『続・霞ケ浦報道(付)利根川・那珂川)』の構成

 1 土浦郷土史研究覚書 霞ケ浦 飯塚 松次郎
   昭和33年(1958)8月28日―9月29日
大海の一部だった ナウマン像がすむ 1
上高津の貝塚 古代人集落の中心 2
真鍋台に住居址 次第に低地に移る 4
郷土の地理書 重要な常陸国風土記 5
湖をめぐる五郡 霊亀年間に新制度 7
霞の流海が浦に 土浦は葦の生えた入江 8
潮来と仙台河岸 江戸時代に湖岸開発 10
繁盛した潮来 全盛期は天明まで 12
近江から公魚 常磐線敷設と水害防除 14
霞ケ浦生えぬき わかさぎの生態 15
開かれた水路 土浦は水陸の要衝に 17
養魚熱も衰微 鯉の増殖に重点おく 18
もっぱら帆曳網 動力化した漁船 20
街頭の公魚焼 漁獲の六割が土浦へ 20
汚水に脅される 続く干拓事業と埋立 22
漁獲能率あげる 大徳網業者は減る 23
干拓事業の完成 どう霞ケ浦が変わるか 24
淡貝の存在価値 蓮根の栽培もさかん 26
湖坊主と鐘の話 寺神戸氏の小説「蚕」 27
夢の浮島の哀話 蘆花の「漁師の娘」 29
帰らぬお光 絶たれた老夫婦の望み 31
海軍航空隊 阿見に大格納庫 32
空の港霞ケ浦 土浦と阿見の発展 34
商港土浦の築港 土浦入の移り変わり 36
保勝会の実績 観光はいつ頃から? 37
潮来まで廿八銭 土浦からの汽船賃 39
霞ケ浦の八景 江戸末期から明治年間 40
安政に土浦八景 芭蕉の鹿島紀行も 42
牧水の水郷巡り 蘇峰讃える「水国の秋」 43
桜川堤の桜 観光事業も軌道に 45
かすみ人形 郷土色豊かに持つ 46

 2 霞ケ浦周遊
   昭和42(1967)3月18日―4月23日
「湖岸道路」建設へ 水郷の観光開発遅々 49
山と水の循環道路 中部観光横断へ発展 50
民間で有料道路 出島と玉造間は架橋 52
三十億円は要る 四十五年完成を目標に 53
予科練の発祥地 魂は生きている 54
観光バスで訪れる 大空仰ぐブロンズ像 55
マンモス国民宿舎 “月でも眺める”池田さん 57
ヒットを放つ 県立園芸試験場 59
栗、梨、ブドウ マロンハスカー開発 60
まず話すことだ 第一回の卒業式あぐ 61
所得の増加と酒 ウイスキーと果実酒へ 63
三菱油化研究所 立ち直った三昌樹脂 64
アセチレンガス 水あめの大手工場 65
資金需要は旺盛 農家が商業部門へ 67
学校が優先だよ 本年度は道路行政 68
総合センター誘致 丈六の薬師も近代化 69
木原の平田篤胤 小沢邸に三年間 70
布佐の毘沙門天 木原にいた東條英機 72
飼料に酒造廃液 酪農経営の分岐点 73
公害転じて効用 虎払の柱杖と虎の刺繍 74
地場産業の醤油 花も七分咲き江戸崎へ 75
協業化のモデル 零細企業の生きる道 77
七割の売上増加 焼失を免れた仁王門 78
上町と下町気質 取らぬ狸の皮算用 79
干拓と吹上の松 エッチな榎浦の河童 80
花匂う伝説の里 隠里と椎塚の諏訪神社 82
消えた剣豪の墓 水運去り陸運の時代へ 83
成田線“一声千両” 総合開発による干拓 84
小野川改修遅る 東京からの進出工場 86
桜川村大杉神社 義経も天海僧正もいた 87
義烈“十三塚墓碑” 小野川畔ほいほい地蔵 88
史蹟・神宮寺城址 北畠親房この地に拠る 90
綺麗な空気と水 夢の浮島でなくなる 91
雷棒と小紋石 伝説と史蹟の浮島 92
トラクターが40台 関東の早場地帯・東村 94
親房の阿波城址 満願寺の金仏釈迦像 95
少なくなる釣場 買物は佐原か江戸崎 96

