きっかけは、科学万博!

科学万博・政府館のコンパニオン制服のクリーニングを会期中180日間、連夜の徹夜でこなした日のことを昨日のことのように語ってくれた鈴木さん
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「始まる前も終わった後も科学万博」のキャッチフレーズで、開催された『科学万博つくば85』。実際、十六年たった二〇〇一年の元旦には、『ポストカプセル2001』に厳重に防腐保管された三百三十六万通のうち、筑波学園郵便局の想像を絶する尽力により、何と三百三万通が無事配達されたという。この、快挙を誰よりも喜んだのは、科学博の広報担当の参事を務めた賀田恭弘その人であったろう。そもそも、銀座ソニービルの三十坪のスペースで、週替わりのイベントを手掛けてきたソニーの名物プロデューサーであった賀田は、ソニーの創業者・井深大に頼み込まれ、科学博を担当することになった。
(財)国際科学技術博覧会協会の本部は、日比谷公園に面した富国生命ビルにあった。日本プレスセンターの隣という広報活動には便利な場所である。しかし、現場主義の賀田は、都心で安楽な仕事をするのではなく、「三十坪のプロデューサーから三十万坪のプロデューサーへ」のキャッチフレーズを引っさげて、陸の孤島つくばに現れた。一九八〇年九月には、早くも学園都市記者クラブのある研究交流センターの片隅に、連絡事務所を開き、とスポークスマンとしての積極的な広報活動を第一号スタッフの斉藤秘書と二人で展開した。「家も大田区から会場に少しでも近くに、とばかり松戸市に転居してこの国家的事業に全身をぶつけて取り組んだ」とのことである。
その賀田恭弘も今月四日に逝去された。二〇〇五年に貰った彼からの最後の年賀状には、「TXの終点『つくば』駅の二つ手前の駅が『万博記念公園』駅。これで、『万博』の名は永久に残り関係者として喜んでいます」と、書かれている。茨城県民は、それぞれの科学万博を、心の中に大切にしまっていることであろう。それだけ、筑波プロジェクト史の中で、巨大なマイルストーンを形成しているのである。(賀田の秘書だった斉藤は、現在、つくば市東新井で、兄と伝説の店、『BAR KAICHI(嘉一)』を開いている)
さて、今日の主役、有限会社学園化学クリーニング・代表取締役の鈴木富夫(一九四四年生まれ)もまた、果敢に万博に挑んだ男の一人である。つくば市の豊里地区出身の鈴木は、五人兄弟の末っ子で、都内の大手リネン会社に就職し、順調なサラリーマン生活を送っていた。三十代に入り、結婚し子供もでき、会社でも部下も増えてきた。高度成長期の絵にかいたような都会生活は、田舎育ちの鈴木にとって、いま想い返しても理想的な人生であった。
そんな時、故郷の母親が亡くなり、父の面倒を兄弟の誰かが見ることになった。気のいい末っ子の鈴木は、「茨城に行くのが大反対の江戸っ子の奥さんを何とか口説いて、故郷に戻ることになってしまった」が、昭和五十年ごろの筑波地区は、正に球形の荒野。やっと学園都市がその姿を、砂漠の蜃気楼のように現し始めてはいたが、大した求人もなかった。半年程、職探しをしたものの、鈴木は地元で今さらサラリーマンに生活を見出すことが、ほとんど不可能であることに気付かされた。
「雇ってくれる所がないので、何か自分で仕事を始めるしかない」と、やむにやまれぬ創業であった。前職のリネン会社は、全国の病院のベッド関連用品の販売・メンテナンスをやっていた。やってきた業務に関連性のある一般のクリーニング業なら、今後、筑波学園都市もできるので需要があるのではないかと鈴木は考えた。「社名は、研究学園都市に因んで『学園化学クリーニング』にした」と。
筑波大の追越宿舎と平砂宿舎の間を通り抜けていた旧道を、一時間に一本の関東鉄道バスが、砂煙を上げて通り過ぎる時代。学園化学クリーニングのロゴを刷り込んだワゴン車を、その旧道に路駐して、学生向けに移動店舗を作ってみたが、当時、「ジャージで講義を受ける」と揶揄されていた筑波大生たちが顧客になろうはずもない。徐々に、移住してきた公務員たちの団地近くのスーパーなどに次々と取次店を出してみたが、奥さんたちからは細かい注文ばかり多く、売上は鳴かず飛ばず‥。
「脱サラして、田舎に帰ってきたことを後悔する日々が続いた」が、そんなとき、科学博覧会の仕事にぶつかったのである。それは、政府館のコンパニオンの制服のクリーニングという特大の特需であった。 (後半に続く)
きっかけは、科学万博!

