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経済評論家 小倉 豊
日銀総裁が信頼失えばおしまい
世間知らずか投資問題への対応

村上世彰氏率いる投資ファンドへの出資が表面化した後の福井俊彦日銀総裁の対応には、目を覆いたくなる思いだ。そこには、「法王庁」とか「御殿女中の集まり」とか評される、日銀の浮世離れした負の体質が如実に表れている。

時間はさかのぼるが、自社のトップがリクルート疑惑に巻き込まれた経験を持つ企業の幹部が感想を語ってくれた。「トップ自身のプライベートな投資問題だけに、事務部隊は記者会見の想定問答も書けなかった。組織の信用を背負ったトップが世論に打たれっぱなしで、社内では、早く職を辞して欲しい、という空気が濃くなって、結局退陣に追い込まれた」。だが、日銀は、上を見て仕事をする「ヒラメ」幹部が極端に優遇されるせいか「法王」の失態への不満の声すら漏れてこない。

福井総裁の公の発言は、まるで歌舞伎役者が舞台で見えを切っているかのように芝居がかって聞こえる。例えば「金融政策は政治的な思惑と圧力から完全に切り離されている」というが、政治の影響を「完全に」排除できる公権力組織がこの世に存在するはずがないではないか。

二〇〇〇年春、速水優・前総裁はIT(情報技術)景気の盛り上がりをばねに、ゼロ金利解除の下地作りを急いだ。当時、政府・与党の権勢を集めていたのは野中広務・元自民党幹事長。速水氏は野中氏の了解を取り付けるため、極秘に二人だけで話す機会を探った。当時の側近によれば、故小渕恵三首相の葬儀の場で、あいさつを装っての会談を狙ったが、結局は実現せず、解除は八月にずれこんだ。日銀が独立性を強化しているのは事実だが、それが「完全」になる時は永久に来ないと断言できる。

総裁就任後の投資継続は「不適切だった」と認める総裁に、政府・与党は、辞任する必要はないと援護する。この借りは心理的なものも含めて、総裁だけでなく、日銀の永田町工作部隊に重くのし掛かるのだ。

福井総裁の村上ファンド投資問題が表面化する前には、ゼロ金利解除は七月十四日の政策委員会で決まると見るのが市場の大勢だった。だが、その見方はゼロ金利継続を望む政界の思惑を横目に見て、急速にしぼんでいる。市場は、多かれ少なかれ、日銀が政治の圧力に抗し難くなったと感じており、日銀の信任は落ちている。

福井総裁が、金融政策の理解と操作方法について第一人者ということは確か。また、七年で千四百万円という「利益」も、日銀総裁の名誉と天秤にかければ余りに小さく、金もうけ疑惑は当たらないだろう。だからといって、福井総裁が「職責を全うする」のが自然というわけではない。

福井総裁は、運用益は「たいした額ではない」ととぼけた国会答弁をしたり、唐突なファンド解約について「村上前代表に対する志が薄れる臨界点が今年二月だった」という文学的言辞を平然ともてあそんでいる。それに対する国民のいらだちが分からないままなら、問題の幕が引かれることはないだろう。



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