| 『等身大の予科練−戦時下の青春と、戦後』 予科練年表 |
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| 予科練習生制度創設前史 1912年(明治45・大正元) 5月26日 海軍航空術研究委員会を海軍艦政本部に設置、追浜水上飛行場で業務開始(海軍航空搭乗員養成の発祥) 10月7日 井上二三雄大尉ら4名を航空術研究委員に任命、第1期操縦術講習員の教育開始(本格的搭乗員養成の始まり、第6期まで) 1913年(大正2) 2月1日 航空研究費10万円予算計上可決 7月中旬 「ファルマン改造機」完成(日本海軍製造1号機) 1914年(大正3) 3月23日 第3期操縦術講習員5名採用と同時に准士官(1等兵曹昇任)2名を試験的に採用 8月17日 金子少佐以下52名、「若宮丸」に飛行機とともに乗り組み、第1次世界大戦青島攻略戦に出征(海軍航空実戦参加の始まり) 1915年(大正4) 3月1日 国産水上機、試験飛行中墜落(安藤大尉、武部中尉、柳瀬一水・最初の殉職事故) 6月1日 「若宮丸」を「航空隊母艦」艦種に類別、「若宮」と改称(水上機母艦の発祥) 1916年(大正5) 1月1日 海軍航空術研究委員会委員長、下士官兵操縦術教育の意見書を海軍大臣に提出、認可を受ける 3月17日 海軍航空隊令、海軍航空隊規則公布(4月1日施行) 4月1日 横須賀海軍航空隊開隊(海軍航空術研究委員会廃止) 6月12日 第1期航空術学生5名、下士官2名(2等兵曹)採用、横須賀空で操縦術教育開始(下士官操縦員養成の始まり) 1917年(大正6) 7月16日 海軍航空隊令改正、航空術教育に「下士卒」を加える(講習員教育2期実施) 12月1日 中島知久平機関大尉退役、飛行機研究所を太田(群馬)に設立(中島飛行機鰍フ前身) 1918年(大正7) 4月1日 横須賀航空隊に気球隊設置 4月1日 航空隊8隊増強計画決定 1919年(大正8) 4月16日 戦時事変に編成の特設海軍航空隊設置を規定 6月27日 海軍航空隊令改正、横須賀海軍航空隊練習部に練習部長、練習飛行機隊長を置き、航空術学生、横須賀海軍航空隊練習 生の制度を定める(7月1日施行) 8月11日 海軍省軍務局に航空部設置 1920年(大正9) 2月9日 横須賀海軍航空隊練習生規則を制定、横須賀航空隊練習生を「飛行術練習生」と改称 5月15日 第1期飛行術練習生8名、横須賀空で操縦術教育開始(1921年5月16日卒業、第2期なし) 12月1日 佐世保海軍航空隊開隊(水偵・飛行艇) 12月26日 横須賀海軍航空隊練習生規則を同練習部規則に改め、飛行術練習生を航空術練習生と改称(飛行機操縦1年、気球6カ月) 1921年(大正10) 1月25日 海軍航空隊練習部(海軍練習航空隊の前身)、霞ケ浦移転準備委員会発足 4月6日 臨時海軍航空術練習部設置(講習員士官68名、特務士官准士官15名、技手2名、下士官兵355名) 4月9日 航空術章制定 4月28日 海軍航空隊令、海軍航空隊練習部令公布 4月― 航空局委託練習生教育開始 7月20日 英国センピル航空団、講習開始 1922年(大正11) 3月7日 臨時海軍航空術講習部に航空術学生、練習生を加える 10月27日 航空術練習生に「機上作業練習生」を加える(偵察練習生制度の発祥) 11月1日 霞ケ浦海軍航空隊開隊(航空術教育担当) 11月1日 臨時海軍航空術講習部閉鎖 11月1日 横須賀空、霞ケ浦空に練習部設置 