『茨城の郷土史』
著者履歴 あとがき 構成(もくじ)
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著者略歴

大野 慎
 茨城県筑波郡谷田部町下平塚出身。明治35年5月22日生。旧制県立土浦中学校卒(20回)後独学。新聞記者を経て昭和9年より著述に従事。『水戸学と新日本論』『水戸学講話』『藤田東湖の生涯と思想』『金沢正志新論の研究』『勤皇維新史話』『理想なき民は滅ぶ』その他の著書を出し戦後著述家追放令に遭う。
 戦後厚生省嘱託、中央競馬会嘱託を経て社団法人日本家畜商協会専務理事・同家畜取引基金協会副会長・同中央畜産会常務理事・同日本馬事協会理事のほか、畜産関係財団法人・株式会社数団体の役員兼務。農林水産省農業者大学校講師。欧米視察旅行2回。郷
里小学校に大野文庫創設。昭和47年勲四等瑞宝章を授与さる。



あとがき

衆議院議員 赤城宗徳
 大野慎さんといえば畜産界の大御所とばかり心得ていたのだが、常陽新聞に茨城県の歴史を掲載されたのをみて意外な感じがした。
 しかもその歴史たるや古代からはじまって平安朝、戦国時代、更に徳川幕府時代を通じての茨城県の歴史であるから、なまはんかの歴史通では、とうてい及びもつかない企画だったと言えよう。
 徳富蘇峰も膨大な日本国民史を書きあげた。その大事業には全く敬仰の至りだが、大野さんの茨城県史をそれと比較するのは無理なのかも知れないが、ともかく立派なものである。
 茨城県史については、前の後藤茨城新聞社長の「常総物語」がよくまとまった立派な著作である。大野さんの県史はそれと趣きを異にしたものとして、また立派な力作である。
 いままで茨城県、郡、町村などの郷土史は沢山あるが、この著書は日本全体の歴史からときおこし、その中で茨城県の当時の在りし姿を記述しているのだから、その時代層の中での茨城県の様相がよく伺える。したがって多くの郷土史家の茨城県史と違って日本歴史もよく了解される上に、更に県史も知り得るので、日本歴史読本としても県民史読本としても立派な成果を果している。それだけに著者の資料蒐集から資料や系統の整理など、一方ならぬ労苦もあったと思われる。
 わたしも平将門を書くに当たって資料が少なく、その少ない資料を集め整理するのには苦心した経験がある。聞いたところ大野さんは、三、四十年前からたんねんに資料を蒐集し、資料も個人所持のものまで集めてきたというのだから、大きな苦心の集大成とでもいえよう。それを整理するのもひと骨だったと思う。そして書きあげたのであろうから、一面学究としての著者の評価も認められるのではないだろうか。
 茨城県の古い資料としては「常陸風土記」もあり、神社としては伊勢神宮につぐ鹿島神宮という古い神社の資料もあるが、その頃からの県民史を執筆しようというのだからこれまた趣味などでできるものではなく、学究者としての労作でもあろう。
 大体、歴史書には歴史としての評論を兼ねた史伝的なもの、例えば、神皇正統記、大日本史あるいは日本外史のようなものと、他には、史実を精確に記述した前記の日本国民史的のものとかがあるが、何れに重点を置いているかによって、史論と史実とに分け得ると思う。史論としては、相当の政治的見識も必要であり、後世に残るような史論は少ないのではなかろうか。中国では「史記」が有名であり、経済史としてはマルクスの「資本論」、河上肇の「資本主義経済史」があげられよう。
 史実としての歴史には古い資料が散逸していて、その正確さをつかむことに困難さが伴うであろう。
 大野慎さんの茨城県史は、史実として記述されていると思うが、その点ではもっとも正確さをもっているものではなかろうか。それは史実を多くあつめ、史眼からもその選択に的をはずれていないからではないかと思う。妄言多謝。
   昭和五十五年二月



