| 『新装版 霞ケ浦風土記』 書評『「霞ケ浦風土記」を推す』いいだもも(作家) |
|
| 水辺環境の固有性と普遍性 信濃にチョコッと往って、還ってきたばかりのところ。諏訪湖と千曲川のことが気になって、チョッと観て。 霞ケ浦と同様、アオコ発生の湖の富栄養化の問題は、諏訪湖でもいぜんとして問題中。わたしは以前、戦後の農民運動に携っていた頃、土浦にも住んでいたことがあり、霞ケ浦の水郷が荒廃してゆく日々に立ち会っていましたが、その頃、アオコ退治、赤潮退治の長野県による諏訪湖浄化対策は、霞ケ浦浄化にとっても先進的なヒナガタとみなされていました。高度成長の1960年頃からのことですから、もうそろそろ半世紀に手がとどくことになります。富栄養湖の底泥からの高濃度のリン成分の溶出をどうやって抑え、どうやって取り除くかは、なかなか難物ですね。 諏訪湖でも最初の頃は、さかんに湖の底泥の浚渫(しゅんせつ)をおこなって、浄化対策の柱とすることに県財政を傾けてきましたが、その効果は数年どまりだったみたい。日光の湯の湖についての最新の細見正明さんの「経年変化シミュレーション」によれば、リン酸態リンの溶出率についていえば、湖底の浚渫や覆土の効果は一時的なものであって、どうやら、数年後には、溶出量が年を追ってまたまた上昇してしまい、対策前と同じくらいまで戻ってしまうようだ。モトの木阿弥。ダム建設と同じで、地域住民にとってはまったくの税金のムダ使いということにあいなる。 曝気(ばっき)をつづけて、外部負荷を減らしていった方が、底泥からのリンの溶出量は経年的に確実に低下してゆく、という数字的資料が出ています。これは、霞ケ浦高浜入りの湾部を観察した河合崇欣さんの分析結果−湾部の深さ数abまでの底泥の間隙水には高濃度のリンがふくまれているが、泥表面の供給量は1日1平方b当たり1_c程度でしかないという−と、平仄(ひょうそく)が合っています。 つまり一般化していえば、湖の「底泥からのリンの供給は、大部分が泥の表面の新しい堆積物の分解に由来するので、深い底泥の浚渫に大きな効果を期待するのは無理なのである」というのが、長野県田中康夫知事の『脱ダム宣言』以後の治水、利水の「長野モデル」をサポートしている桜井善雄農学博士(信州大学、「長野県水辺環境保全研究会メンバー)が著した最近刊『水辺の環境学C』(新日本出版社刊、2002年9月発行)の結論です。霞ケ浦の風と波に生きた人々、生きる人々に、深く長く思いを寄せておられる佐賀純一ドクターに何かの参考になれば幸便です。 湖も川も海もひっくるめて、いや、空や山や地下の世界までひっくるめて、<水>の問題は、長野県や茨城県の地域にとって切実であるばかりでなく、21世紀の全世界にとって、全域的に第一義的切実さをもっている普遍的大問題にほかなりません。土浦在地の偉大な町医者佐賀純一ドクターの『絵と伝聞 土浦の里』(英文版『Memories of Silk and Straw』)に続く今回の新装版『霞ケ浦風土記』、英文版『Memories of Wind and Waves』(講談社インターナショナル)の発行が、広く世に迎えられるのも、そのためだからでしょう。早い話が、やはり霞ケ浦畔の開業医として90歳の大往生をとげられたという佐賀純一ドクターの父君=故佐賀進氏が遺された数々の絵−本書を飾っている「夕暮れの帆引き」「蓑を着て野良に出る母と子」「いのち短し恋せよ乙女」「高浜入りの夕空をゆく雁」「漁師たち」「網引き」「漁をする母と少年」「鯉胴を上げる漁師夫婦」等々−は、一読、いや一覧して、ジュリエット・W・カーぺンターの翻訳による英語版の読者たちにも、直ちに分かる、ズシンと胸に落ちる“なつかしい絵柄”としてうけとめられるにちがいありません。地域住民にとっての水辺環境の固有性の問題は、今日の21世紀のグローバル世界においては、人類生民にとっての水辺環境の普遍性の問題になっているわけです。 