『新装版 霞ケ浦風土記』
書評『内面に向かうフロンティア精神』土井泰彦(日野市) 
網を引く漁師
夕暮れの帆引き
大徳網の豊漁
 (略)この風土記に登場する霞ケ浦を中心にして働き抜いてきた人々から、日本人像の輪郭が浮かび上がってくる。第一に、仲間意識である。これは随所に出てくる。「はまさん」の夫が博打で警察にひっぱられた時も、仲間の名前を言ったらおしまいだという場面があったし、彼女自身も「なんとか働けたのも、体が丈夫なことと苦労している仲間がいっぱいいたからだ」と言っている。明治四十四年生まれの久松こうさんも、「隣から隣へみんな仲がいいっていうか、情が厚いっていうか、まるで一軒の家みたいでした」とのべている。
 庶民の生活をみても、世界の多くの国々に見られるような部族対立や多民族間の闘争のごときものがなく、その点で生活がいかに貧乏でも、あすの生活が望めなくなるような暴力的な報復的な社会状況ではなかった。また宗教の縛りもみられない。天皇主義や日本主義のような日本的原理主義も、風土記のなかでは生活のなかで頭をもち挙げていない。
 第二は、狭い日本だが日本社会の奥行きも意外と広いなと感じたことである。鈴木はまさんとほぼ同世代の作家の林芙美子さんが、美しい山河を知らず、木賃宿ばかりの思い出をもち、町のなかの階級対立や退廃、ニヒリズムや刹那主義、戦争待望論の渦巻く陰の社会で強く生き抜いてきたのに対して、風土記の同世代人には、町や都会と異なった対照的な述懐が多い。
 例えば、漁師仲間には人情があった。昭和の初めに動力船のあらわれるまでの手漕ぎの時代には、腕のよしあしを競う競争心が旺盛で、漁にも様々な工夫が生かされ、報いられることがあった。また子供時代には、忘れられぬ楽しい思い出と厳しい仕事のなかにも面白さがあった。虚飾のない仕事への思い入れが見られるのである。
 第三は、明治維新から国造りに励みだした日本には、ヨーロッパの国々やアメリカとは別の意味のフロンティアというものがあったのではないかと思われることである。それは明治期に武力を背景として獲得した台湾や朝鮮、あるいは昭和の時代に入って着手した大陸の植民地経営でもなく、また北海道の開拓でもない。そうした外部に拡大するものではなく、霞ケ浦を中心とする協同体のように、腕や工夫で競い合いながら働き抜こうとする内側に向かうものである。湖をめぐる生活の枠組みのなかで内部にきり込んでいく中心志向型のフロンティア精神ともいうべきであろうか。
 鈴木はまさんが「霞ケ浦で遊びましたよ、遊びましたとも。あの頃の楽しさったら決して忘れませんよ」とふりかえったあの時代に、アメリカではサンフランシスコで、パナマ太平洋国際博覧会が開かれ、夢の都市像を描きだした。大正四年のことである。アメリカ西部の開拓者も夢をもってこの博覧会に出かけた。未来へ未来へと向かうアメリカのフロンティア精神とは異なって、霞ケ浦住民にとっては、その湖こそが尽きぬ宝のフロンティアだったのであり、経済的にも精神的にも絶えず掘り起こすことのできた命の泉であった。(略)
 今日、経済大国の地歩を固めた日本は、世界のなかの異質な国として、世界から注目され批判されたり、揶揄されてきた。しかし、風土記のなかで、日本人が勤勉と工夫を通じて内面的にフロンティアを開拓してきた所為をみると、日本異質論をひきおこす日本人像はなにも戦後に限られたものではないことがうかがわれる。この意味で、特定の地域の風土記であっても、『霞ケ浦風土記』は近代日本人像を描きだすオデュッセイア(大叙事詩)であろう。また、総合的・体系的な文化史を裏打ちしうるかけがえのない生活史であると思う。(後略)    
(元産経新聞論説委員・文教大学教授)

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