構成(もくじ)<

 上 巻

平安時代
 支配体制強めた大和朝廷/平高望、常陸に赴任/高望、従二位へ破格の昇叙/将門、母の勧めで上洛/貞盛、叔父らの尻馬に乗る/脚気全快した将門が反撃/退けられた経基の告訴/霞ケ浦の湖賊を動かす/将門、遂に板東を平定/貞盛に将門追捕の官符/38歳、平新王将門死す/将門勢にいた修験者一党/民衆を畏怖させた将門の霊/「逆賊」ときめつけた将門記/執権・北条時頼の温情/明治政府は“逆賊”扱い/「蓮阿弥陀仏」の再建成る/東京名所になった将門塚/貞盛、地方官を嫌い上洛/仕官に役立った身分保証/維幹、常陸大掾の宗家継承/祖父国香の私田を継ぐ/平忠常、安房国衙を襲う/維幹、忠常追討に協力/維幹の子孫、常陸に分立/「勘中記」、当時の世相示唆/平氏と対抗する源氏出現/頼信の子義政、国井氏名乗る/常総地方からも多数従軍/義家、清原家衡らを攻める/朝廷、源家の武勇認める/常陸大掾家と姻戚結ぶ佐竹氏/東城寺に経筒を奉納/藤原同族間で勢力争い/義朝が仕掛けた「平治の乱」/常州三郡領した栗原氏/平家に非ずんば人に非ず/頼政らの平家打倒ならず

鎌倉時代
 頼朝、鎌倉に居館を構築/頼朝、佐竹氏討伐へ/浮島の志田氏、頼朝打倒へ決起/木曾義仲、頼朝と和解す/三十歳、血気に走った義仲/結城朝光ら頼朝に忠誠誓う/頼朝、朝廷威圧の挙に/義経自害、奥州藤原氏も滅亡/頼朝の信頼厚し八田知家/義幹、常陸大掾罷免さる/“院の執権”丹後局あり/落馬し負傷の頼朝死す/頼家の家督、実朝嗣ぐ/尼将軍政子、父の陰謀排除/親鸞上人、常陸に移住/実朝、公暁に刺殺さる/北条義時、三上皇を遠流処分/豪族らの出家あい次ぐ/親鸞常陸を去り京へ/北条時政、独裁体制を確立/将門の霊を慰めた時頼/笠間城主、時朝の死去/草履取りから国師に/真教上人、将門を供養/後醍醐天皇、討幕を計画/七万五千余の六波羅軍/第二次討幕計画も失敗/後醍醐帝、隠岐を脱出/名和長年、三千の幕軍に圧勝/鎌倉幕府、ついに瓦解/後醍醐帝、吉報得て上京/天皇親政、建武の中興成る

南北朝時代
 足利尊氏、朝廷に弓引く/尊氏、反足利党討伐へ/北畠顕家、東北経略奏功/楠木正成、湊川で討死/両朝並立の南北時代へ/北畠親房、常陸に入る/佐竹勢、神宮寺城襲う/親房「神皇正統記」著す/佐竹氏、念願の常陸守護に/足利勢、稲敷郡に侵入/小田城、ついに落ちる/関城めぐる攻防始まる/関・大宝両城ついに陥落/南北朝の一時和議なる/親房、尊氏あい次ぎ死す

室町時代
 話し合いで南北両朝統一を/反足利の小山義政挙兵/再び反抗の義政果てる/小田五郎藤綱、大義に燃ゆ/難台山城ついに落ちる/遂に南北朝の合一なる/佐竹氏の継嗣騒動起こる/義満、北山文化残し病没/常総の将兵、真っ二つ/真壁・小栗氏、反乱の挙兵/小栗、真壁両城遂に陥落/江戸通房が水戸城横領/戦乱、八溝山麓に移る/持氏、露骨に反幕の姿勢/結城氏朝ら反幕へ決起/上杉勢、結城城落とす/室町将軍、殺害される/足利成氏、上杉憲忠を誘殺/成氏、古河に公方府移転/多賀谷氏、下妻に築城