 3 続・霞ケ浦周遊
   昭和42年(1967)6月26日―11月15日
“新築の家がない” 自然美に眠る出島村 99
いまはなし「大津」 明治時代から水運衰微 100
前衛画的な貝殻層 崎浜の横穴は11カ所 101
“文明”に触れた驚き 飯田吉英さんの回想 103
ほとんどが未舗装 “忘れられている県道” 104
愛嬌ある童女の顔 女人泰産の腹帯地蔵 106
村の人気者「勇山尼」 松学寺境内の小祠に 107
数学者が株で蓄財 “三仙”の飯島正之助 109
崎浜と佐藤一斎 文人墨客が訪れる 110
主人慕い湖上泳ぐ 房中に残る牛塚悲話 111
火に飛び込む祐雅 明治19年、南円寺炎上 113
珍祭へいさんぼう 牛渡・鹿島神社が舞台 114
親子混同した説も 伝記にみる高島呑象 116
戦乱期の剣の達人 宝昌寺に眠る小田孝朝 117
住民の結束は固い 御用金免除の嘆願書 119
名主が代官と密約 天保の坂村大騒動 120
農民のために尽くす 名主総代の細野冉兵衛 122
冉兵衛、獄中で死ぬ 悪人長左衛門は村役ご免 123
水上安全、縁むすび 数々の歩崎観音縁起 125
湖岸一帯を舞台に 人気集めた「米」のロケ 126
歩崎に異人館建つ 米人ヘレス、今もナゾ 128
年末に子らを招待 ヘレスは鉄道技師か 129
五十八種類の漁法 帆曳き創始者・折本良平 131
今や存廃の岐路に 天覧になった帆曳き 132
漁に新しい息吹き 網いけすでコイ養殖 134
“早くあがるコイ” 悪評退治に生締池 135
門弟三千人を教育 斉藤晩晴の桑拓村屋 137
ワカサギ三升百文 幕末の物価、新兵衛さんの直話 138
三又沖は深く危険 漁戒“びん三本の風” 140
霊鐘陸路を西へ 雌鐘、恋瀬川畔に 141
三又沖に沈む雌鐘 遭難の盗賊が捨てる 143
土屋サマでも下馬 格式高き椎の長福寺 144
鹿で来た空也上人 宍倉部落で大往生 146
出島から農民志士 天狗党の挙兵に参加 147
尊王攘夷の急先鋒 安食の郷士竹内百太郎 149
強引な軍資金徴発 筑波挙兵で二万五千両 150
竹内百太郎も死罪 無念、敦賀で涙のむ 151
苛酷な麻縄の責め 志士太宰の愛人入牢 153
太宰の死に会えず 再び召捕、十日も絶食 154
粋な江戸生まれ美人 田伏に佐藤せいの墓 156
一日六食と酒二号 日本差しの農兵物語 157
逃亡の末、また浮かぶ 二転三転の“夜明け前” 158
凄惨なおしおき場 諸生党員の最期見る 160
唯一の郷土芸能 西成井の出島ばやし 161
やぶさめ凌ぐ豪壮 今はなし竹切り神事 163
柏崎と浜間に渡船 伝説の竜、対岸に通う 164
田余―玉里の由来 日本武尊、称賛の井戸 166
今秋の着工を待つ 高浜入り干拓、村長の期待 167
浜・柏崎間に締切堤 八郎潟につぐ大干拓 169
豊かで明るい生活 雄大な田園都市計画 170
弟橘比売と鳥塚橋 笄に羽が生える 171
家来が京から担ぐ 重盛信心の阿弥陀像 173
黄門サマもケロリ 玉造町の名医春庵の快気丸 175
“類い稀な孝行もの” 東福寺に弥作の墓 176
今に残る“筋渡し薬” 腕を切られた河童が伝授 178
筑波の義挙に参加 玉造勢、尊王派の急先鋒 179
行方郡いちばんの高所 現原の丘、即ち人形塚 181
蛇に化身した弁天 道祖神の急追逃れる 182
背に三枚のウロコ 一之沢入水の蛇女良 184
“開発バスに遅れぬ” 坂本玉造町長の抱負 185
金色の阿弥陀如来 親鸞、三又沖で引き揚げ 187
中継点の曽尼駅家 唐ケ崎長者屋敷とは別 188
長者一族は皆殺し 源義家、謀叛をおそれ 190
白砂盛りあげ湧水 椎井池に巨大なウナギ 191
姥ケ谷と孝行息子 “常陸高野”の西蓮寺 193
近県から商人集結 大賑わいの西蓮寺市 194
千年経つ銀杏二本 西蓮寺ばあさん植樹 196
料理は自慢の一つ 好評の国民宿舎「白帆荘」 197
蘆花絶賛の天王崎 詩歌に詠まれた景勝 199
神事「どぶろく祭り」 奇習様々の古い集落 200
気品あふれる作品 神聖な「なあば流し」 202
神馬とみこしの激突 八坂神社の馬出しまつり 203
針供養の淡島神社 大亀をまつる亀の宮 205
凄まじい神宮願文 一羽の弟子、土子泥之助 206
小熊、兎角を蹴落とす 麻生町に広大な薬師堂 208
浄財で薬師堂救う 関八州一望の養神台 209
天王崎に外部資本 小沼町長、黒くなり陣頭指揮 211
つくだ煮の創業者 麻生の奥村吉郎兵衛 212
ウケに入る大徳網 ワカサギ、トロールから脱出 214
無風が直接の原因 帆曳きからトロールへ 215
堕落の三寺つぶす 黄門さん、一乗寺創建 217
“のれん商法”脱却か 近く商業の広域診断 218
義経に従う平宗幹 島崎盛衰記の巻頭を飾る 220
宗幹、胸に筒矢当たる 源平入り乱れて死闘 221
島崎中興の良将長国 英仲和尚招き禅林を建立 223
行方の諸氏が呼応 島崎勢の陣形固まる 224
佐竹との縁組承知 島崎、逆臣の奸計に乗る 226
奥方の戒めもムダ 島崎、太田行きを決行 227
銃声一発、義幹死ぬ 保内山に佐竹の伏兵 229
乱戦の中で一騎打ち 徳一丸と戸村重太夫 230
遂に徳一丸自刃 島崎諸士が首脳者会義 232
島崎落城の火の手 落ち行く於里も自害 233
佐竹に無条件降伏 小貫大蔵、代官に出世 235
牛堀町の名誉町民 須田老の歩みを聞く 236
“牛島橋”で知事を釣る 北利根川架橋の秘話 238
神宮橋架設に奔走 18人の須田グループ 239
行方郡巡視の秘密 黄門さまに娘おさわ 241
念願は「水郷潮来市」 松原神社の世話もやく 242
夢を誘う鹿島開発 三つの計画が消える 244
「巌頭之感」の藤村操 尽きぬ須田老の秘話 245
権現山からの絶景 北斎が浮世絵に描く 247
山林反当たり75万円 鹿島開発で値上がり 248
マンモスあやめ園 観光牛堀が巻き返し 250
四、五年で合併実現 潮来、麻生、牛堀の三町 251
あやめ一本から脱却 四季楽しめる行楽地に 253
先住民族を焼き払う 潮来は歓楽郷を指す 254
江戸にまで潮来節 地の利得て遊里繁栄 256
涙あり愛ありの廊 栄華を偲ぶ口碑一つ 257
“ガリ勉家”が登楼 「日本外史」購入も夢 259
明治にはいり衰退 陸運に押された水運 260
難しいその判別 いわゆる潮来アヤメ 262
あやめ園協力会発足 頼朝ゆかりの長勝寺 263
水戸家と関係深し 三大聖堂の延方学校 265
聖堂を二十三夜尊に 散逸してしまった蔵書 266
間違って植えた桜 天満宮境内には梅を 268
免租運動漸く結実 弾圧の中山県令罷免 269
貧しい延方に干拓地 潮来町発展のカギ 271
延方に船越地蔵尊 僧・忍性の手づくり 273
法力で灰汁を消す その雲水は弘法大師 274
砂を煎じて解毒剤 名医・延方の沢田弘斉 276
慈眼で衆生に臨む 珍しい院号の愛染院 277
風雨至らば狂乱す 大生原水原の洲吠崎 279
著名な巫女舞神事 古墳群近くの大生神社 280
共有として年貢減免 珍しい二重谷の耕地 282
農民の利益を守る 二重谷組、厳重な加入制限 283
塩からい飲料水 未舗装のドロンコ道 285
芭蕉ゆかりの根本寺 仏頂和尚と暁の月見 287
正に神仙幽居の境 勅祭社の一つ、鹿島神宮 288
優秀な海浜の砂鉄 神剣、神武天皇に献上 290
水を入れて吹く笛 陶製玩具のコマ犬 292
縁結びと安産の神 神功皇后の「常陸帯」 293
京都からの奉弊使 片道15日を馬で従来 295
神宮、鶴と“蒸発” 三年目に我が家に戻る 296
先人の苦心、居切掘 鹿島開発でやがて変貌 298
堀割、水戸藩へ出願 浪人実業家・中館広之助 299
一部地元民が反対 広之助、現地で当惑 301
政府が乗り出し解決 堀割、高値で用地買収 303
工事、水戸藩引き受け 人足に徒刑者を使う 304
千四百両ウヤムヤ 土地代金と移転料 306
港湾建設で変貌 分断される堀割川 308
“開発に遅れるな” 県内外から商魂の渦 309