12月1日 大村海軍航空隊開隊 12月8日 第3期航空術練習生20名、霞ケ浦空で教育開始(1923年8月1日卒業) 12月27日 世界最初の空母「鳳翔」竣工 1923年(大正12) 2月7日 第4期航空術練習生24名(偵察練習第1期)霞ケ浦空で教育開始(1923年11月27日卒業) 3月8日 第1期航空術学生(機上作業者)4名採用 3月16日 吉良大尉「10式戦艦」で空母「鳳翔」に着艦成功 4月1日 霞ケ浦空、航空術教育規画に関する研究調査を所管 1924年(大正13) 3月19日 「SS飛行船」(第3飛行船)空中爆発(片桐中尉以下5名殉職) 6月20日 爆撃訓練規則施行 8月12日 海軍航空隊編成令草案施行 11月20日 海軍技術研究所霞ケ浦出張所、第1、第2風洞建設、航空技術研究開発に着手 1925年(大正14) 2月24日 航空術練習生を飛行練習生(第7期)、偵察練習生(第8期)と改称(7月12日実施) 4月1日 佐世保空呉分遣隊開隊(呉空の前身) 6月2日 海軍技術研究所に航空研究部設置 7月15日 練習生の名称、採用資格改正。飛行練習生9カ月、偵察術練習生9カ月、航空船練習生1カ年、航空工術練習生6カ月(普通科・高等科) 1926年(大正15) 5月1日 空母「赤城」、呉海軍工廠で竣工 6月1日 戦艦「長門」に初めて水偵搭載 6月8日 飛行練習生の修業期間10カ月とする(1カ月延長) 1927年(昭和2) 4月9日 海軍航空本部開所(初代本部長山本英輔中将) 8月1日 連合艦隊に初めて飛行艇を付属 予科練習生制度創設期 1928年(昭和3) 3月15日 海軍航空本部創設(1927)で、総務部員奥田少佐の尽力により少年航空兵養成制度創設の方針を決定 12月4日 航空科を飛行科に改称、航空長を飛行長に改め、整備科新設、整備長を置く 1929年(昭和4) 12月29日 海軍省令第11号で予科練習生制度創設 12月29日 海軍航空隊令制定(1930年6月1日施行)、予科練習生を海軍志願兵中、満15歳以上満17歳未満採用と定める 1930年(昭和5) 5月31日 飛行術練習生を操縦練習生と改称、偵察練習生とともに予科練習生と一般下士官兵の二本立て採用とする 6月1日 海軍練習航空隊令施行、横須賀、霞ケ浦海軍航空隊を海軍練習航空隊指定 6月1日 第1期予科練習生(乙飛1期)、 5807名から選抜され、79名横須賀海軍航空隊入隊 6月1日 海軍練習航空隊規則制定、予科練習生の修業期間を3カ年と定める 6月1日 館山海軍航空隊開隊(艦戦・艦攻・陸攻) 7月1日 予科練習生に関する海軍練習航空隊教育綱領制定 1931年(昭和6) 1月22日 予科練習生進級規程制定。第1学年終了時海軍3等航空兵、第2学年終了時海軍2等航空兵、第3学年終了時海軍1等航空兵 4月10日 予科練習生の修業期間を3カ年から2年11カ月に短縮(3学年制) 6月1日 呉海軍航空隊開隊(水偵・艦戦・艦攻) 6月1日 第2期予科練習生(乙飛2期)120名、横須賀海軍航空隊入隊 1932年(昭和7) 2月16日 飛練教程の操縦練習生を約5カ月、偵察練習生を約4カ月と修業期間短縮 6月1日 第3期予科練習生(乙飛3期)127名、横須賀海軍航空隊入隊 9月29日 海軍航空兵艦務実習規程制定 10月14日 第1期予科練習生78名卒業(1名免役)、創設された飛行練習生教程に進む 11月1日 海軍練習航空隊教育綱領の中、飛行練習生に関する教育綱領改正 11月1日 特修科航空術練習生(射撃・爆撃)制度創設(“特練”) 1933年(昭和8) 4月4日 予科練習生進級規程改正。