戦国時代
 応仁の乱、東西両軍激突/太田道灌、豊島氏を攻略/江戸氏に破れた小幡氏/山入父子、太田城乗っ取る/伊勢平九郎、決起す/佐竹一族の内乱終わる/小田政治、土浦城を接収/鹿島氏、同族間に内紛/富田昌幹、玉造氏と戦う/佐竹義篤、弟義元を討つ/大掾慶幹、小高城奪う/関義近、久慈郡に侵入/小山氏、柳橋氏を攻める/影虎、小田氏の寝返り怒る/土岐氏、東国にも繁延/成功した待ち伏せ攻撃/関宿城主七郎滅ぼさる/結城、小田両氏ら激突/謙信と信玄、川中島で激突/佐竹義昭、小田氏攻略を窺う/小田氏治、謙信に降伏/太田三楽斎、常陸に亡命/家康、松平から徳川姓に/氏治、新治郡青柳を攻略/結城晴朝、小田氏攻略へ/筑波郡内の戦乱続く/夜襲に結城勢総崩れ/小田城、佐竹氏の支配に/小田氏治、土浦城で滅亡/多賀谷氏、豊田攻略へ/飯見大膳、主君暗殺を決意/豊田治親、謀殺される/多賀谷氏、豊田家臣の嘆願のむ/北条氏尭、常陸西南部に侵入/織田信長、武田勝頼と激突/勝頼、天目山麓に散る/秀吉、ライバル勝家滅す/秀吉、徳川家康と和睦す/北条氏直、常総進攻に固執/園部氏、大掾清幹と交戦/江戸、大掾両氏で交戦/清幹、府中戦に敗れ降伏/秀吉、北条氏討伐を宣言/小田原本城ついに落ちる/佐竹氏、常陸の支配権握る/秀吉、結城に三日間滞在/佐竹義重、水戸城を掠奪/秀吉、朝鮮出兵で動員令/佐竹義宣、伏見城造営に従事/秀吉、家康らに後事託す/佐竹氏、石田三成に随従

江戸時代
 佐竹氏、秋田に国替えさる/水戸は佐竹氏国替えで混乱/家康、長福丸を水戸城主に/兄弟そろって常陸に転封/江戸城の増築工事なる/幕府、一国一城令を公布

常陸大掾家の系流
 八田知家の謀略にかかる/多気太郎義幹の失脚/小松内大臣の霊、常陸へ/馬場小次郎資幹が継承/那珂川流域に吉田三頭/足利氏に降り府中に築城/難台山戦で領地削らる/江戸氏に水戸城奪わる/佐竹氏に討たれて滅亡

佐竹氏系図

佐竹義重・義宣父子
 鬼の異名もった戦国武将/北条氏の圧迫に屈せず/陸奥・白河城を落とす/紛争つづいた白河城内/結城晴朝らと北条党攻め/米沢の伊達政宗と対立/白河口の攻防には敗退/北条党の土岐氏を滅ぼす/義重の子を岩城氏後嗣に/秀吉、義重の“非礼”許す/義宣、水戸城を奪い取る/兵五千率いて名護屋へ/引き続き伏見城造営に課役/領地五十四万余石賜わる/揺るがぬ天下八位の大名/三成、佐和山城に退去/領内の金鉱、接収さる/東軍か、それとも西か/「出羽に三十万石」の宣告/岩城貞隆、出羽亀田に転封/家康から国替宣言受ける/職人、商人らも大移動/新領は二十一万石に/下野の地に五千石加増/大阪両役に戦功あげる/義宣、寛永十年に逝去/秋田に残る“善政の跡”

保内郷の歴史
 “信仰の山”八滞を中心に/信仰を集めた八溝嶺社/依上保に北酒出氏を配す/源氏か上杉氏かで対決/依上保、白河結城氏の手に/佐竹義舜、依上保を占領

八田四郎知家
 頼朝や義経と異母兄弟/晩年入道し「尊念」と号す/父は源義朝、母は八田局/八田宗綱のもとで育つ/朝綱、頼朝挙兵に参陣/多気氏を滅亡に追い込む/筑波表の領地もらう/筑波望む四十八館領有

小田氏系図

小田天菴軍記
 渦巻く結城氏打倒の執念/海老ケ島城めぐり攻防/家臣ら多数を擁する/佐竹氏に圧迫される/結城晴朝、小田攻略を決行/一進一退の攻防つづく/夜襲成功、結城勢総崩れ/遂に太田三楽斎と激突/治高、瞬時に小田城占拠/しばし藤沢城にこもる/多賀谷氏の野望に歯止め/和泉守、天菴の要請をける/本拠を土浦城に移す/敵方に佐竹の援軍到着/藤沢城落ち土浦に孤立/三千八百人が土浦城包囲/“寝耳に水”の鉄砲攻撃/氏治の割腹自殺に異説/あり得ない秀吉の攻撃/やはり土浦落城時に滅亡/佐竹氏移封で小田廃城/下総地方にも残る事跡


 中 巻

徳川家康の家庭
 常陸、下総に深い関係/今川義元の死で解放さる/築山夫人、武田側に通諜/子供十六人中十二人が成長/関ケ原に勝ち天下の権を掌握/波瀾の、二女督姫の生涯/身辺警護つづけた伊賀者/水泡に帰した武田氏再興/病弱の武田信吉、水戸入り/乱行、怠慢の忠輝を改易/全国制覇の年、千千代丸出生/頼宣は紀伊、頼房を水戸へ