 4 那珂川風土記 木戸 敬二
   昭和47年(1952)1月30日―2月4日
<秋田美人> 佐竹候が連れて秋田へ 313
<慶長の洪水> 「佐竹勢」渡河できず 314
<天明三年の洪水> 歳末に「菜の花」咲く 314
<天明六年の大洪水(1)> 暴風雨と薄月夜と 316
<天明六年の大洪水(2)> 穀倉ひらき「稗」放出 317
<その後の洪水> 早鐘や太鼓たたいて 318
<那珂川の今昔(1)> かつての風情どこへ 319
<那珂川の今昔(2)> 雨に煙る城下町の灯 321
<備前堀そのほか(1)> 乱暴なつけ替え工事 322
<備前堀そのほか(2)> 水路づくりは不成功 323
<笠原水道から(1)> 永田円水と提灯測量 325
<笠原水道から(2)> ばく大な費用と労力 326
<「水戸」にふれて> まだ残ってる後進性 326
<昨今のあれこれ(1)> 実のあるカネで改修を 328
<昨今のあれこれ(2)> 反対叫び、日が暮れる 329
<昨今のあれこれ(3)> 不自然な形から被害が 330
<昭和の洪水(1)> 荒れ狂って屋根をはぐ 331
<昭和の洪水(2)> “天聴”に達した惨状 333
<「千波湖」あれこれ(1)> かつての姿とどめず 334
<「千波湖」あれこれ(2)> 「風致を守る会」に期待 335
<汚れた水(1)> “死相”みせて流れる 336
<汚れた水(2)> 自然の恵みを生かせ 337
<「勝田」に沿って> たれ流しでは堪らぬ 338

 5 霞ケ浦八景のあとを訪ねて 木戸 敬二
   昭和49年(1974)4月20日―4月28日
<潮来の夜雨> 吉原、島原と並ぶ遊女街 川岸には蔵屋敷がズラリ 341
<牛堀の帰帆> 追い風を待つ舟で賑う 哀愁誘う「小里の方」の墓 342
<浮島の秋月> 「美人の里」で名を売る 語り継がれる豊かな伝説 344
<江戸崎の落雁> 北畠親房追討に村中騒然 寺院ゆさぶった南海坊天海 346
<土浦の墓雪> 譜代の切れ者・土屋氏 涙を秘めた神竜寺・マリア像 348
<歩崎の晩鐘> 慈悲深い伝説の数々 香取の森まで見える景勝地 350
<高浜の夕照> 砂州で遊んだ万葉人 鹿島、香取へ船で出入り 352
<天王崎の晴嵐> “観光の町”は大打撃 水泳場を奪った水の汚れ 353