5カ月経過海軍3等航空兵、第2学年終了時海軍2等航空兵、第3学年終了時海軍1等航空兵 5月1日 第4期予科練習生(乙飛4期)139名、横須賀海軍航空隊入隊 11月1日 大湊海軍航空隊開隊(水偵・艦戦・陸攻) 11月2日 操縦、偵察練習生の修業期間を約6カ月に変更 1934年(昭和9) 2月15日 佐伯海軍航空隊開隊(艦上機・水偵・飛行艇) 6月1日 第5期予科練習生(乙飛5期)200名、横須賀海軍航空隊入隊(航空隊増強計画による増員) 9月1日 海軍練習航空隊の所掌事項改正実施。横須賀空(偵察・予科練・高等科整備・研究)、霞ケ浦空(操縦初練・整備) 11月1日 第1期予科練習生出身者、海軍3 等飛行兵曹に任官 この年、操縦練習生24、25、26期始業、偵察練習生26、27、28期始業 1935年(昭和10) 6月1日 第6期予科練習生(乙飛6期)184名横須賀海軍航空隊入隊 10月1日 舞鶴海軍航空隊開隊(水偵) 11月1日 第2期予科練習生出身者、海軍3等航空兵曹に任官 この年、操縦練習生27、28、29、30期始業、偵察練習生29、30、31期始業 1936年(昭和11) 4月1日 木更津(陸攻)、鹿屋(初代・陸攻・艦戦)両海軍航空隊開隊(陸攻搭乗員教育航空隊) 6月1日 第7期予科練習生(乙飛7期)204名、横須賀海軍航空隊入隊 6月1日 予科練習生を1学年末で操縦、偵察に分けて教育 7月28日 予科練習生修業期間を艦務実習を含めて2年4カ月に改正(1学年1年2カ月) 8月12日 予科練習生採用年齢を満15歳以上満18歳未満に改正 8月21日 予科練習生進級規程改正。3カ月経過海軍3等航空兵、第1学年修了海軍2等航空兵、第2学年終了海軍1等航空兵 10月1日 横浜(飛行艇)、鎮海(水偵)両海軍航空隊開隊 10月1日 操縦練習生を初期から水上機、艦上機に分けて教育 11月1日 第3期予科練習生出身者、海軍3等航空兵曹に任官 12月4日 「予科練習生」を「飛行予科練習生」と改める (『海軍飛行予科練習生』第1、2巻より) 年表 飛行予科練習生制度の拡充 1937年(昭和12) 4月1日 第2次海軍軍備補充計画(「■計画」)で、陸上航空隊53隊 827機、艦上機 1089機の大拡張計画により搭乗員大拡充に着手 *■は「○」の中に「二」 5月18日 海軍省令第10号で甲種飛行予科練習生制度を創設(中学校4年1学期終了以上)、従来までの飛行予科練習生制度を乙種飛行予科練習生と改称 6月1日 第8期飛行予科練習生 218名、横須賀海軍航空隊入隊 7月7日 日支事変勃発 7月11日 第1、第2連合航空隊編成 8月6日 練習航空隊に選修学生制度を設け、航空、整備両科の兵曹長、1等下士官の教育開始 8月7日 飛行予科練習生修業期間改正。甲種1年2カ月、乙種2年4カ月 8月14日 海軍航空部隊、南京、南昌渡洋爆発で航空作戦展開(乙飛1、2、3期出身者参加) 9月1日 第1期甲種飛行予科練習生250名、横須賀海軍航空隊入隊 1938年(昭和13) 1月14日 海軍練習航空隊に高等科整備練習生を新設 4月1日 第2期甲種飛行予科練習生250名、横須賀海軍航空隊入隊 6月1日 第9期乙種飛行予科練習生200名、横須賀海軍航空隊入隊(乙飛最高の戦死者率の期) 10月1日 