『新装版 霞ケ浦風土記』
書評『「老人と海」想起させる漁師の鉄人』柘植俊一(つくば市) 
 常陸風土記時代から美しさを謳われた高浜入り
 五・一五事件、二・二六事件の謀
議が行われた土浦駅前の山水閣周
 本書の初版は一九九五年八月末日、常陽新聞社から出版された。著者の佐賀純一氏は「海外でのベストセラー日本人作家」として知られる土浦在住の開業医である。
 本書は、そのベストセラー書となった『メモリーズ・オブ・シルク・アンド・ストロー』(「土浦の里」の英訳版)の姉妹編もしくは完結編として位置づけられる。
 実人生を生きながら精神世界に関心のある知日派外国人からよく聞かされる不満がある。それは、外国語に訳された日本文学を通して知った日本は、彼らが体験した日本と全く異質のものである、ということである。事実、しばらく前までの外国人柔道家が出会った日本人は、川端康成などに出て来る骨細な遊冶郎とは似ても似つかない人達であった。もっと最近のこととしては日本企業、そのうちでも製造業に対する外国視察団の報告、すなわち、大企業のチーフエンジニアや技術長が作業服を着て、食堂もトイレも現場の工員と同じ、異なるのは責任の重さだけで、それを黙々とこなす、という欧米人では想像もできない勤務形態へのおどろき、これらエリートへの驚嘆、三島由紀夫あたりにみられるこましゃくれたインテリのイメージとのギャップ、……。彼らが翻訳された小説から得た日本人のイメージはつくりもので、本当の日本人は別にいる、と思ったのは無理からぬことである。
 本書は現代のこのような日本人の一世代または二世代前の原型を鮮やかに描き出している。ただ彼らは現世代とは比較にならない貧しさの中で、彼らの運命をまともに引き受け、勇気と叡智をもって庶民の人生を生き抜いた人達である。(略)
 座ったまま死ぬ、ということは普通の人にはできない。私の知っている唯一の例は山岡鉄舟である。本書を読むまで、私はこのようなことは武道と禅の両方をきわめた人にだけできることだ、と思っていた。しかし、自分の人生に課せられた運命をすさまじい気力と体力で生き抜くだけでそれが可能であるらしい。(略)
芸者 小ふじ さん
 水辺の町・土浦は霞ケ浦の漁業・水運の栄枯盛衰をともにしてきたと同時に、この国の興亡をともにして来た町でもある。霞ケ浦海軍航空隊の存在である。いっときこの副司令であった山本五十六提督のことを土浦花街随一の名伎といわれた小ふじさんが語っている。(略)この人の若いときの写真は吉永小百合に凄みを加えたという印象がある。
 農民文化と比べて漁民文化は語られることが少ない。世界史をみても狩猟民族については、言語で語られる文化が不当に少ないように思われる。本書にあらわれる『霞ケ浦風土記』の語り部たちはその数少ない文化遺産の担い手である。
 太古から続いた人類の最も古い職業がこの人たちの世代で、つまり三十年かそこらの間に、白い砂浜、見はるかす限りの葦原、群れなす魚たちを近々と見透せる澄み切った水とともに消滅した。彼らは歴史の中で唯一度だけのできごとの証人なのである。(略)
 老いた患者が心をひらいて医師に語る己れの過去の聞き書きがその原典であったと聞くが、その聴く側の姿勢、ひざまずいて患者と同じ目線に医師が自分を置いたときに初めて発動する人間的共感は、ハンスカロッサの世界をほうふつさせる。背景がドナウ河であるのが、ここでは霞ケ浦であるところが偶然の対照の妙である。(筑波大学名誉教授)

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