わたしは、『脱ダム宣言』以後の「地域主権」と「川の環境民主主義」に深く根差した信濃住民の地域循環系社会再生への主体的胎動が、多国籍金融資本と覇権国家アメリカのグローバリゼイション(ネオ・リベラリズムとネオ・ナショナリズム)によって直接にひきおこされている日本国内の地域経済・社会の空洞化、流域市町村の循環不全、地方文化の荒廃等々に抗する人間回復の始動として、即、どんづまりに来ている日本の立て直し、新生につながるリアルな展望をもつものとみなして、現地へも足を運んでいる者なのですが、そうした志向の観点からしますと、『水辺の環境学』を「新しい段階へ」進めようとして奮闘中の桜井善雄博士が、諏訪湖浄化・再生(「信州・ふるさとの自然再発見」の一環)の志向経験からうちだしている一つのテーゼに注目すべきです−「湖は流域の体質を映す鏡であり、その富栄養化は流域社会がもつ生活習慣病の症状である」と。 日常生活がはらむ病理と悪徳 これまでの国際的にも権威のある湖沼学の定式は、近代湖沼学の創始者とみなされるF・A・フォーレルの「湖は小宇宙をなしており、働いている要素が簡単で因果関係を発見しやすいから、河川や海洋に比べてみて研究が容易である」というものでしたが、すくなくともわが国の諏訪湖や霞ケ浦の経験と研究史に即してみるかぎり、湖沼はけっして閉鎖性水域としての「小宇宙」ではないので、アオコや赤潮を片づけてしまうことさえもそんなに「容易な」ことではない。フォーレルの定式化は、開放性水域の河川や海洋に比べてみればという比較の文脈で語られていますから、一概に完全なアヤマリとみなすことはできないでしょうが、それにしても、湖沼が閉じられた小宇宙だからアプローチが容易であるということは全くない。 桜井善雄農学博士が諏訪湖や霞ケ浦の経験と探究からうちだした「流球社会」的新定式化の方が浄化戦略の核心をつかみとるためにもダンゼンすぐれていますが、このように湖沼を開放的な流域生態系の一部として正しく位置付け直してみる場合、現代消費文明生活様式のなかに暮らす地域・流域住民自身の「生活用水」「生活排水」をはじめとする日常生活慣習・習俗が孕(はら)んでいる“病理”や“悪徳”が問題とされなければならず、ひいては現代産業文明の骨格を成す「工業用水」「農業用水」「電力用水」にまでわたしたちの反省的考察は進まざるをえなくなりますから、事は全球的であるばかりでなく全社会構造的な命を革(あらた)める自己省察とならざるをえないことになります。わたしが21世紀の第一級の問題とみなしている<水>問題の主体性の問題とでもいいますか。 早い話が、これは諏訪湖という湖沼の例ではなく、信濃川という河川の例になりますが、田中康夫長野県知事の浅川(長野市)ダム・下諏訪(下諏訪町)ダムの県営2ダム建設中止がうちだされた「脱ダム宣言」以来、ホットな地域・流域住民・自治体の自己管理的な治水・利水対策の前進のなかであぶりだされてきた問題点に、流域のダム作りを“聖域”視してきた土建列島ニッポンのゼネコン河川管理が地域住民からの税金をまきあげ地方自治体の財政に寄生して、それこそ最大限利潤、利権を中央(東京)のゼネコン独占企業はかっさらって、地域・流域のカネ・ヒト・モノ・自然を荒廃させてしまうという構造的問題に加えて、全長367`bにおよぶ、わが国で最長の河川である信濃川に、すでに13にもおよぶダム発電所が設けられており、そのように国土交通省とゼネコン資本によって分断され、発電取水源とされた流域は全長にわたって「取水」「減水」で疲弊をよぎなくされており、しかもその発電量の多くの部分が中央、首都、東京へ送電されており、とりわけJR東日本のごときはその使用電力の38%を信濃川ダム発電に仰ぎ、自らの河川堰を2カ所も長野県内に開発し所有している、という構造的問題が“発覚”されてきています。 