第3期甲種飛行予科練習生260名、横須賀海軍航空隊入隊(甲飛最高の戦死者率の期) 10月1日 鈴鹿海軍航空隊開隊(偵察練習生教育) 11月1日 第10期乙種飛行予科練習生240名、横須賀海軍航空隊入隊(横空最後の期) 11月15日 特修科航空術練習生、修業期間9カ月以内に改正 12月10日 海軍連合航空隊令公布 12月15日 大分(実用機教育)、筑波(陸上機操縦)、鹿島(水上機操縦)海軍航空隊開隊 12月15日 第11練習連合航空隊編成(操縦教育練習航空隊) 1939年(昭和14) 4月1日 第4次海軍軍備補充計画(「■計画」)で、実用機34.5隊、練習機40.5隊、計75隊増強計画に着手 *■は「○」の中に「四」 4月1日 第4期甲種飛行予科練習生264名、霞ケ浦海軍航空隊入隊 5月1日 乙飛6期、甲飛1期出身者、海軍3等航空兵曹に任官 6月1日 第11期乙種飛行予科練習生393名、霞ケ浦海軍航空隊入隊 7月6日 「零式艦上戦闘機」最初の試験飛行に成功(8月19日実戦に初参加、実力を発揮) 10月1日 第5期甲種飛行予科練習生258名、霞ケ浦海軍航空隊入隊 10月1日 宇佐海軍航空隊開隊(偵察・操縦練習生教育) 11月1日 第12期甲種飛行予科練習生370名、霞ケ浦海軍航空隊入隊 11月1日 乙飛7期・甲飛2期出身者、海軍3等航空兵曹に任官 12月1日 谷田部、百里原、岩国海軍航空隊開隊(陸上機操縦) 12月1日 第12練習連合航空隊編成(実用機教育練習航空隊) この年、「一式陸上攻撃機」初飛行成功 1940年(昭和15) 4月1日 第6期甲種飛行予科練習生267名、霞ケ浦海軍航空隊入隊 5月1日 甲飛3期出身者、海軍3等航空兵曹に任官(入隊後1年9カ月) 6月1日 第13期乙種飛行予科練習生294名、霞ケ浦海軍航空隊入隊 8月1日 第14期甲種飛行予科練習生298名、霞ケ浦海軍航空隊入隊 9月18日 飛行予科練習生制度を一本化し、操縦、偵察練習生制度(部内選抜)を廃止、丙種飛行予科練習生制度新設 10月1日 飛行予科練習生修業期間改正。甲種1年6カ月、乙種2年6カ月、丙種六カ月 10月1日 第7期甲種飛行予科練習生323名、第1期丙種飛行予科練習生(57期操練相当)33名、霞ケ浦海軍航空隊入隊 11月1日 乙飛8期、甲飛4期出身者、海軍3等航空兵曹に任官 11月15日 土浦(予科練教育)、博多(水上機偵察・操縦教育)海軍航空隊開隊 11月28日 第2期丙種飛行予科練習生225名、土浦海軍航空隊入隊(58期操練相当) 12月1日 第15期乙種飛行予科練習生620名、土浦海軍航空隊入隊(乙飛大増員) 1941年(昭和16) 2月28日 昭和16年入隊の丙種飛行予科練習生(土浦空)。第3期2月28日633名、第4期5月1日416名、第5期6月30日201名、第6期8月30日432名、第7期10月31日 495名、第8期12月27日323名、第9期12月27日209名 4月1日 第8期甲種飛行予科練習生455名、土浦海軍航空隊入隊 5月1日 第16期乙種飛行予科練習生1237名、土浦海軍航空隊入隊 5月1日 甲飛5期出身者、海軍3等航空兵曹に任官 6月1日 「航空兵」を「飛行兵」と改称 8月12日 飛行予科練習生の採用年齢改正。甲種満16歳以上満20歳未満、乙種満14歳以上満18歳未満 8月19日 飛行予科練習生修業期間を短縮。