徳川頼房と光圀
 鶴千代のとき下妻城主に/水戸家老となった三浦為春/頼房に政宗の援護あり/頼房、忠宗と義兄弟の交り/正妻を娶らなかった頼房/「水戸を懐小刀とせよ」/頼房、著名な儒者を任用/頼房の世子争い続く/千代松、将軍家光と対面/兄頼重の子を後嗣に/遺領二十八万石を相続/西山荘建て修史事業に専念/湊川に「忠臣の碑」建立

笠間城主の変遷
 一三世紀に笠間時朝が築城/一七代幹綱、益子氏と対決/岩瀬の地で戦火まじえる/笠間氏、天正一七年に滅亡/永井氏の後任に浅野長直/日向から牧野貞通入封

信太荘と江戸崎
 紀貫之も詠んだ浮島の景/頼朝、地頭に紀貞頼配す/治頼治政下に全盛期(江戸崎城)/城攻めの佐竹氏らを撃退/佐竹勢一万四千騎で反撃/江戸崎城周辺で激戦/佐竹氏、弟盛重を城主に/丹羽長重の栄転機に廃城/まぼろしの竜ケ崎藩

牛久の歴史
 岡見一族が周辺を支配/岡見氏滅亡後は由良国繁/国繁ら岡見氏の菩提弔う/寛永六年に牛久藩再興/“最後の殿様”山口弘達

布川城興亡史
 戦後末期、豊島氏が拠る/豊島頼継が築城、城主に/奥山めぐり激しい攻防/豊島氏ゆかりの荒井一族/印西合戦の大将栗林義長/二代目城主頼重は討死/豊島明重、江戸城で刃傷

守谷城の歴史
 下総国相馬郡の中心地/相馬師常、将門の名跡継ぐ/多賀谷勢の攻撃くらう/藩主に本多三弥左衛門正重/寛永五年に守谷藩廃止

古河の歴史
 足利成氏が公方府設置/背景に上杉氏との抗争/北条氏康に攻撃される/城主に小笠原秀政置く/笠間から永井直勝入封/佐倉の土井利勝が赴任/藩主土井勝利を諌め自害/仁兵衛の忠死で利隆引退/土井家三代目に甚三郎/土井利益、鳥羽藩へ転封/異端視され続けた熊沢蕃山/土井氏、八十一年ぶり復帰/傑出した藩主利位/利位、幕府筆頭老中に/科学者大名だった利位/江戸から「盈科堂」を移す/傑出した鷹見十郎左衛門/版籍奉還時は八万石

結城城の歴史
 はじめに七郎朝光あり/朝光、出家し結城に隠居/後醍醐天皇から恩賞/氏家は下妻多賀谷氏の祖/五代貞広まで鎌倉幕府に/氏朝、持氏の遺児迎える/幕府、結城氏の再興図る/成朝、成氏討伐に兵出す/政朝、祖父成朝の仇うつ/水谷正村、初陣で大殊勲/晴朝、那須七騎を攻める/晴朝、下総臼井城を攻撃/秀吉の小田原攻めに参陣/秀康、秀吉没後に結城入り/結城秀康、越前に移封/水野隠岐守勝長が入封/勤皇・佐幕両派が交戦/佐幕派、彰義隊伴ない占領/禊之助十四歳で藩知事/苦難の道歩んだ水野勝進

下館城の主たち
 時長、伊佐荘司として赴任/元六波羅評定衆の水谷氏/氏盛復縁し水谷氏を再興/久下田で宇都宮氏の南進抑止/蟠竜斎、甲州で家康に謁見/勝俊、論功行賞で加増さる/伊勢神戸の石川総茂入部

小栗城と小栗氏
 伊勢神官の荘園だった小栗/頼朝の有名な御家人、重成/満重、鎌倉幕府に謀叛/助重、小栗城を奪回/助重・助之父子、三河に亡命/説教節「小栗判官照手姫物語」/小栗助重は画家宗丹か/小宅尚時、小栗姓名乗る/支族に鳥羽田氏あり/百四十三年目に小栗庄に復帰

