| 坂本屋 | |
| コンセプトは「かえる」 着物文化の伝承と新たな提案 |
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新店舗のコンセプトは、 (1)替える(染め、仕立てなどの再生) (2)変える(ライフ生活提案) (3)代える(伝統文化の伝承) (4)還える(和と心の融合) (5)返える(日本文化への帰趨=きすう) (6)帰える(着物産地の里帰りツアー) (7)買える(手軽に買える) ―という七つの「かえる」。 共通して、タンスに眠る着物をよみがえらせ、二十一世紀の世界に羽ばたいてほしいという願いが込められている。 「タンスから着物を引き出して眺めるだけで、さまざまなことを思い出す。色、ぬくもり、母親のにおいなど、記憶に残るものが浮かんでくる。日本人だけが持つ感性ではないか」と、飯塚常務は語る。 一般の人は、着物が日常生活から離れたものとなっているのは否定できない。「あこがれ、親しみを感じている人はたくさんいるが、着るのが面倒、活動的ではないという理由で遠ざけている人もいる。社会変化のスピードが早い時代なので、ゆったりやっていられない。それだけでは精神的文化が寂しい」と、着物文化の見直しを力説する。 □ 一方で、伝統という名に縛られた着物の独自の流通経路があった。産地・メーカーが一方的なものづくりを行うものだった。もう少しお客様の声を反映させた着物作りを提案しても、小さな小売店の要望を聞き入れてくれる業者ばかりではなかった。 「着物を着る側とをつくる側の間にある隔たりを感じた。もっと、気軽に着る側の思いを反映させた着物づくりはできないものか」と、飯塚常務はこの十年、着物文化を見直して全国に発信しようとさまざまなイベントを企画してきた。 最も力を注いだのが、「坂本屋オリジナル工房」を十一年前に設立したこと。京都の無地染め、友禅、金彩、帯物工房などの協力を得て「夢の蔵」と名付けた荒川沖商店街の本店で、各産地の職人を招いたイベントを行うようになった。それは、着る側とつくる側の距離を縮める努力だった。「かえる屋は、着物を通してお客様に和の心を思い出してもらう場所。着物に関する相談を受け付け、提案も行っていく」と、今後の抱負を話す。 □ 初代の静夫氏が店を開いた当時は、荒川沖西口は水戸街道の宿場町として、商店街もにぎわっていたが、時代とともに状況も変わってきた。一九八一年に、荒川沖東口再開発でショッピングセンター「さんぱる」がオープン。荒川沖は西の商店街、東のさんぱるという商業エリアになった。 「荒川沖の商業者はさんぱるを大切にしていかなければならないと思う。絶えず努力し、さんぱるを良い施設にすることが、荒川沖のよい街づくりにもつながる。改装はその思いもあって踏み切った」。 着物文化の伝承と新たな提案と、荒川沖商圏の再活性化。二つの命題を抱えて飯塚常務の挑戦が始まった。 【メモ】本社・土浦市荒川沖西2の12の3。飯塚久二社長。1924(大正13)年4月創業。資本金1000万。社員8人。 | |