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| 郵政民営化問題が再び熱気を帯びてきた。先の参院選で大苦戦した小泉内閣が政権浮揚の重要な手掛かりとして全力投球の構えを見せているためだ。八月の経済財政諮問会議で集中討議を重ね、九月の内閣改造人事決定前に、民営化の具体像を提示するという。そして、新設する郵政民営化担当相には、今や首相の腹心ともいうべき竹中平蔵・経済財政金融担当相の就任が確実視されている。 しかし、選挙を経た今、「そもそもなぜ民営化なのか」を問う声が次第に大きくなってきたことは要注意だろう。民営化反対の自民党郵政族議員がそれなりの得票で当選したこともあるだろうが、小泉流の改革手法やスタイルでは十分な「改革」の成果は望めないとする国民が増えたことが大きい。 郵政民営化問題でいわば原点回帰ともいうべき議論が再燃してきた理由は何か。第一は、「官から民へ」という改革の大原則の周知不徹底。第二は、郵便、郵貯、簡保という三つの異なる郵政事業を一体化したままでの民営化論の限界、第三は、「論点整理」で示された郵政ネットワーク維持という不透明な指針による議論の混乱である。 第一の点は、巨額の郵貯マネーが流れる先の特殊法人や公的機関の改革問題とも直結するが、こちらの「出口改革」は先の道路公団改革にみられるように不徹底きわまりない。国民の目からみれば、族議員たちの利権に十分メスを入れず、役人主導の非効率な組織の温存を許してきた小泉流のやり方はもはや信用できないというところだろう。 郵政民営化で言えば、「公的マネー」の非効率や民業圧迫の歪められた現実をもっと正確に国民に説明し、民営化することによるメリットを十分理解してもらう努力を怠ってきたとも言える。まさに、年金改革問題などで批判された説明責任の欠如である。 また、郵政改革はそもそも、万年赤字体質の郵便事業と、政府保証の特権に守られた郵貯・簡保の金融事業とを切り離して議論すべきであった。公益的な色彩の濃い郵便事業はむしろ官業として残す選択もあったはずだが、これまでの民営化論はその点を意図的に素通りしてきた。内閣府の素案では、具体的な民営化組織として、持ち株会社方式による三事業会社の新設を考えているようだが、同じ傘の下での連結経営であれば、本当の「分割」とは言えない。 そして、竹中氏が提唱して「論点整理」に盛り込んだ窓口ネットワーク論は、結果的に郵政事業の地域分割論を強引に封じ込めた。その代わりに、ネットワークを生かす方策として地方自治体の代行サービスやコンビニとの事業提携などへ議論を誘導する形となっている。しかし、そうした新サービスによって新会社の経営が果たして成り立つのだろうか。 また、ネットワーク論の提示によって、結果的に「民営化するのだから、何でもやらせろ」という、郵政公社や総務省が主張する業務務拡大論を勢いづかせる結果となり、民営化論全体の議論の混乱を招いたことは否定できない。 竹中氏は「民営化しても郵便局はなくならない」と言うが、これは詭弁としかいいようがない。完全な民営化会社に移行すれば、不採算店舗を合理化するのは経営の常識である。そうでないというなら、ネットワークを生かしつつ経営的にも儲かるしっかりしたビジネスモデルを早急に提示すべきだろう。 結局のところ、小泉内閣がいくら民営化すると豪語しても、新会社への政府出資分がいつまでも残り、国債運用を主体とする半官半民の「異質の複合体」ができあがるだけではないか。例えば、日本たばこ(JT)は、いまだに政府出資が残る「民間会社」だが、国内産葉たばこの買い上げを義務付けられるなど、完全な自由を得ているわけではない。 曖昧模糊とした中途半端な「民営化」ほど有害なものはない。ここは、例えば郵政職員の公務員資格解除を民営化以前に早期に実行するとか、三事業会社の完全分離、地域分割による地域金融機関との事業提携といった斬新なプランを提示して、民営化が日本経済にとって本当にプラスになることを、もっと積極的にアピールすべきであろう。そうでないと、郵政民営化論議は果てしない迷路に迷い込む危険が大きい。 |
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