下妻の大名
 平弘幹が下妻郷地頭に/多賀谷氏の始祖は氏家/家稙、群小豪族を攻略/四代目家重、結城氏に対抗/政経の結城氏攻略ならず/上杉・北条氏の確執で騒然/下妻城めぐり激しい攻防/豊田氏、政経の軍門に下る/領地接して益々対立激化/猛虎のごとき決死隊、突入/多賀谷勢、天神城を焼討ち/北条氏尭、討伐軍を結成/重経、船軍調練に励む/義長の陥穽に落ちた重経/北関東を脅かす反乱者/谷田部城、遂に陥落/勇猛馳せた「下妻千騎」/不倶戴天の敵、常陸の二将/楠公の遺訓残して逝く/入道伝喜の奸計で落とす/怨霊漂う藤代川で船沈む/恩に報い上州より馳せ参ず/岡見兄弟最期の決戦/北条氏政に和議申し入れ/佐竹氏との連合、かえって仇/重経、家康暗殺を計画/七代、百四十年で幕/主無く、代官による藩治/幕末の激動を乗り切れず

真壁の歴史
 始祖は平氏で、地名を苗字に/鬼真壁の異名を持つ入道道無/道無、伝輝坊を闇討ち/浅野長政三男長重入部/浅野長直、笠間へ更に赤穂へ/三十余年の浅野氏藩治/美化された四十七士の仇討ち/春日局の息稲葉正勝入封/江戸城大奥に君臨したお福

谷田部のトノサマ
 城の争奪回って激戦続く/佐竹・北条の代理戦争/大きな痛手、軍師義長の死/敗者重経に厳しい完全降伏/小田原役後、谷田部は廃城/初代藩主となった細川興元/興元、就封後まもなく死亡/谷田部領は畑作地帯/二人の代官徳政施す/冷害で藩財政大ピンチ/無為無策の藩執行部へメス/節約が肝要の尊徳仕法/領民とは無縁のトノサマ/藩知事として初めて現地へ/入封以来鳴かず飛ばず/食い逃げトノサマ細川氏

土浦城主異動録
 繰り返した城主の異動/高野聖から還俗の菅谷氏/坂東征覇の夢描く義重/小田原党団結して土浦攻め/城内の雑兵、夜半に脱出/関ヶ原後、松平信一が入封/松平氏は高崎城主に栄転/西尾氏の後任は朽木稙綱/神童のほまれ高かった土屋定直/酒・醤油の醸造を奨励/水戸家と縁組し親藩に/寅直天狗党対策に苦慮/挙直、三津輪銀行を設立

志筑藩の歴史
 下河辺正義、地頭職に就く/外様大名に準ずる本堂氏/維新のドンデンがえしの幕に花/剣の達人伊東甲子太郎/命かけ王事に尽した二兄弟

石岡の歴史
 府中(石岡)に常陸国府設置/大掾氏をほろぼした佐竹氏/乱行の忠輝、領地没収受く/半世紀後に府中藩復活

行方郡の歴史
 平安時代から行方氏が地頭職/出羽の仁賀保氏、武田郷に入封/中世以来の行方武田氏滅亡/霞ヶ浦にワカサギ移殖の新庄氏/一万石のままで財政窮屈

鹿島氏系図

江戸氏系図
 南北朝対抗の最後の激戦/水戸城奪い常陸中央部へ

宍戸城誌
 八田四郎知家の四男が城主に/宗家小田氏の家政を後見/親鸞の遺弟二十四輩の一人/小田城に拠った北畠親房/鎌倉以来の宍戸氏消滅/江戸詰め城主の松平頼雄/烈公の片腕で活躍の頼位/水戸藩攘夷派に組した頼徳/義挙に賛同し農民も参加/悲業の死を遂げた大炊頭


