株式会社葡萄の実代表
取締役社長・馬場剛さん

イタリアのマンマの味

葡萄の実代表取締役社長の馬場剛さん
本格的なイタリア郷土料理店を、つくば市に開店して十五周年。株式会社葡萄の実・代表取締役社長の馬場剛(一九五八年生まれ)の「よくここまでたどり着いた」という流転の人生を聴いた。高エネ研の研究者だった父の影響で、物理学者を志望。学生時代「お前の実力で、物理で食べていくのは至難の技だぞ」と忠告してくれたのは、師と仰ぐ高校時代の先輩。バイトで始めたレストランの雰囲気が気に入り、大学を中退しようと考えた。が、父親が「とにかく一度決めて入学したのだから卒業はしなさい。そうしないとすべて中途半端になる」との助言。

大学を卒業し、晴れてプリンスホテルに新卒入社した馬場。しかし、憧れていたホテルの料理人は、ほとんど調理学校の卒業生で占められ、大卒はお呼びではなかった。失意の馬場は、ボーイ稼業に飽き足らず、一年で退社。青山の地中海料理のレストランに転職。そして、二十八歳まで洋食を学んだ。一通りこなせるようになった。しかし、物理の道を諦めてまで飛び込んだ飲食業界だったが、「どこかが、目指していたものと違う。本格的なイタリアンを究めたい」と、迷い始めた。

再び先輩に相談。その斉藤寿朗は、そのころシンガポールで商社を経営していた。「いきなり、イタリアに飛び込んでも言葉もできないし相手にして貰えないぞ。おれが、ロンドン大学に入る前に通ったロンドンの英語学校には、イタリア人が随分留学していたぞ。馬場も、まず、ロンドン近郊のヘイスティングスの語学学校で英語を学べば、イタリア人とのコネクションもできるぞ」と、帰国子女ならではのリアルなアドバイスをしてくれた。

青山の地中海レストランを辞めロンドンへ語学留学の旅に出たのが二十八歳の時。海岸リゾートの街・ヘイスティングスでのホームステイ生活は、馬場にとっては、まさに夢見心地。先輩の斉藤が言う通り、クラスメイトの半分はイタリア人。気の合ったペルージャ大学の生物学の教授・フランチェスコと毎晩「パブのはしご」を続けた。

一年間の語学留学期間は、夢のように過ぎた。クラスメートたちも次々とヘイスティングスを後にする。馬場にとっては、これからが本番である。意を決して、大きなリュックを背負い、フランス経由でイタリアのジェノバに入った。

その夜、飛行場はストライキで、店はすべて閉店。イタリア人たちは次々に家族の迎えが来て帰って行く。映画「ターミナル」のトム・ハンクスではないが、一人シーンとしたロビーに取り残された。やっと見つけ出した自動両替機でリラを獲得し、タクシーで市街地に向かった。「殺風景な空港のロビーが、自分の描いたイタリアの陽気なレストランのイメージとあまりにかけ離れていて、この先お気に入りのレストランを見つけて料理人の修行など果たしてやって行けるのか不安になった」。馬場のイタリア初夜であった。

イタリアのマンマの味

イタリアの古都ペルージャにあるリストランテ・デル・ソーレの本店。遠くアッシジが見渡せる。ここに馬場さんの部屋もある
真夜中のジェノバでその夜の宿を探して歩いた。ヘイスティングスの英語学校で、イタリア人のクラスメート達とは、イタリア語で話したりもしていたが、英語の助けなしとなると、相手のしゃべっている本場のイタリア語がサッパリ判らない。やっと見つけた一つ星ホテルのシャワーの出は最悪。自分の人生の今後暗示しているかのようであった。

翌日から、レストラン巡りである。気に入ったレストランを見つけると、片隅の小さなテーブルで食事をして、食べ終わるとおもむろに「厨房で料理人の修行したい」と切り出す。「中国人は、お断りだ」と、チャイナレストランの台頭に悩むレストランのオーナーたちからの紋切り型の返答であった。

やっと一軒だけ、試しにと厨房に入れてくれた店があった。リストランテ『ゼッフェラーノ』のオーナーは、外国人のためのイタリア料理研修機関イチフ協会の会員で、日本とも交流の経験があったという偶然。しばらく修行をさせてもらった後、オーナーが懇意にしているイタリア全土の八軒のイタリアレストランのリストと推薦状までもらった。

イタリアン修行の旅路は、やっと佳境に入ってきた。「ミラノやローマにも行ってみたが、どうも都会はしっくりこない」。ふと、英語学校時代、毎晩「パブの梯子」をした飲み友達、ペルージャ大学の教授フランチェスコを訪ねることにした。

サッカーの中田英寿選手の移籍で、今では日本でも有名になったペルージャの街だが、ローマより古い歴史的な田舎町である。駅に着くなり電話したら、フランチェスコ教授の方がビックリである。すぐにクルマで迎えに来てくれて、自宅のゲストハウスに居候させてくれた。

二日目の夜、教授が歓迎の夕食会に連れて行ってくれたのが、馬場の運命を変えた『リストランテ・デル・ソーレ』。

「一歩足を踏み入れると、まるで遺跡に抱かれるような雰囲気をイメージさせてくれる老舗のレストランです。大きなガラスの窓越しからは、遠くアッシジを眺めることがでた。昼夜を問わず、ゆったりと流れるイタリアの風を感じとることができた。これが、自分がずっと探し求めていたものだと直感した」

常連客である教授から店のオーナーシェフ、オルフェオ・マリエッティに、「イタリア料理の修行の旅にきている日本人青年だ」と紹介された。以来毎朝、ペルージャ大学に通勤する教授のクルマで送ってもらって、『リストランテ・デル・ソーレ』での修行が始まった。

水を得た魚といった感じで、猛烈に働く馬場に対して、しばらくするとオルフェオ夫妻が「自宅の子供部屋を開けたから自分の部屋として使ってくれ」と言ってくれた。家族の一員となったのである。そして、「腕をつけるのも大事だが、とにかく自分の舌ですべてを吸収しなさい」というオルフェオ夫妻。あらゆる食材から料理、ワインまで、とにかく口に触れさせ、食させ教え込ませてくれた。

つくばの父親から、レストラン用に借りられる土地が見つかったとの電報が届いたのが、馬場が日本を旅立って三年目である。帰国して、つくば市東平塚で開業し、以来十五年間毎年一月と八月には二週間ずつ、ペルージャの「リストランテ・デル・ソーレ」のイタリアでの馬場の部屋に通い続けている。

五年前には、つくば市手代木地区に現在の自社物件を持ち、文字通りのオーナーシェフとなった。「イタリアのマンマ」を標榜して、店内の絵画や調度品、食器、グラス類をはじめカトラリー、クロスや小物、機械他タイルに至るまですべてイタリアから運んできた。「リストランテ・デル・ソーレ」姉妹店として、つくばとペルージャとで、距離は離れていても、いつも一緒に魂の時を刻んでいる。
(花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略)

【事業概要】〒305―0834、つくば市手代木356―5、電話029―839―5959。1991年6月設立。資本金1000万円。『リストランテキッコ・ドゥーバ』と『ピッツェリアデルソーレ』をつくば市で開業。イタリアペルージャとの交流を密に保ちながら本場のイタリア料理を初めワイン、エスプレッソに至るまで、イタリアならではの食の文化を紹介し、また、情報の発進地としての役割を提供。http://www.chicco-duva.com/

BACKHOME