甲種1年、乙種2年、丙種3カ月以内 10月1日 第9期甲種飛行予科練習生841名、土浦海軍航空隊入隊 10月1日 小松島海軍航空隊開隊(水偵操縦) 10月30日 第1期丙種飛行予科練習生、操縦教程終了(入隊より1年1カ月) 11月1日 乙飛第9期出身者、海軍3等飛行兵曹に任官 12月1日 第17期乙種飛行予科練習生1209名、岩国海軍航空隊入隊 (『海軍飛行豫科練習生』第2巻より) 太平洋戦争中の飛行予科練習生 1941年(昭和16) 12月8日 太平洋戦争開戦、機動部隊ハワイ真珠湾攻撃 12月10日 マレー沖海戦で陸攻隊により英国極東艦隊戦艦2隻を撃沈 1942年(昭和17) 2月28日 昭和17年入隊の丙種飛行予科練習生。第10期2月28日520名(土浦)、第11期5月25日568名(鹿屋)、特11期8月1日300名(岩国)、第12期7月30日507名 (岩国)、第13期9月29日323名(岩国)、第14期11月30日397名(岩国)、特14期12月1日273名(岩国)、第15期12月1日631名(三重) 4月1日 第10期甲種飛行予科練習生1097名、土浦海軍航空隊入隊 4月1日 北浦、大津(水練)、大井(偵察)、名古屋(陸練)、徳島(艦戦実用機)海軍航空隊開隊 5月1日 乙飛10期、甲飛6期出身者、海軍3等飛行兵曹に任官 5月1日 第18期乙種飛行予科練習生1480名、土浦海軍航空隊入隊 6月5日 ミッドウェー海戦、空母4隻、歴戦の搭乗員多数喪失 6月 海軍軍備充実「改■計画」決定、航空軍備拡充強化、搭乗員急速養成に着手 *■は「○」の中に「五」 8月8日 第1次ソロモン海戦 10月1日 第11期甲種飛行予科練習生1191名、土浦、三重海軍航空隊入隊 10月1日 筑城、鹿屋(2代・錬成教育)海軍航空隊開隊 11月1日 高雄(2代・陸練)、追浜、相模野(整備)海軍航空開隊 11月1日 階級制度改正。4等飛行兵−2等飛行兵、3等飛行兵−1等飛行兵、2等飛行兵−上等飛行兵、1等飛行兵−飛行兵長、3等飛行兵曹−2等飛行兵曹、2等飛行兵曹−1等飛行兵曹、1等飛行兵曹−上等飛行兵曹 11月1日 乙飛11期、12期、甲飛7期出身者、海軍2等飛行兵曹に任官 11月1日 飛行予科練習生の制服、水平服から“七ツ釦”短ジャケットに改正 12月1日 第19期乙種飛行予科練習生1500名、土浦、三重海軍航空隊入隊 12月7日 乙種飛行予科練習生制度の改正裁可、乙種(特)飛行予科練習生制度の創設を決定 12月31日 大本営、ガダルカナル島撤退決定 1943年(昭和18) 1月31日 第16期丙種飛行予科練習生603名、土浦海軍航空隊入隊 2月1日 練習連合航空隊を統轄する練習連合航空総隊司令部設置 2月1日 海軍練習航空隊規則の改正により乙種飛行予科練習生(特)制度制定 3月31日 第17期丙種飛行予科練習生643名、岩国海軍航空隊入隊(丙飛最終クラス) 4月1日 昭和18年入隊の乙種(特)飛行予科練習生。第1期4月1日1585名(岩国)、第2期6月1日622名(岩国)、第3期8月1日526名(岩国)、第4期10月1日787名(三重)、第5期12月1日937名(三重) 4月1日 鹿児島(予科練)、出水、黄流(陸練)、台南(二代)、厚木、豊橋、宿毛(錬成)海軍航空隊開隊 4月1日 第19練習連合航空隊編成(予科練教育) 4月1日 第12期甲種飛行予科練習生(1次)1960名、土浦、三重、鹿児島海軍航空隊入隊 4月18日 連合艦隊司令長官山本五十六大将戦死(6月5日国葬) 4月 竹間忠三大尉(潜水艦乗組)、人間魚雷構想の意見書を大本営参謀井浦祥二郎大佐(潜水艦担当)に提出 4月 近藤誠中尉(「イ165潜水艦」航海長)、人間魚雷の血書願書を連合艦隊司令部に提出 5月1日 第20期乙種飛行予科練習生2951名、土浦、三重、鹿児島海軍航空隊入隊 5月1日 乙飛13期、14期、甲飛8期、9期出身者、海軍二等飛行兵曹に任官 5月22日 飛行予科練習生の採用年齢、修業期間を改正。