火山列島日本の川は、ヨーロッパ大陸を悠然と広域に蛇行してゆくエルベ河やダニューヴ河等々と比べて、よく、まるで“滝のような川”と形容されますが、そのような特異な水形態をもつ日本の川は、近代日本になってから建設省と土建大資本によって、最上流の巨大ダムから最下流の巨大下水処理場にいたるまで直続的にコンクリート護岸工事を施された、まるで一本の導管のような水の独占管理下に置かれ、かんじんな流域住民・流域社会・流域自治体はそこから疎外されつづけ、それゆえにまた、本来美しく多彩で豊かに多様な水辺生態系が破壊され汚染された現状が凶々(まがまが)しく不吉に露呈しているのだ、とみるべきでしょう。 長野新幹線の上田駅のすぐ横を通る千曲川では、現在、国土交通省によってヨシ群落までを容赦なくつぶしながらコンクリート・ブロックや大石をつかって堤脚部を補強する一直線の護岸改修工事が進められていますが、わたしはその上田駅に下り立って、『千曲川』四部作のライフワークを完成されたばかりの小宮山量平大先輩のレクチュアを感銘ぶかくうかがってかえってきたばかりのところです。ついでに吹聴役を買って出れば、『千曲川』四部作は臼井吉見の労作『安曇野』と共にまさにノーベル賞級の大作品であり、わが国の文化界・読書界・出版界がその刮目(かつもく)すべき紙碑に目がゆかないのは、今日の高度消費・荒廃文明が安曇野や千曲川の風物を打ち捨てて顧みるところがない野蛮的退化と対(つい)になっている非文化現象でしょう。 小宮山さんのいつもながらの滋味ゆたかなお話によれば、わたしが今回出立してきた川上村から小諸町にまでいたる千曲川の源流は、水源地で即時・即処に人間生活が営まれている稀有の名水域で、人間の営みが川を汚すことなく棚田がつくられ、カイコが飼われ、そのサナギから名産の鯉が養われ、酒を醸す醸造業が営まれた流域社会−そこから犀川との合流点である更埴村にまでいたる流域は、かつて小宮山少年が川と戯れ、水遊びしながら育ったなつかしの故郷で、自然で豊かな河川敷があり中津があり、そこにはヤナギ、カワラサイコ、カワラヨモギ、カワラツメイ、メドハギなどの川原特有の植物が生い茂り、ホタルもメダカもカジキもさわ(多)に居たものだが、半世紀経った現在ではそれらの動植物は絶滅し、われらが「白き処女地」は、はや失われてしまった−犀川との合流点からさらに下がって小布施へといたる流域は、梅、桃、桜、杏子のまさに桃源郷であって、その面影は浅間と蓼科の間を縫う今日の新幹線の車窓風景からでも偲ぶことができる。ブリューゲルの名画と同じく、「俯瞰」(ふかん)の風景。以前には日本海の北前船が伝えた環日本海文化・京文化が船のまま信濃川に入ってきて、小布施あたりは情報のセンターであり、葛飾北斎の小布施版画のごときもその文化的所産であった。まさにこの桃源郷は花と実りのふるさとであった−小布施から信濃川との接点にいたる流域は、キミ、ふるさとのなかのふるさとじゃあ、そこから生まれた中山晋平の歌曲を聴かれよ−ああ、ワシはこの「ふるさと」である千曲川をもう一度蘇(よみがえ)らせて、川と遊び戯れて育つ人間文化をとりもどし、全長150`bの「人生の並木道」をつくりたいのだ。子どもも老人もすぐに往還できる小さな地域交通網を整備してなアー… 歴史を創発するための記憶こそ 『霞ケ浦風土記』の旧版に「まえがき」を寄せた翻訳者にして民俗学者のジェヌビューブ・ナバールは「魚がかかった時の感触」「糸を手繰る時の感じ」をフランス語訳中に感じとりながら、「そう、なぜ霞ケ浦を以前のようにもう一度海とつなげてはいけないのでしょう?」と書き記した。「なぜ干拓地を霞ケ浦に返してはいけないのでしょう?なぜ貝や鰻が戻ってきてはいけないのでしょう?なぜもう一度森を取り戻すために植林しないのでしょう?」と。