| 『海辺の点景−かしまなだ・常磐紀行』の構成 |
|
|
目次 第一章 はこぶ 1、消える渡し船・波崎−銚子 6 2、飛砂の脅威・砂防林 10 3、北国・霞ケ浦のコイ 14 4、七つの海結ぶ・漁業無線局 18 5、磯出・金砂の神と水木浜 22 6、輸入拠点・ベンツ 26 第二章 あそぶ 1、熱気・カシマスタジアム 32 2、調教・大洗水族館 36 3、オオウメガサソウ・海浜公園 42 4、あこがれ・とちぎ海浜自然の家 44 5、健康の追求・とっぷさんて 48 6、体験航海・オーシャンクルー 52 第三章 たべる 1、活況支える・鵜の岬 58 2、技術「講」・BMW農法 62 3、人気・漁師さんの浜料理 66 4、冬の旅・アンコウ 70 第四章 つどう 1、球児と意地・海洋高野球部 76 2、危機・日本沿岸域学会 82 3、夜語りの会・「鰍」や 84 4、熱望・洋上投票 88 5、見えない国境・「入管」 92 6、漂着・「ごみ」にあえぐ 96 7、出前・「漁学」交流 100 第五章 まもる 1、古代の匂い・祭頭祭 106 2、庶民の願い・十三参り 110 3、地の神・冨士権現 114 4、滄桑の変・「鹿島開発」断章 118 5、航海のしるべ・灯台 122 6、年番と伝統・八朔祭 126 7、天然の良港・平潟 130 8、虫きり・有賀さん 134 第六章 しらべる 1、タゴールと天心・五浦 140 2、寄港・南極観測船しらせ 144 3、耳石とアワビ・水産試験場 148 4、海藻探究・生物研究会 152 5、マリノセンシング・水産工学研 156 6、宇宙天気予報・平磯環境センター 160 第七章 つくる 1、トッププラント・東電鹿島 166 2、国内第一号・温水養魚 170 3、巨大ベルコン・常陸那珂港 174 4、廃炉・原電東海発電所 178 5、生々流転・廃船の詩 182 6、共食いと個性・栽培漁業センター 186 第八章 とる 1、浄める・濾過砂研究所 192 2、資源調査船・あさなぎ 196 3、埋もれた村・沢田遺跡 200 4、ルーツを求めて・烏帽子岩 204 5、共存共栄・鹿島灘ハマグリ 208 6、定置網を継ぐ・会瀬 212 7、地産地消・ニュー3Kへ 216 「あとがき」にかえて、より 海辺に生まれ、育った。泳ぎをおぼえた海岸は、「姥の懐」という優雅な呼び名だ。崖を下ると広くはない砂浜、岩礁を前にして、汀から沖に向かう海中にプールがある。小中学校を通じて夏休みには、ほぼ皆勤組であった。小雨の日も、台風が近づいた荒波の日も、盆のさなかも午後から日暮れまで「懐」に抱かれた。雷鳴と稲妻を避けて潜り浮き上がりざま、あお向けになって降りそそぐ雨をなめる快感は忘れ難い。磯でゴカイをとり、小石を錘にして針をたらしておくだけで魚が釣れる、鮑とりに潜って無人になった櫓こぎの小船に乗せてもらう。凪の波間に揺られて、昼寝むさぼる日もあった。 夏に限らず、いつも渚をうろついていた。海こそが、わがふるさとである。出郷して東京にいた一八のとき、全身に刷り込まれた意味不明なそのことに初めて気づいた。 工場に働き、独身寮の三畳間に暮らす悶々たる日々に飽いて、なまけぐせがめばえた。晩春の曇り日である。体調不良は、方便に過ぎない。赤羽駅から京浜東北線に飛び乗り、横浜へ向かう。忘れかけそうだった、潮の匂いが近づく。ぞくぞくたる気分だ。山下公園、本牧埠頭にもやう氷川丸──巨大な港だ。叫び出しそうになるのをこらえる。虹のような油膜が浮かぶ。澄明な水とはいえないし、水平線も見えない。だが、海は目の前にある。それだけで、憂鬱ははれた。 茨城県に属する太平洋の海岸線は、約一八五キロメートルにおよぶ。巨大港湾の築造、コンビナートや原子力施設立地など、あいつぐ開発の波に洗われて旧来のままの自然海岸は激減している。 大洗岬から南、利根川河口までが、弓なりにくねった砂浜に荒波が寄せる「鹿島灘」であり、その北側、海岸段丘におおわれているのが福島県につながる「常磐海岸」である。川の上流にやみくもにダムがつくられて、海に流れ込む土砂の供給が薄くなる砂浜の貧弱化と、波に段丘(崖)をえぐられる浸食を受けて護岸補強などに忙しい危機的な側面も抱える。砂浜にヘッドランドを構築するなど修繕作業をほどこされてはいるが、痛ましい事態は解消されていない。 食糧としての魚介類をはじめとして海が与えてくれる恵みは、数限りがない。態様多彩で、浪漫も香る。大いなる恵みへの感謝も込めて、ほぼ二年にわたり、海辺を散策した。さまざまな事象に出会い、興味つきることなく進んだ。素材として予定しながら、取りあげるに至らずに終わった行事やテーマも多く残した。海辺を彩る人々の営みは、多種多様である。それらのごく一端だけでも、伝達しえたかどうか──。刊行にあたり、連載順ではなく、章を立てる形で再編集を加えた。 一九九八年九月一五日 筆者記す |
|
-HOME- |