀越は、大学在学中から、都内でテレビ局やイベント製作会社などにアルバイトで出入りしながら、企画の仕事を学んだ。 地元土浦の大手量販店から声が掛かり、企画部門に就職。その後、霞月楼が学園都市の百貨店の中にテナントとして入るのを切っ掛けに、実家・霞月楼の専務として戻った。今は亡き母・うめのが女将、父・恒二が会長、兄・恒夫が社長の中に、いきなりの専務就任。 そのころ、霞月楼が創業百年を迎えるにあたり、「百年誌」の編纂を担当した。出版社の編集者と、古びたアルバム二冊を頼りに、実家・霞月楼が育んだ、土浦の歴史を再発見し、その重さを自覚した。そして、料亭経営の修行を二十年近く積んだ。 三年前、霞月楼の伝統を生かしながらも、つくばの新しい飲食業の姿を模索してケージープランニングサービス社を設立。霞月楼で飲む事を何よりの楽しみにしていた山本五十六たちが、海軍内部で呼んでいた霞月楼のコードネーム『KG』を社名に使ったのだ。そして、和食のレストラン「茶寮かげつ」と、隣接する形で、仕出し弁当の大規模厨房をつくば市筑穂に立ち上げた。 昭和四年に土浦の航空隊にやってきたツェッペリン伯号を観に当時は三十万人の人が集った。一昨年、霞月楼で歓迎会が行われた縁で、ドイツのフリードリッヒファーフェン市にて行われた新生ツェッペリンNT号の日本飛行船への引渡式に招待された。帰国後、なんとか、土浦をこの飛行船の母港として「飛行船の街」にできないかと飛び回る。 また、当時、ツェッペリンの乗組員に歓迎のために振る舞われた、海軍のカレー(後に、ツェッペリンカレーと命名)のレシピの再現等、「食」を切り口にした土浦の食によるまちづくりを目指して、地域活動を展開している。 現在は、TVのカレーチャンピオン「パク森」氏に指導を受け、地域八十店の飲食店の協力を得て、地元食材を生かした土浦オリジナルカレー(つちうらカリー物語)の展開を図っている。そして、つくば市の「パンの街」プロジェクトとのジョイントを図る中、今年の第三回カレーフェスティバル(十一月予定)では、バージョンアップをした「土浦カレー」はもとより「パンの街」つくばのパンも展開する予定。 「古き良き時代には、水郷美妓(すいきょうびき)と呼ばれた料亭付の芸妓さんたちが、旦那衆を連れ立って花火や花見に出かけた。その際、おきまりで用意したのが、店の仕出弁当でした。これが、料亭の仕出し弁当の始まりなんです」と。堀越は、その再現のつもりで、今回の「花火弁当」を作った。 歴史の糸を手繰り寄せながら、土浦とつくばを巧みにつむぎ合わせていく地道な作業が、一つの仕出し弁当として結実した。世界の研究者が集う科学の街に、伝統の日本料理が再現される。 (花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略) 【事業概要】つくば市筑穂1の15の5。電話029・877・4716。2003年創業。資本金・300万円。土浦の老舗料亭「霞月楼」の伝統を引き継ぎながらも、つくば市で新たな飲食の事業を展開する。具体的には、筑穂の「茶寮Kagetsu」の四季折々の奏楽料理。また「食工房かげつ」で提供する各種仕出し料理。学園都市の国際会議などにも、新しい和食文化を提案して行く。http://www.kagetsu.org/ | |
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