 6 茨城の水
   昭和49年(1974)8月1日―12月14日
<水戸市> 最大日量11万トン給水 水利権はギリギリ 光圀が創設した本格水道 357
<日立市> 54年の供給量は11万トンで限界 社会増押さえ人口22万 全県の広域水道を急げ 51年の完成目指し竜神ダム 361
<常陸太田市> 10年の余裕がある給水施設 六次拡張、三月に整備終わる 支払い利息、54年が最高 光圀苦心の山寺水道 365
<那珂湊市> 頼りは深井戸九本 もう掘りつくす 旧射爆撃場跡に豊富な泉 370
<高萩市> 豊富な水量、高い料金 使用量一人当たりわずか90g 利息分を一般会計から繰り入れ 374
<古河市> 地下水から表流水へ 思川浄水場、だが暫定水利権原価と収入額も逆転 378
<下館市> 51年には二万トン給水へ 3地区を統合、事業計画追いつかぬ料金改定 382
<勝田市> “那珂広域”に託す 一人一日すでに三七三立方メートル“赤字の水”に転落 385
<笠間市> 簡易水道から上水道へ 51年度には完成 霞ケ浦用水、前途まだ多難 389
<北茨城市> “大北川ダム”目論む 過疎地でも水使用量増加水道料金41年から据え置き 393
<結城市> 給水量は一万二千立方メートル 水量の少ない鬼怒川 52年が元利償還のピーク 396
<下妻市> 来年度から水道調査 90%の簡易水道“不適合” 霞ケ浦用水事業が頼り 400
<土浦市> ヤマ場を迎える52年 霞ケ浦、目の前にあるが市内の全域に給水へ 404
<石岡市> 柏原工団の配水場稼動 進出した全企業に配水へ 三次拡張で施設整備 408
<岩井市> 53年に待望の給水開始 来年度着工、水源は深井戸 まず市街地を中心に 412

 7 (続)那珂川風土記 木戸 敬二
   昭和49年(1975)1月10日―1月26日
<勝田によせて> 早まった出水時間 “備え”なしで開発、宅造 忘れかけた洪水の恐怖 417
<小泉付近から(上)> 後継者に悩む米どころ 「今のモンは」とグチる父親 「娘は勤め人のところへ」と母親 418
<小泉付近から(下)> 郷土愛の範示す老人連 年に三〜四回、川岸清掃 “第二の奉仕”に励む70人 420
<涸沼川にそって(上)> モラル低下した海の男 川幅せばめる沈廃船、遠慮しながら航行 421
<涸沼川にそって(中)> 危機承知で家建てる 「川から離せ」の注意無視 忘れられた河川法の適用 423
<涸沼川にそって(下)> 季節問わぬ釣りの名所 今月末からはニシン漁 シジミ舟も休むヒマなし 425
<涸沼あれこれ(上)> 詩情あふれる砂州並木 海の魚と川魚が同居 サケまで遡上する魚の宝庫 426
<涸沼あれこれ(下)> 「開発構想」動き出す 「商港反対」と民俗学会 不動産業者は思惑買い 428
<大洗の今昔(上)> 遊郭で賑わった祝町 城下と海から先客万来 「悪気消除に」と光圀が造る 429
<大洗の今昔(下)> 衣がえ進む“海の街” フルシーズン型になった観光 新水族館、海岸プールが誕生 430
<那珂湊あれこれ(1)> 百年ぶりの“湊決戦” “ガードマン職員”で町二分 市民から疑心暗鬼のどん底に 432
<那珂湊あれこれ(2)> 労苦重ねた築港事業 昭和八年から本格的に着工 江戸・明治期にも検討される 433
<那珂湊あれこれ(3)> 活気みられぬ港町 芸妓衆は水戸へ出稼ぎ 小名浜などへ流れる酔客 434
<那珂湊あれこれ(4)> 川にゴミを捨てないで! 水がいのちの川下の町 潮で戻され海岸へ漂着 436

 8 霞ケ浦 木戸 敬二
   昭和50年(1975)2月22日―3月6日
<計画の流れ(上)> 大洪水との闘い続く 明治33年から利根川改修 439
<計画の流れ(下)> 排水・洪水位の低下図る 周辺河川を拡幅・浚渫 440
<水ガメ化> 無堤地帯解消とカサ上げ 本県と首都圏の水需要に対処 442
<水のよごれと水質保全(上)> 家庭排水や畜産汚水流入 富栄養化で老齢化現象 444
<水のよごれと水質保全(下)> ヘドロ活用などに成果 建設省、水質保全で三つの実験 446
<高浜入干拓のこと(1)> 大麦9684石を生産 食糧危機の打開へ 448
<高浜入干拓のこと(2)> 休耕地活用こそ先決 水質浄化と農地造成両立 449
<高浜入干拓のこと(3)> 国土保全の願いに逆行 内水面漁業振興こそ不可欠 451
<高浜入干拓のこと(4)> “安い買い物”がネライ 欺まんに満ちた漁業補償 452
<もらい水(上)> 那珂川導水など議論百出 水ガメ化しても貯水に限度 454
<もらい水(下)> 余剰水を有効に活用 水戸市水府町に低水ダム 456
<あとがき> 洪水に対して安全なのか きざし見えた漁業補償だが 458

 9 鹿島灘
   昭和53年(1978)7月20日―9月1日
工業団地とは別天地 461
下津浜に人影なし 462
住金さまさま鹿島町財政 464
片手間になった農業 465
「鹿島開発は成功だった」 466
農業捨てる移転農民 468
鹿島開発のプロローグ 469
物から心へ重心移動を 471
仕事量減るタグボート 472
「岩上神話」は錯覚? 473
目標はカスミストア 474
“寝ぐら”も欲しい神栖町 476
しつけの良い神栖三中生 477
生徒同士の“壁”なくなる 479
真理を追究、こころ清く 480
能力別に授業編成 481
大部分が住金の子弟 483
貨物輸送量減る臨鉄 484
少年非行の増加が悩み 486
大気汚染とゼンソク 487
民宿業者も知恵しぼる 488
激化する預金獲得競争 490
陸に上がった「一の鳥居」 491
嫌地現象出たピーマン 493
手つかずの波崎工団 494
魚ばなれが悩みのタネ 495
漁業は果たして斜陽か 497
美田変じて施設園芸に 498
着々進む海岸環境整備 500
大福寺の十一面観音 501
ハマナス自生南限地 503
大洋村にも開発の影響 504
サツマイモから蔬菜へ 505
流麗な釈迦如来立像 507
環状線で車をさばく 508
田園都市で進みたい 509
生き物万歳センター 511
メロンの生産日本一 512
安いか高いか直売り 513
豪華な「いこいの村」 515
キレイな海は変わらず 516
ゴルフも上向く大洗 517
ショーマンシップ 519
磯で名所は大洗さま 520