 下 巻

水戸烈公
 波瀾の人生にピッタリの諡号/尊皇、佐幕派の因となる対立/波瀾含んで九代目に就任/倦むこと知らず国防を充実/抱負経倫を実行に移す/文武二館の弘道館を設立/士民教育に学則を制定/弘道館を一般庶民にも解放/志士を奮いたたせた教典/幕府に蝦夷地開拓を要望/探検隊、エトロフ島を調査/自ら蝦夷に乗り込む意欲示す/在邑期間延長をもって敬遠/将軍に賞された水戸での業績/蟄居処分を命ぜられる/根こそぎ失脚の正義派/仏教をひどく毛ぎらい/大老に睨みきかせる大奥/同志相寄り歎願運動/桜任蔵の側面活動/効を奏した裏面工作/表向きの政治に参与できず/幕府の外交政策に天皇が発言/投獄されていた義民を釈放/藩執行部、執拗に復活を阻止/藩の重臣たちの素行を列挙/嫌疑晴れ、将軍水戸邸を訪問/鼠族や狐狸が潜行の藩内/海防参与として出仕/黒船騒ぎに太平の夢●む[目へんに星]/造船事業を一手に引きうける/ロシア軍艦の修理を手伝う/周辺に再び冷たい風/気が気でない結城一派/東湖が仇敵寅寿に一席弁護/掘出しものの役人と評判/日米和親条約を締結調印/長崎に軍艦伝習所を設置/反対運動の輪ひろがる/対等の立場での外交を主張/度重なる外国船の来航に憂悶/「依願免職」の辞令が漸く交付/ハリスの出府登城に反対決議/米国に要求申し入れを建議/途方もない渡米構想/連日続いたハリスとの談判/慶喜と名乗り一橋家を相続/開国派の井伊直弼、大老に/将軍継嗣めぐり対立/在府諸侯に調印を説明/孝明天皇、殊のほかご立腹/ハリス和親の利を力説/帯刀、頼胤の挙動を警戒/烈公幽閉に志士ら憤慨/独裁政治の井伊大老に反発/勅諚対策について密談/陳情の為、水戸街道を南上/大獄第一号に梅田雲浜/難を避け西郷は鹿児島へ/十四代将軍に徳川家茂/壮絶な関辰三郎の最期/藩内は鎮派、激派に真っ二つ/内意の予告なく上使来邸/家老、平伏して台命受ける/水戸藩取締役に安藤対馬守/地下工作進める激派領袖/激しさ増す勅書返還請求/波瀾多き安政から万延へ/一日の猶予を幕府に要請/井伊大老ら幕閣を倒す計画/決行期限を二月上旬と決定/義挙の場所は桜田門外/桜井駅訣別の故事を引用/遺書や辞世の歌残し出府/除籍願書出し、壮士勢揃い/銃声合図に行列目掛け突進/予期に反し薩藩は動かず/高橋多一郎父子、覚悟の割腹/森山敏之介、義金持参し入京/幕閣、慌てて善後策講ず/ひるむことなく義憤を陳述/水戸家取り潰しの策動ならず/夷人館襲撃の風説立つ/謹慎解かれぬまま烈公死す/遺骸は常陸太田瑞竜山へ/男二二名、女一五名の子福者/ナポレオン三世から万博の招待/常磐神社に関係宝物を保存

藤田幽谷
 異数の抜擢で彰考館入り/田沼意次が幕政を蹂躙/皇室尊崇の国体の本義説く/文公の下で活気づく彰考館/藤田屋から分かれて一家を創立/翠軒、史館総裁の座おりる/南朝を正位として編纂/私塾青藍舎で子弟を教育/高山彦九郎と盟友の契り/京都から学者二人を招聘/蒲生君平と交誼重ねる/幽谷・君平の風変わりな交流/高邁な識見と経世治国の才/将軍家斉、太政大臣に/斉脩、将軍の娘峰姫を娶る

藤田東湖
 少年時代から文武に卓絶/父亡き後、史館刷新へ/烈公が水戸九代藩主に/念願かない藩政に携わる/郡奉行で民政を経験/里子夫人の他に二人の女性/将軍から烈公に出府命令/二年有余の幽閉生活/田口秀実が東湖の門人に/夜は著述の時間にあてる/結城寅寿処罰の幕命下る/幕末の戦いで殆んどの門人失う/ペリー来航で江戸定勤に復活/戸田・藤田の巨星落つ