甲種満15歳以上満20歳未満、1年6カ月(第1学年6カ月、第2学年1年)、乙種満14歳以上満18歳未満、2年6カ月(第1学年6カ月、第2、第3学年各1年)、乙種(特)1年(第1学年6カ月、第2学年6カ月)、丙種6カ月 5月23日 乙種(特)飛行予科練習生、操縦、偵察、射撃専修に分けて教育開始 6月1日 第12期甲種飛行予科練習生(2次)493名、土浦海軍航空隊入隊 6月1日 洲ノ崎(射撃兵器整備)、詑間(水上機実用機教程)海軍航空隊開隊 8月1日 第12期甲種飛行予科練習生(3次)762名、鹿児島海軍航空隊入隊 8月27日 飛行予科練習生修業期間短縮。甲種6カ月、乙種1年8カ月、乙種(特)6カ月、丙種3カ月以内(現に修行中の期を含む) 9月30日 海軍省に海軍特攻部新設(部長・大森仙太郎中将) 10月1日 第13期甲種飛行予科練習生(1次)1万1092名、土浦、三重、鹿児島、松山、美保海軍航空隊入隊 10月1日 美保、松山(予科練教育)、姫路、三亜、海口(実用機教程)、第2相模野(整備)海軍航空隊開隊 11月1日 乙飛15期、16期、甲飛10期出身者、海軍2等飛行兵曹に任官 12月1日 宮崎(実用機教程)、河和(整備)海軍航空隊開隊 12月28日 黒木大尉、仁科中尉、人間魚雷採用を海軍省、軍令部に懇請 1944年(昭和19) 1月21日 第1期乙種(特)飛行予科練習生、飛練卒業、実用機教程へ進む 2月1日 昭和19年入隊の乙種(特)飛行予科練習生。第6期2月1日715名、第7期4月1日353名、第8期6月1日502名、第9期8月1日478名、第10期10月1日336名、三重海軍航空隊高野山分遣隊入隊 2月26日 海軍省軍務局、極秘裡に仮称“■金物”(のちの人間魚雷「回天」)の試作を呉海軍工廠魚雷実験部に指示(海軍中央部の特攻作戦表面化の始まり) ■は、「○」の中に「六」 3月 乙飛18期、最短期間で卒業(1年11カ月) 3月31日 連合艦隊司令長官古賀峯一大将戦死 4月1日 土浦海軍航空隊の乙飛各期、三重海軍航空隊に移転 4月1日 乙飛1期出身者、海軍大尉進級、軍令承行令施行 4月1日 昭和19年入隊の甲種飛行予科練習生。▽第14期=4月1日1万9086名(土浦、奈良、松山、美保、西宮)、5月15日1602名(第1岡崎、第2岡崎)、6月1日6010名(土浦、松山)、6月15日1117名(藤沢、第1岡崎、垂水)、6月15日1519名(土浦、岡崎)、7月1日121名(藤沢)、7月10日 5362名(横通校、防通校)、7月15日766名(第1、第2岡崎、藤沢、垂水)、7月15日1057名(第1、第2岡崎、藤沢)、8月15日1429名(第1、第2岡崎)、9月15日1624名(土浦、第2岡崎)、10月15日1717名(土浦、第1、第2岡崎)▽第15期=9月15日2万4461名(土浦、奈良、松山、美保、滋賀)、10月20日1999名(美保)、11月15日8825名(横通校、防通校、電測校)、12月20日1432名(防通校) 4月6日 甲飛受験資格を中学校3年1学期修了と改正 5月1日 特殊潜航艇「甲標的T形」(のち小型潜航艇「蛟龍」)試作開始 5月1日 川棚臨時魚雷艇訓練所開所 5月15日 昭和19年入隊の乙種飛行予科練習生。