 10  利根川ところどころ
   昭和53(1978)9月18日―11月1日
(一)取手・小堀の巻
高瀬舟の盛衰を見る 流路変わり“飛び地”に 523
かつては船乗り相手 終戦前まであった「湯舟」 524
宿はすでに姿消す 寺田姓名乗る五軒の船宿 525
造船は受け継がれた 土浦に活路、鈴木さん一家 526
30人近く乗れた湯舟 川に浮かぶ“赤ちょうちん” 528
健在なり市営渡船 サッパからポンポンに 529
表向きは我孫子市民 日常生活の大半、千葉県に依存 530
古利根の水上公園化 住民に共通の強い要望 531
(二)利根・布川の巻
かつては食糧集荷地 いまなお残る古い土蔵 532
地名に往時をしのぶ “賃取橋”も永久橋に 533
学生などに情報提供 来見寺住職、宗旦の資料保管 534
銚子夜立ちの中継点 水戸街道向け陸送も 535
(三)河内・金江津の巻
念願の永久橋、来春完成 姿を消す“名物”の舟橋 536
歳月を物語る大黒柱 老舗には明治の風格 537
堀と石垣と老松と 福田家は江戸初期の構え 538
下総町との固い絆 ともに祝う助崎祇園 539
目立つ若者の流出 生産調整、“米どころ”を直撃 540
(四)守谷・大木の巻
賑わった河岸問屋 八方へ抜ける交通の要衝 541
増水時に見た高瀬舟 御用舟の頭の末裔、須賀義雄さん 542
屋敷内に河岸場 母屋の北側に水神さま祀る 544
流路変更で真っ二つ 強いられた苦難の生活 545
三代におよぶ架橋運動 実現したが渡船は残る 546
祭りを絶やすな 若者が活躍する貴重な機会 547
(五)守谷・大八洲の巻
“果たせぬ夢”実現へ 満州から帰国、開拓団再建 548
菅生を根拠地に 天幕張っての耐乏生活 549
容赦ない台風の襲来 収穫目前にして作物壊滅 550
溢流堤に喜び、泣く 入植後初の豊作前に決壊 551
37年に災害復興祭 結束さらに固めた76戸 552
素住台の21戸が集団移転 住宅公団の大規模団地造成に伴い 554
減反政策にもめげず 「酪農」「大麦」を前面に 555
年間粗収入1000万円 “部落共同体”今なお健在 556
(六)稲敷・江戸崎の巻
商人に先取りの才覚 アーケードで売る商店街 557
小野川河口に立地 “江は河”“戸は玄関” 558
盛んだった回漕業 小野川河岸を拠点に 559
いまに残る景観美 「霞ケ浦四十八津」の一つ 560
大念寺に宮田輝の祖父の墓 祖先は船頭、呉服店を経営 561
かつての賑わいを 町内有志が方策探る 562
荒沼も消えるか 干拓計画に賛否両論 564
(七)桜川・浮島の巻
“隠れた楽園” かつては遊泳客で賑わう 565
女神に相撲を奉納 姫宮神社に残る祭事 566
干拓で生活向上 稲敷台地と陸続きに 567
自然の宝庫へ変身 永遠に残る島でありたい 568

 11 霞ケ浦 坂本 清
   昭和54年(1979)8月24日―昭和55年(1980)4月11日
 一、 名称はどこからきたか
常陸風土記に由来 語源は“かすみのさと” 571
古代には「流海」とも 榎浦や香澄など内海から成る 572

 二、 どうして、できたか
陸地の隆起か陥没か 大海の波と風、砂揚げ口ふさぐ 574
「四十八津」の誕生 支配を離れた近世の組織 575
淡水化の時期は不明 もと海跡湖、井戸水に塩分 576

 三、 どんな湖か、そのあらまし
耕地と山林に囲まれる 干拓された広大な湿地帯 577
正確な測定記録ない 湖岸線の最長は出島 578
かつては湖面結氷 歩行可能な厚さに 580
夏季は一日20万トンが蒸発 水位10ミリ低下と測定 582
湖流は毎秒わずか2ミリ 時計回りか、反時計回りか 583
湖心部の底は砂か ほとんどがシルト層 584
完全な砂質の湖岸少ない 極めて厚いヘドロの層 586

 四、 その変化と未来像
120年待たずに水深ゼロ? 汚濁物質で“上げ底”に 587

 五、 どんな川が流れているか
流入河川は合計55本 古記録にも登場 589
清流だった桜川 山王川など水質浄化困難か 591
有害物質は不検出 市街地小河川の汚濁顕著 593
汚濁の筆頭は山王川 蓮根で泥臭ひどい川尻川 594
開発が汚濁に拍車 山王川など典型 595
こわい「生物濃縮」 濃度低くても体内に蓄積 596
総量規制、即時実行を 濃度規制は不合理 598
汚濁に藻も育たぬ 家庭・養豚など原因は広範囲 599

