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| 関口醸造 | ||
| 自分の土俵で勝負
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七年前までの「どうしようもない状況」から急速に業績が回復した。成功の秘けつは自分の土俵で相撲を取ることと、わずか一人か二人の有能な人材を外から登用したことにあると関口社長。「中小企業だからこそ短期間に再生する可能性がある」と話す。 創業は大正時代。祖父がしょうゆ店を開業し、後を継いだ父親は、農家の余ったコメをしょうゆと物々交換。せんべいを作ってリヤカーで売り歩いた。 ◇ 会社が飛躍する最初の転機は八三年。父親のせんべいに惚れ込んでくれた菓子問屋のトップ営業マンを役員に迎え入れたことという。会社に初めて、販売のエキスパートが加入。流通業界の人脈が豊富でセールスのノウハウを熟知し、売り上げは四、五倍に伸びた。 次に会社は新商品を開発。やわらかいせんべいを他社に先駆けて売り出した。当時、常識破りとしてマスコミにも取り上げられたが、すぐに他社が参入、コスト面で大手にはとてもかなわないことを痛感した。 追い詰められたとき「うちはしょうゆ屋だ。ここにはおいしいコメがある。百人のうち二人がおいしいと言ってくれればいい」と原点に立ち返った。減塩でソフトな食感が求められた嗜好に逆行、しょうゆの匂いがぷんぷんするしょっぱくて固い昔ながらのせんべいを作った。コンビニに売り込むと、年配の人には懐かしい味、若い人にはインパクトが強い新しい味として受け入れられた。 当時はのるかそるかの決断だったが「小手先でなく、本物にこだわれば顧客の満足度は高い」と後から気付いたという。 ◇ 第二の転機はコスト削減に成功したこと。ハローワークで募集し、大手化学工場を定年退職した元工場長を迎え入れた。当時、品質は高かったが、せんべいは製造途中で割れやすく歩留まりが悪かった。元工場長は従業員の意識改革を図ると同時に、工場の製造工程一つ一つをデータ化、せんべいが移動するベルトコンベアーの段差を無くすなど、一つひとつ改良を重ねていき、生産性は驚くほど向上した。 現在、町でトップクラスの企業に成長。工場直営の売店には、東京からせんべいを買いにファンがやって来る。 二〇〇七年を目途に新工場を建設し、売り上げを倍増するのが目標だ。 【メモ】明野町海老ケ島一六五二。関口恭史社長。資本金千三百万円。従業員百八十五人。年間売り上げは関連会社を含め十八億五千万円。一九二三(大正一二)年創業。 |
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