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経済評論家 原田淳也
「格差社会」で後戻りは許されない

企業や家計の間の「格差拡大」の問題が今、「小泉改革」との関連で大きな議論になっている。企業間の「勝ち組、負け組」論から、最近では「所得格差」や「雇用格差」、果ては「学力低下」に伴う「教育格差」にまで議論の裾野が広がっている。

国会論戦を見ても、野党側の主張には「小泉改革」の競争至上主義や市場万能主義が格差を拡大したとする論調が多い。だが、「格差社会」論を冷静に考える上での要点は、@小泉政権が実行した構造改革によって本当に「格差」は拡大したのかAそもそも「格差」の存在は許されないのか、また、許される場合の限度は存在するか、という点だろう。

第一の点は、いわゆるジニ係数(所得分配の不平等の度合いを示す指標)の上昇について、比較的所得の高い高齢者層のウエート増大が原因だと、内閣府が説明したことで議論は混乱した。小泉首相らはこの統計分析をもとに反論しているが、そもそもジニ係数自体が貧富の格差を正確に示しているわけではない。

専門家によれば、少なくとも家計所得の「格差」はこの十年間を見る限り、明らかに拡大している。ただ、それが「小泉改革」によって直接引き起こされたかどうかははっきりしない。あるエコノミストの試算によると、「勝ち組」とされる特定の業種や企業に属する人たちと、そうでないその他大勢の非製造業やサービス業に従事する人たちとの間で、企業が支払う一人当たり人件費を比べると、前者はわずかながら増加したのに対し、後者は九四年以降「減少」に転じたという。小泉内閣のスタートは二〇〇一年である。

つまり、トヨタや新日鉄などの輸出関連企業や世界のITサイクルに連動するハイテク・IT関係企業など一部の「勝ち組」企業に富が集中し、その他大勢はそうはならなかったというだけの話である。企業はこの間、大幅なリストラや人件費節減で自律回復を遂げたが、それはあくまで全体の平均的な話であって、「負け組」の企業や業種はまだ水面上に浮上してはいない。

従って、「所得格差」の拡大は、企業間の競争とリストラの度合いによって生まれたというのは正しいが、「小泉改革」が直接の原因というにはやや無理がある。もっとも、強引な「金融改革」で銀行の不良債権先を倒産に追い込んだという側面はあるが、「改革」がなくても、そうした「負け組」企業はもともと自然淘汰される運命にあったとも言える。

第二の点は、「小泉改革」の出発点を振り返ると、問題の所在が明確になる。官依存型の公的経済が幅を利かせ、政治家や官僚が何事も決めていく日本型社会の改革を目指し、「結果の平等」より「機会の平等」を目指したのが「小泉改革」であった。その背景には膨大な国家債務と国民の将来不安があったことは忘れてはならない。

その「改革」が中途半端でいまひとつ徹底できていないという問題は確かにあるが、企業の優勝劣敗によって「格差」が拡大したから、「改革」をやめよという結論にはならない。問題はその「格差」の度合いが許容限度を超えているかどうかだが、政府としてはそうしたナショナルミニマムについての制度的な保証を整備することは必要だろう。敗者の再チャレンジの機会を保証するための制度的な検討が進められているが、小泉改革ではもっと早くそうした取り組みに着手すべきであった。

今起こっている社会的な「格差拡大」が主として、企業、業種間の格差に基づくものであれば、それを縮小していくには、雇用、労働面での柔軟性を取り戻すしか方法はない。最低雇用保障や労働移動のための職業訓練などを企業側に強く要請し、「勝ち組」への富の集中をできるだけ分散するような仕組みをもっと真剣に考える必要がある。「格差」を理由に時代の歯車を元に戻すようなことだけはしてほしくない。




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