泣Xテュードベーカーインターナショナル
代表取締役・佐藤誠司さん

彼女を連れてきたりすると最高に嬉しい!

佐藤さんの原点は、「大脱走」のスティーブ・マックイーン。お気に入りのフィギュアと趣味のオフロードバイクが、「デルボマーズ」の入り口で迎えてくれる。
ゴールドラッシュに沸く一八五〇年ごろの米国西海岸。ドイツからサンフランシスコにやってきたリーバイ・ストラウスは、黄金を掘ることはなかった。代わりに、アメリカンドリームを夢見て金を掘る男たちに、オーバーオールの作業服を作って売った。幌馬車用のテント生地を蛇除けのブルーに染めて、ポケットの接合部分を特許の金属リベットで補強して売り出したのが、「ブルージーンズ」の始まり。

「リーバイス」のブランドは、時代を越えて人々に愛され続けている。百五十年前、現在のシリコンバレー辺りで、本当の意味での金脈を掘り当てたのは、小さな雑貨卸店を開いたドイツ人青年、リーバイ・ストラウスだったというベンチャーの神髄を説く有名な伝説。

有限会社ステュードベーカーインターナショナル社長の佐藤誠司(一九六七年生まれ)は、当初、不動産会社に四年間勤務。大型施設の許認可事務を担当した。役所詣での続くサラリーマン生活のある休日、久しぶりに片づけをしていた。学生時代から溜めたビンテージのジーンズが、押入れから溢れ出した。百本は、優に超えるコレクションを眺めながら、「随分無駄遣いをしたものだ。でも、自分が本当に好きなのは、このジーンズたちなのではないか」と、会社を辞める決意をした。

貯金百万円を持って、ロサンジェルスに飛んだ。フリーマーケット聖地「ローズボール」で、目一杯仕入れたビンテージのジーンズは、国内に持ち帰ると業者やフリマで、二倍で捌けた。何度か繰り返すうちに資金もできたので自分のショップが欲しくなった。

現在では、米国の大手ジーンズブランドの殆どは、その生産拠点を中国に移した。日本の繊維産業も、世界の工場・中国で生産するのが当たり前。しかし、ここに来て、インディーズと呼ばれる、国産のマニアックなジーンズブランドが、にわかに台頭してきている。

『Lightning(ライトニング)』(竢o版社)を、舞台に、ウエアハウス、サムライジーンズ、フルカウント等、和製のアメリカンカジュアルのブランド各社の新製品が紹介されている。

佐藤は、都内で育ったが、学生時代に両親がつくば市の茎崎に家を建てた。既に都心でアパート生活を始めていたが、時々、新たなる実家に戻ってきて、学園都市で食事などしていた。「どうして、この街は、パチンコ屋とラブホテルばかりできるのだろう?」と、ファッション関係のショップが少ない事に、常々疑問を感じていた。

「上野の守谷商店という伝説のショップで、中二の時、初めてブルージーンズを買った時の震えるような緊張感が忘れられません。先代の親父さんが醸し出すあのコダワリの店の雰囲気を、つくばという新しい街に作ってみたかった」と、佐藤のショップ、デルボマーズ開店の動機を語ってくれた。

「例えば洗った時の縮み率が、縦8%横4%以内に大規模小売店法で規制されています。大量販売を目論む大手ブランドの生産の現場では、どうしても無難な素材しか使えなくなる。洗い晒しのデニム感触を楽しむ事は、勢い難しくなる」と、大手にはできないベンチャーの妙味を教えてくれた。

また、「サージなどのヘビーデューティーな生地を使えば、ミシンの針が通らない。そこで、インディーズのブランドは、学生服で有名な倉敷市児島地区など、戦前から軍用ミシンがある伝統的な繊維城下町で、こだわりの生産体制をとっている」のだそうだ。

「日本人ほど、ジーンズのディテールにこだわる人種はいません。週末の僅かな時間に着るカジュアルなファッションだからこそこだわりたい。中国で大量生産される、メジャーなブランドでは飽き足らない。一癖も二癖もあるマニアたちが、和製のインディーズブランドを台頭させた」のだと、佐藤は言う。

「最初は、垢抜けない感じの青年が、店に通う間にどんどんファッショナブルに変身して行く。ウチの常連になった頃、遂に、彼女を連れてきたりすると最高に嬉しい!」と、ボスのニックネームで呼ばれる大柄の佐藤が、自分のコトのように微笑む。
(花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略)

【事業概要】つくば市古来758―1。電話029・863・5545。1994年創業。資本金300万円。ブルージーンズなどアメリカンカジュアルといわれる、流行に左右されない分野のファッションにこだわるショップ「デルボマーズ」、「ザ・ウォーリアーズ」を展開。取り扱いブランドは、ドゥニム、リアルマッコイ、東洋エンタープライズ等。ショップ・デルボマーズ http://www.delbombers.net/ 


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