 六、 流入河川の今と昔
浚渫にも効果なし ヨシやマコモ、流れを阻害 600

 七、 水についての考察
一般にわからぬ数値 五感の判定法はないか 601
浄化への決め手なし 典型的な富栄養湖 602
浄化対策の検討進む アオコの直接除去も 603
富栄養化とは「老化」 人為的原因がほとんど 604
社会資本の整備不全 行政による配慮不足 605
40年ごろから汚濁急速 48年「あおこ」の登場 607
湖底は無酸素状態に 養殖鯉など大量窒息死 608
容易でない浄化 琵琶湖と比べ雲泥の差 609
ほぼ諏訪湖に似る 透明度ゼロ、酸欠なし 610
BODの急激上昇 48年の外浪逆浦は66PPM 611
全く無酸素状態も 「あおこ」拡散、湖水の攪拌有効 613
影響大きい水門の開閉 稲作、漁撈とも関係 614
縦横に走る水路 学校にも船着き場 616
飲料水に不安感 対策に不満の訴え70% 617
地下水汚染ないか 周辺に家畜の飼育多し 618

 八、 汚す者は果たして誰か
二次的原因が働く 適切さ欠いた施策 619
農薬中毒続発の恐れ 薬物学、毒物学の活躍の場 621
不合理是正、総量規制を 無色透明でも安心できない 622
水質汚濁の一因 常陸川水門の閉鎖 624
保全ではなく浄化を 怒涛の勢いの流域開発 625
流域に豚35万頭 排泄物は1000万人分 626
家畜排水、見る者に恐怖感 農地還元50%、無処理?28% 627
豚だけの問題ではない 忘れてならない乳牛や鶏 629
網いけす鯉の糞尿 腐敗物の除去方法を 630
加害者、被害者の稲作 化学肥料の三分の一流出 631
蓮根肥料、稲作の2・5倍 栽培方法の改善で4割減可 632
泡立ちやすい水 農薬と中性洗剤再検討を 633
心細い浄化対策 有意義な導水の方法 635
為政者は自省を 公徳心を見直すとき 636
上流域住民の教育 原因は粗大ゴミより有機物 638
「もくとり」中止も一因 非能率な清掃船 639
問題山積のヘドロ処理 ジェットエンジンで瞬間処理 641
新造船も低能率 吃水深く限界あり 642
積極的に浄化努力を 行政の指導力不足 643
末期か自浄作用 浮上するゼロ次処理 645
浄化をめざす人々 各種の活動はあれど 646
干拓、住民の理解必要 洗剤のみが原因でない「あおこ」 648

 九、 生物への汚濁の影響
44年境に魚類が減少 湖内の生物種、著しく変化 649
湖辺のヨシは副収入源 35種数える浮遊微生物 651
県民周知のアオコ 明治43年に発生を確認 652
怖いアオコの毒性 触れると皮膚炎必至 654
悪臭を放つアオコ 9月ごろ沈殿し腐敗 656
消えた白砂青松 往時の面影ない天王崎 657
思い出のタンカイ焼き 湖畔の至る所にヌマガヤ 660
さながらジャングル 酸素欠乏耐性の生物 660
魚種相が大きく変化 富栄養化で雑魚類増加 661
三又沖でも酸素欠乏 コイ犠牲、他にも影響 663
魚類に見る奇型 人体への影響恐れる 664

 一〇、どうなってる治水と利水
往時の居切堀を見よ 独自の流路、計り知れない利益 665
居切堀と勘十郎堀 未完成だが、脚光あびる 667
中川、須田両氏の功績 頻繁かつ高度だった水害 668
太平洋に通ずる川の構築 実に80余度に及ぶ水害 669
古文書にも「川浚い」 周辺住民が河川の浚渫 671
盛土で家屋守る「水塚」 先人の知恵、今も残る 672
有効貯水容量を確保 影響大きい常陸川水門の開閉 674
湖岸堤の寿命は? わずか6カ月で破壊した例も 676
湖岸堤の完成で砂洲消滅 水辺植物が一面に繁茂 679
天王崎の防波堤を評価 干拓が漁家に及ぼす影響 680
高浜入、最善の方法を 住民の団結で干拓中止 682
なくならぬ塩害 海跡湖の寿命か 683
毎秒40立方メートルの利水計画 着々と進む施設整備 684
先日の苦労忘れるな 周辺住民だけのものではない 686
節水にも限界あり 中水道の設置を急げ 687

 一一、漁業の変遷と今日
原始的漁法から発展 すでに風土記時代に漁撈 689
湖内に杭で網を定設 巻網をヒントに引網 691
人工的な魚の潜入場 無数にある「おだ」 693
うなぎ専門の「竹筒」 いま古タイヤの利用も 694
全国唯一の帆曳き網漁 姿消し11年、今は観光用 696
折本良平翁が考案 漁民を支えて70余年 697
規模最大の大徳網 人手不足、5年前に姿消す 698
屠殺漁業の悪名 乱獲の王者、トロール 699
合法的にエビ多獲 ミッションびき、乱獲も 700
魚の特性うまく利用 簡単で面白い漁具・せん 701
幹縄を引く快感 独特のボラ流し釣り 703
年数回「通りゴロ」 ハゼの大群が回遊 704
姿消す昔ながらの漁法 水質汚濁、干拓など影響 705
急速な漁船の動力化 木製サッパ船にエンジン 706
造船所は休業状態 漁民の数、減少の一途 708
水産振興の拠点 数多く船溜り、漁港 710
30%に満たない利用者 便利でない漁港も 711
家族総出で網洗い 化学繊維の普及で容易に 713
「栽培漁業」への歩み 他地域から移輸入放流も 714
最重要魚ワカサギ 大正元年に初採卵 715
移出から移入へ変化 網走湖、諏訪湖で人工採卵 717
40年から100倍に成長 網いけす養殖の発展 718
上諏訪漁協に学べ 経営、生産調整に大差 720
淡水真珠養殖の変遷 汚濁に強いイケチョウガイ 721
カラスガイで生産 課題は母貝の絶対的不足 723
有望な無給餌養殖 メリット多いハクレン 724
違反者の氏名公表を 厳しい措置求める漁民 725
漁撈は不可欠の存在 行政指導きわめて重要 727
厳しい現実に直面 技術面を担当・内水試 728
トロール是か非か 現状では遠からず自滅 729
落ち込むコイ養殖 一致協力、生産調整を急げ 731
製品に改善の余地 154人が水産加工組合に加入 733
移入ワカサギ30% 果たして霞ケ浦名産か 734
麻生に佃煮創業碑 明治34年、上羽神社境内に建立 735
小売業者も減少傾向 ほとんどが農業との兼業 737
種々の漁業組み合わせ 複合経営、霞ケ浦の特色 738
平均的経営の行方型 ひき網と刺網の二種を軸に 739
出稼ぎ、漁家の3割 収入減の回答6割も 741
ここにも後継者難 20戸に1人、若者達はどこへ 742
生産過剰のコイ養殖 魚価割れ、魚価の低迷続く 744
漁業補償の不公平 幾多の課題を提起 745
生かすも殺すも行政 万民のための真の補償 746