そう、なぜ千曲川がふるさとのふるさと、もとの桃源郷に戻ってはいけないのでしょう?諌早堰干拓を元に戻せといい、ゼネコン電源ダムはもう要らない、と叫ぶこの声は、いまや日本全国津々浦々に伝播してゆく生民の声であるとともに、フランスでも、アメリカでもこだましている21世紀の世界の声なのです。地球生態系そのものの声なのです。 今回の新装版の「あとがき」(2002年4月吉日)で著者佐賀純一は、痛切に記しています−「『土浦の里』を作り、その英訳版が出てから数年して、恐ろしい日々がやってきた。あれほど長い間付き合ってきた人々が、一度に他界しはじめたのだ。話を採取している間にも、ぽつりぽつりと訃報が届くことになったのだが、ある時から突然、ばたばたといなくなった。それはまるで、舞台の上でいれかわりたちかわり芝居を演じていた俳優たちが、終幕と共に一斉に姿を消すように、見えない幕が僕の前に落ちてきて、あの人々を奪ってしまった。だが、現実は、芝居とはちがう。芝居ならカーテンコールと共に一度消えた俳優をまた見ることに出来るのに、あの人々はもうどこにもいないのだ」 「僕だけが誰もいない浜辺に寒々と立っていた。/何をする気にもならなかった。一人二人ではなく、何十人もの親しい仲間を次々と失った者の味わう深い喪失感と憂鬱(ゆううつ)が、何年間も僕を苦しめた。町医者として過ごす日々がとても辛かった」と。そんなある日、漁師の桜井謙治さんから、思いがけない電話がかかって来る。 「家のおやじさんもとうとう大往生したよ。先生にいろいろ話を聞いてもらったが、とうとう行かれちまった」 「……」 「隣の藤井さんもまあ、 ついこの前までは若いものが太刀打ちできないほど元気だったが、少しの間にほんとに弱ったよ。ぐずぐずしていたら駄目だよ。話をまとめるなら今のうちだよ」 佐賀純一老ドクターがあくる日、車を飛ばして藤井進さんを訪ねると、彼は湖の見える古い家のベッドに横になっていた。 「先生、見ろよ、このザマ。俺も年をとったよ。足がゆうことをきかねえんだよ。網も処分しちまった。去年までは毎朝5時には船にのって網を上げにいったが、今はもうその元気はねえよ」 藤井さんは枕もとから紐(ひも)を出して、両手で握る。すっかり細くなった手が紐を手繰ると、朽ちかけた老木がクレーンで吊り上げられるように、上半身がゆっくりと起き上がる。半開きの障子の間から、土間に積み重なった網が見える。 「終わりだよ、こうた有り様になってはなあ、ところで先生はどうだすね。この頃は何やってんだね」 彼は鋭い目で僕をまじまじと見た。 佐賀ドクターは、その帰り道、湖岸堤に立って漁船の影はまったく見えないことを見届けると、家に戻って古い引き出しを開けてのぞいてみる。テープは昔のままぎっしりと並んでいる。中の一本を取り出し、恐る恐る回してみる。するとあの声が部屋いっぱいに響きわたった。 「漕(こ)ぐだよ、エカーイ波さ向かって、漕ぐだよ。今の人間たぁちがあからよ、首も手も丸太ん棒みてえでゴリラみてえだからよ、汗がボタボタたれてもへいちゃらだよ。エカーイ風だよ。それさ向かって漕ぐだよ。波が舳先(へさき)さぶつかって、ぐぐって船さもちゃげっぺよ、そいつを櫓(ろ)でこおたふうにぐっと押さえつけるつうと、次の波が舳先さぷつかって、パッと割れてなあ、ハハハ、そりゃあ、何とも言えねえいい気持ちなんだよ」 ここに藤井さんがいる。 昔のままの逞(たくま)しさで船を漕いでいる。書かなければ。その晩、佐賀ドクターは机の中から湖や川に関係するテープを選び出し、「霞ケ浦風土記」を作ろうと決心した…… 今、その新装版が常陽新聞社から刊行され、カーペンター教授による英文版の翻訳も完成し、この夏には欧米で発売されました。慶賀に堪えません。これは歴史の記憶であり、想起です。歴史を創発するための。単なるノスタルジアに終わらせてはならない。 |
|
-BACK- -HOME- |