▽第22期=6月1日3600名(三重、鹿児島)▽第22期相当=5月15日2023名(人吉、串良)、6月15日2906名(人吉、串良、洲ノ崎)、7月15日3194名(第2鹿屋、串良、洲ノ崎)▽第23期=8月1日4654名(三重、鹿児島)▽第23期相当=8月15日1685名(人吉、串良)、8月20日1682名(防通校)、9月15日1281名(人吉、串良)、10月15日1224名(人吉、岡崎、第2鹿屋)、11月15日2907名(人吉、岡崎、第2岡崎)▽第24期=12月1日9110名(三重、松山、鹿児島)▽第24期相当=12月12日2507名(人吉、串良、岡崎、第2岡崎) 5月27日 「■艇」(のちの水上特攻艇「震洋」)試作完成、実験に入る ■は「○」の中に「四」 6月1日 マリアナ沖海戦で搭乗員多数喪失 昭和19年開隊の海軍練習航空隊。予科練=福岡6月1日、滋賀8月5日、三沢、清水、小松以上9月1日、小富士10月1日、倉敷、浦戸以上11月1日▽陸練=第2美保1月15日、第2郡山3月15日、筑城4月1日、虎尾5月15日、国分8月15日、神町12月15日▽水練=第2河和4月1日▽偵察=上海、青島以上1月15日、高知3月15日▽実用機=神ノ池2月15日、豊橋(2代)7月10日、松島8月1日、元山(2代)8月15日▽雷爆兵器=垂水2月1日▽射爆兵器=第2鹿屋2月1日▽航空無線電波兵器=藤沢6月1日▽整備=郡山1月15日、香取、人吉、第2台南以上2月1日、岡崎、串良以上4月1日、第2岡崎、第2出水以上8月15日▽射撃術専修=第2高雄8月15日 6月27日 「SS金物」(のちの有翼小型潜航艇「海龍」)試作完成、実験に入る 7月1日 「第1特別基地隊令」制定(P基地) 7月10日 第1特別基地隊編成、司令官長井満少将着任 7月17日 サイパン島守備隊玉砕 7月25日 「■金物」大入沖魚雷射撃場で性能試験を実施 ■は「○」の中に「六」 7月 人間魚雷試作3基完成、■金物と称す ■は「○」の中に「六」 8月1日 「■金物」を「回天1型」と命名 ■は「○」の中に「六」 8月5日 第6艦隊水雷参謀板倉光馬少佐、回天指揮官に発令 8月6日 「■部品」(人間爆弾「桜花」)試作設計に入る ■は「○」の中に「六」 8月26日 「■艇」兵器に採用、「震洋」と命名、第1震洋隊(50隻)編成 ■は「○」の中に「四」 8月 「SS金物」1号艇試作完成 9月1日 大津島「回天」基地開隊、航走訓練開始 9月5日 甲種飛行予科練習生の受験資格、中学2年修了に改正(乙飛と同等となる) 9月6日 黒木、樋口両大尉「回天」訓練中遭難 10月25日 最初の神風特別攻撃隊敷島隊、米空母部隊に突撃 11月1日 甲飛1期、乙飛6期出身者、海軍少尉に任官 11月7日 「回天」特別攻撃隊菊水隊、「イ36・37・47潜水艦」大津島出撃(20日ウルシー、パラオ泊地突入) 11月24日 B29、80機、東京初空襲 11月25日 光「回天」基地開隊、訓練開始 12月25日 「回天」特別攻撃隊金剛隊「イ47潜水艦」、「イ36、53、58潜水艦」出撃 1945年(昭和20) 1月9日 金剛隊「イ48潜水艦」出撃(12日グアムアプラ港外の米前進基地突入) 1月15日 昭和20年入隊の乙種飛行豫科練習生。