桜 任蔵
 水戸に出て「青藍舎」に学ぶ/八十年ぶりに発見された墓/始祖は佐竹の家臣小松崎采女
/青藍者では異色の存在/真鍋善応寺の住職良哉を知る/父元達が六十一歳で死亡/父の旧姓「相良」を名乗る/物書役で徳川の禄を食む/三十歳で初めて母に孝養/頼山陽の三男を預かる/烈公雪冤に東奔西走/烈公の身を憂慮し義民江戸へ/資金調達に幕臣の株を売る/同志は逮捕投獄される/危機に追い込まれた水戸精神/酒を瓢箪に入れて差入れ/三樹三郎、北日本漫遊の旅へ/紀州家に出仕の春子と結婚/将軍家慶、異例の藩邸訪問/戸田・藤田の二人は赦されず/赤貧の中、多くの食客養う/零落した自分の姿に涙/開国か攘夷かで国論沸騰/一三か条の海防意見を建議/尊皇攘夷論ぶちまくる烈公/大砲七十四門を幕府に献納/『大日本史』を出版販売/永年の奔走に烈公感謝/難民救済、江戸中の評判に/幕府が抱えた二つの難問/三樹三郎、東北の旅から戻る/尊攘派に対し宣戦布告/書生に化けて危く難逃れる/江戸を脱して西上の途に就く/大阪で佐久良東雄と再会/山陽道から山陰道へ/一二月初め、鳥取に到着/同志の多くは逮捕の噂聞く/あこがれの聖地吉野山へ/惜しくも浪花の土と化す/春子・申太郎常陸に亡命/大森家に残る数々の遺品/藤田家に引き取られた申太郎/明治天皇の側近に奉仕

徳川 慶喜
 烈公の七男として誕生/三十歳で一五代将軍に/割に合わない立場に/在任一年足らずで辞任/「剛情公」のニックネーム/十男精は勝海舟の養子に

常総の幕末殉難烈士
 安政大獄の犠牲者/登城のハリスを襲撃未遂/密勅騒動と桜田門外事件/高橋多一郎大阪で割腹/関鉄之助越後の温泉で捕わる/仏門を捨てた佐久良東雄/東禅寺の英国公使館を急襲/坂下門で安藤対馬守を襲撃/天誅組と生野銀山義挙事件

筑波義挙・天狗騒動
 幕府に攘夷をせまる示威運動/幕府の追討軍が出動/掠奪、つけ火の強盗集団/下妻・下館に陣した幕府軍/夜陰に乗じて幕軍に突撃/幕府不利の戦況に驚く/京もまた戦乱に揺れる/長州征伐を幕府に命ず/鎮撫使に宍戸藩主松平頼徳/頼徳、拒まれて入城できず/那珂湊への移動を開始/複雑な波山勢に対する感情/神勢館で頼徳入城の交渉/平和裡に入城の望み失う/久しぶりに砲声が消える/臨戦体制いよいよ強化/激戦の火ぶた切る/常総各地には幕軍が充満/ゲリラ化した波山分離隊/那珂湊の大発勢袋の鼠に/那珂川以南は幕軍の手に/田中愿蔵ついに打ち首の刑/幕府は大炊頭に切腹命ず/随従者、連類者に厳しい処分/幕軍大挙して部田野原に/寄合いの那珂湊勢に動揺/戸田銀次郎収拾に乗り出す/手玉にとられた田舎武士/拘禁中に死んだ者数百人/犠牲者の数は一千数百人/潮来勢を率いて磯浜に出る/桂と相会した越惣太郎/獄死の林忠左衛門の妻歌子/遂に西上することを決す/野州路を経て上州下仁田に/下仁田で高崎藩兵と衝突/中仙道を南下し甲州に向かう/諏訪・松本連合軍と交戦/和田峠での戦死者十人/和田峠の戦い跡に浪士隊/「天狗が来る」と大騒ぎ/三千両の資金調達を約束/木曾の馬籠宿を宿営地に/ショッキングなニュース/言語に絶した雪中行軍/予想に反した慶喜の態度/事ここに到った経緯を述べる/耕雲斎、降伏状を提出/平伏して申し渡しを受ける/敦賀の寺院に収容される/各方面で浪士隊の救命運動/むなしい金沢藩の救命運動/金沢藩兵に生別の辞を述べる/新しい収容所に移される/哀れ耕雲斎、刑場の露と消え/三百五十二人が斬殺される/元治甲子の乱の論功行賞/新政府、諸生党討伐を命ず/大勢は既に征討軍に決す/感激の涙を流しながら東下/疾風の如く弘道館内に侵入/風前の灯の諸生派残党/市川三左衛門、東京で逮捕/最後の藩主に烈公十八男昭武/北海道開拓経営のさきがけ/敦賀斬刑者に贈位の恩典/兵学を講じて名声を挙げる/同志六十三名を率いて参陣/藤田小四郎と行を共にする/美濃で脱走し京都に潜伏

江戸の水戸藩屋敷
 小石川邸十一万坪三万円也

廃藩当時の郷土大名
 版籍の奉還/廃藩置県で追放さる/あとがき

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