 一二、湖辺生活の今と昔
目立った低湿地帯 田舟や田下駄を利用 748
芥川龍之介が「水郷」と 「すいごう」か「すいきょう」か 749
交通はもっぱら船 網目状の「えんま」利用 750
農船は必需品 土取り場が「えんま」に 752
水汲み用の桟橋 低湿地域に「だしぱな」 753
等外米と大麦の混食も わら縄も「米のなる木」 755

 一三、水上運輸をしのぶ
利根川を利用して江戸へ 荷物はもっぱら高瀬船 756
江戸入りの中継地点 水上交通の要衝「関宿」 757
日本第二の大湖 風光明媚な汽船航路 759
家族で船内生活 独自の高瀬舟の漕ぎ 761
風待ちで賑わった牛堀 高瀬船にエンジン装備 762
上流で小型船へ積み替え 「高瀬」は即ち「浅瀬」 763
急用時、目的地に直航 大正まで手漕ぎの飛脚船 765
霞ケ浦にも「茶船」 ヒラタとヒラブネ 766
明治初年に洋型汽帆船 土浦港に出入り、国籍不明 768
だるま船はダンプカー 詩的情緒かもすはしけ 769
水郷汽船のみ現存 功績大きい各水運会社 771
銚子―土浦間が8時間 競争激烈だった水運業界 772
高浜、土浦、銚子の繁栄 河辺に回漕問屋が集中 773
広範囲に陸路配達 水戸、結城までカバー 774
架橋を夢みつつ… きょうも渡船が行く 776
水郷汽船、観光船だけ運航 土浦―潮来間の定期航路も廃止 778

 一四、レジャー・観光、ほか
至る所に水泳場 ヘドロと藻で利用不可 779
「水泳適」は皆無 砂州が急減、有害藻類も 780
明治40年にボート 「あおこ」に染まるヨット 782
山紫水明で客寄せ 「清遊に最適なり」 783
制定時とは事情変化 「霞ケ浦百景」に往時偲ぶ 784
何百何千…鴨の大群 いまや一夜の夢物語 786
密猟もまた後断たぬ 盛んだったモチナワ 788
ナマズ、ウナギ減少 奇型魚、年々増加の傾向 789
大がかりな砂利採り 湖岸堤破壊の原因にも 790
湖畔に点在する供養碑 しばしば切り返される遭難 791
壮大な港湾建設プラン 麻生の大輪氏が提唱、実らず 792

 一五、60年間の見聞あれこれ
「質」から「量」の問題へ 飲み水に事欠く心配 794
“大人”をもしのぐ意識 真剣な中学生達との一問一答 796
背はとても立たぬ ヘドロがひどい高浜入 798
高須の一ツ松が枯れる 片葉の葦は風の仕業 799
水泳場「不許可」の背景 あやしげな水洗、川に人糞 801
養豚始める漁師も どこかに狂いが 802
他県にみる行政指導 事業所をパトロール 804
浄化槽なしの水洗式… 新築ブーム下、各地に“糞迷人” 805
大地還元にも限度 豚30頭は人間1000人分に相当 807
汚濁物質を作らない “ゼロ次処理”こそ必要 809
霞ケ浦の深さを知ってるか 実情を知るために歩け 810
何を考える?大臣諸公 黙って死を待つ…霞ケ浦 811
そう遠くはない霞ケ浦湿原 老化へ、死へと駆け足 813
水位1メートル下がると 魚の取りどきだが 815
大規模な砂利採取 湖岸堤の安全性に不安 816
水位低下で全面露出も 500個は下らない「おだ」 818
ワカサギの産卵減少 エンマ復活で増殖を 820
漁業補償で稚魚育成 魚類によって異なる食性 821
逃げ足速い密漁船 双眼鏡、無線機まで装備 823
船まで没収しろ 手ぬるい密漁取り締まり 825
網の調達から代船提供 公然と密漁“助っ人” 826
漁民の生活を奪う 悪名高いトロール許可 828
乱獲プラス稚魚の殺傷 トロールを禁止すべき 830
予想外、網いけすの低収益 なぜ生産調整しないのか 831
闇夜の方向判断 漁夫の命を左右する 833
養殖鯉は脂肪過多 熱を加えると身がバラバラ 834
補償をめぐる人間模様 網屋、船大工は対象外 836
塩も水で大麦飯食べた 水上生活者の行方は 838
湖辺漁民のどん底生活 網・船を質入れ、越年資金 839
共同作業で能率向上 機械化で「ゆい」も消滅 841
苦しい時の神だのみ 雨乞いと対岸の雷 842
ほとんどが農閑期漁業 往時の半漁半農の生活 844
洪水と闘った開拓者たち ムグッチョにさも似たり 846
先人の苦労を知れ 深田に埋まった新妻 847
水圧掘りの明暗 年々深くなる蓮田 849
個人揚水で窮地脱す 水害なくば干ばつ被害 850
姿消して久しい肥船 銚子漁港から肥料運ぶ 852
秋に見舞う暴風雨 天気予防を当てる漁夫 854
「水郷の美」どこへ 三又沖から見た暁の筑波 855
料理も数限りなく 亡母の心の遺産を公開 856
ヒガイが全然ダメ 二枚貝、水の汚れで死滅 857
物言わぬ貴重な物証 雨ざらし高瀬船の保存を 859
自転車で高浜入を横断 かつては湖面に結氷10cmも 860
置き鈎で鳥を取る 子供たちの冬の遊び 861
農閑期の慰安の集まり 五目飯や甘い豆楽しむ 863
十二橋巡り船頭さん 「68歳、それでも昔は娘」 864
遊里として栄えた潮来 50年前の若者の歌「思案橋」 866