▽第24期=1月15日4092名(奈良)▽第24期相当=1月25日2965名(防通校、藤沢)、2月15日4834名(奈良)、2月25日2565名(防通校)、3月15日5116名(奈良、高野山)、4月15日5842名(奈良、高野山)5月15日5013名(奈良、高野山)、6月15日3887名(奈良、高野山) 2月20日 回天特別攻撃隊「イ368潜水艦」出撃(23日「イ44潜水艦」出撃) 3月1日 昭和20年開隊の海軍航空隊。予科練=奈良、高野山、西宮、宝塚、宇和島▽陸練=第3岡崎、大和、釜山、東京、峯山、西條、観音寺、岩国(2代)、光州▽水練=福山、天草▽雷爆兵器=田浦 3月1日 練習連合航空総隊司令部、第10航空艦隊に編成替え、第21、第22、第23、第24連空編成 3月1日 平生回天基地開隊、「イ58潜水艦」出撃 3月1日 特別戦隊編成、第1特別基地隊は第2特攻戦隊となる 3月2日 振武隊「イ58潜水艦」出撃 3月13日 第1回天白竜隊、光基地出撃 3月17日 「桜花11型」兵器採用 3月29日 回天特別攻撃隊多々良隊「イ47・56・58・44潜水艦」出撃 4月1日 昭和20年入隊の甲種飛行予科科練習生。▽第16期=4月1日1万 788名(土浦、松山、浦戸、美保、滋賀、清水、小富士、宝塚、福岡)▽第16期相当=4月15日204名(宝塚)、4月25日864名(電測校)、5月15日 497名(宝塚)、6月1日 941名(三沢)、6月15日 858名(宝塚)、6月25日2789名(宝塚、防通校)、7月15日2183名(宝塚、電測校、藤沢)、7月25日5524名(防通校、奈良、高野山)、8月15日386名(宝塚) 4月6日 沖縄航空特攻作戦開始 4月7日 戦艦「大和」以下、沖縄特攻出撃で沈没 4月20日 回天特別攻撃隊天武隊「イ47潜水艦」出撃 4月25日 大神回天基地開隊 5月1日 乙飛9、10期、甲飛6期出身者、海軍飛行兵曹長に、乙飛7期、甲飛2期、3期出身者、海軍少尉に任官 5月1日 軍令部、回天隊編成を示達 5月5日 振武隊「イ367潜水艦」出撃 5月10日 第32突撃隊、油津基地に進出 5月15日 八丈警備隊、八丈島基地に進出 5月20日 第23突撃隊、須崎基地に進出 5月23日 轟隊「イ361」「イ363」出撃(6月4日「イ36」15日「イ165潜水艦」出撃) 5月末 予科練教育、飛練教程教育中止、本土決戦態勢に急速戦力化。第20連空を残し逐次解除 6月1日 「海龍」隊編成 6月1日 予科練習生教育航空隊、下記を残し、練習生の作戦配備完了とともに逐次解除。土浦、三重、滋賀(航空特攻要員教育)倉敷、小富士(水上水中特攻要員基礎教育)宝塚、奈良、高野山(新入隊予科練習生基礎教育) 6月17日 第33突撃隊、南郷基地に進出 7月14日 多聞隊「イ53」7月18日「イ58」出撃(7月19日「イ47」「イ67潜水艦」出撃) 8月1日 多聞隊「イ366潜水艦」出撃 8月6日 第12突撃隊、小浜基地に、第22突撃隊、由良基地に、第21突撃隊、麦ケ浦基地に進出 8月8日 多聞隊「イ363潜水艦」出撃 8月15日 終戦 8月16日 神州隊「イ159潜水艦」出撃(18日帰投) (『海軍飛行豫科練習生』第2巻より) *この年表は常陽新聞連載「等身大の予科練−インタビュー構成」第159回−第174回に併用したもので、単行本『等身大の予科練−戦時下の青春と、戦後』の巻末年表とは異なります。 |
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