一度に16枚の布団が丸洗いできる最新装置の前に立つ鈴木さん
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国際博覧会協会が内幸町の富国生命ビルで準備を進める様子が報道されたのを新聞で読んで、鈴木は、都内での経験を生かして、早速飛び込み営業開始。
最初は、剣もほろろであったが、週一回のペースで数カ月間通ううちに、茨城県警から出向していた担当者と懇意になった。「田舎の業者に本当に綺麗に洗えるのか?」の空気が支配する中、実践のテストが行われた。
「たまたま都内の最大手業者が失敗し、お鉢が回ってきた」と、鈴木は当時を振り返り、笑ってみせる。開幕寸前に地元クリーニング業者の組合が結成されたが、入札の末、学園化学クリーニング社が、仕事をつかみ取った。
会期中、数百人の協会コンパニオンのユニホームを毎日洗うのである。連日の徹夜で、この重大な仕事をこなした鈴木が、今悔やむのは「忙しくて、結局どのパビリオンも見学できなかった」こと。
万博で得た利益で、委託の取次店ではなく、アフターサービスを充実させるための直販店に切り替えていった。そして細かいクレーム処理に対応したのだ。しかし、「次々と後発業者が現れては、安売り競争を展開する」のに嫌気がさし、何か薄利多売にならない特徴ある柱はないかと探していた時、「布団丸洗いサービス」にたどり着いた。
水でダニの死骸を洗い流す方法を研究した。油を使うドライクリーニングではなく、水で丸洗いできる巨大装置を設置。さらに、食品の殺菌などに安全のため使われていた貝殻の粉に目をつけ、試行錯誤の末、遂に防ダニ加工の技術開発に成功した。
ある日、TBSから電話があり、同社のテレビショッピングで、「布団丸洗いサービス」を商品として採用したいと言ってきた。「ホームページを見比べた結果、防ダニ対策をしているのは、ウチだけだったそうです」と。今は、花粉症対策を光触媒で行うサービスも追加した。お陰で、日本全国の家庭から、様々な布団が、つくば市の同社工場に送られてくるようになった。中には、三代にわたって使ってきたという明治時代の布団が来ることも珍しくない。「今では、見たこともない当時の化繊の布を洗わねばならないこともある」という。
「繊維製品品質管理士」という耳慣れない資格の取得のために次女の芽未が挑んだ。五年間学校に通って、やっと取得したこの資格のお陰で、現在では、繊維メーカーの担当者とも対等の議論ができる。
今月亡くなった万博協会の名物参事・賀田恭弘たち日本を代表するイベントマンが、あらゆる知恵を絞り出し、八千億円の巨費を使って開催した科学万博。彼らが回したセルモーターは、つくばプロジェクト本体のエンジンを確実に駆動させ続けている。二十年以上たった今、TX開業により、そのエンジンは一気に加速し始めた。そして、鈴木の学園化学クリーニング社のエンジンもまた、全国制覇のレベルまで回転数を上げた。
(花山 亘 つくばベンチャー協会事務局長、NPOつむぎつくば理事、敬称略)
【事業概要】有限会社:学園化学クリーニング
http://www.gakuenkagaku.com/ 〒300―2647 つくば市手子生1046―2 電話:029―847―3205 FAX:029―847―9012 設立:1976年6月17日 資本金:1500万円 代表取締役:鈴木 富夫 事業:つくば市を中心に、クリーニング店23店舗を展開。さらに、『お布団丸洗いサービス』を、全国展開している。お引き取りサービス付きのこのサービスは、TVショッピング等を通じて、大好評となっている。
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