 一六、関係年表
利根川水系、相次ぐ洪水 867
明治初年に外輪船就航 869
大正10年にアオコ発生 872
昭和18年にレンギョ放流 874
昭和38年常陸川水門完成 876
昭和45年頃、汚れひどく水泳不適 879
昭和48年養殖ゴイ大量瀕死 880
昭和51年川口川閘門を撤去 882
 一七、水質浄化などへの提案 884

 12 坂本清さんの霞ケ浦読本 坂本 清
   昭和55年(1980)9月13日―10月24日
<アオコ発生の歴史> 大正時代に「この目で見た」 合成洗剤の使用前 記録では明治末期に初出 885
<アオコの利用法> ジェットエンジンで瞬間処理 灰にしてセメント混合 実らぬ六年前の提案 886
<ヘドロの利用法> 湖底に厚さ2・8メートルの地点も 低湿地の盛り土用 現在では適地が見当たらぬ 888
<霞ケ浦湿原> 湖沼も人間と同じ、年をとる 近年進む老化現象 生物の棲まない泥湿地 890
<一方通行になる> 水位低下で“おだ”が水面に露出 昔から通船の障害 500個以上、1個でダンプ40台分 892
<生物濃縮の心配> 「アオコに有毒性」海外では実例 大動物が死んだ 危険と隣合わせの暮らし 894
<汚濁原因の診断> ふくんで味わってみれば分かる レンコンの水圧掘り 浄化槽、年一回の掃除を是非 895
<大地還元も限度> 東京都の人口に匹敵する排せつ量 流域に35万頭の豚 土壌に無限の吸収力はない 897
<水泳の出来た時代> 昔は文字通りの白砂青松だった 「遊泳不適」が次々に アオコによる皮膚炎も聞いた 899
<無色透明ならよいか> 活性炭の吸着力にも限界 イオン交換、経費増 “ゼロ次”浄化が望ましい 900
<常陸川水門の閉鎖> 水質と漁業に大きな影響 霞ケ浦、利根川を別流に 居切堀の発想を現代に生かす 902
<帆びき舟の今昔> 無欲公尽の人だった折本翁 明治10年に実用化 歩崎観音の境内に頌徳碑 904
<つくだ煮の起源> 麻生に移住した佃煮の白井勝蔵 年間3500貫の製造量 大事なのは原料の新鮮さ 905
<昔は海だった証拠> 浮島では塩水が湧いている 深井戸から塩水 鉾田でも3分の2が塩水井戸 907
<珍しい動・植物> ドブネズミに似たヌートリア 桜川村でコジュリン 普通は高原に咲くミズバショウ 909
<霞ケ浦の呼称の由来> 常陸風土記に「霞の里」 内海だった古代 江戸時代に淡水湖化 910
<湖辺の変遷をたどる> 白砂青松、遠浅の砂洲 湖水で飯を炊く 航行には北側を利用 912
<流入河川の数は?> 流域の汚濁物を運ぶ役割 全部で五十五本 結局は飲む水として循環 914
<湖水の入れ替わり> 毎秒二ミリの湖流、出口まで約一年 河川とは異なる 流入汚濁物、容易に除けない 916
<ダムとしての心配> 下層ほど汚れている湖水 日ごとに浅くなる 浮島の堤防決壊を教訓に 917
<飲料水としての不安> 動物実験では“クロ” 有毒プランクトンも 海水の淡水化の研究を 919
<水産についての記録> 土浦が取引の中心地 明治初年に市場 牛堀には「魚鳥産業」の本社 921
<魚種の変遷と真珠> “屠殺漁業”トロール密漁 光沢不足に悩む ワカサギ、シラウオの減少 922
<産地で違う鯉の味> 早期肥育主義・網いけす 諏訪湖のシステム 生産量の急増を回避する関係 924
<江間と「だしぱな」> 産卵の好適地、漁場にも 「田圃の中の堀」 霞ケ浦独自の「向こう場」 926
<ムグッチョとずんどう> 乾田化して今は昔の物語 “ムグッチョの巣” 屋号のように「ずんどうの家」 927
<水との闘いと「中条」> 農作業、通学すべて船で 遊ぶのも命がけ 間引き多く水戸藩から注意 929
<落日と「明視漁業」> 50年見てもあきない眺め 東南岸からが絶景 水濁り、“見てとる漁法”姿消す 931
<筑波山頂の“霊光”> 日の出時、湖上から数分間 目もくらむ尖光 太陽光線がガラスに反射 933
<他湖との水質比較> 40〜50年前に似ている琵琶湖 小流入河川も清澄 琵琶湖ではアオコを船が攪拌 934

 13  霞ケ浦 魚たちの世界 レイモン・アザディ
   昭和55年(1980)11月22日―12月10日
<時代とともに変化>50年前はクロダイもとれた 「クジラ以外はなんでもいた」 淡水化でフナやコイが主役に 937
<ワカサギ>成長率すばらしい霞ケ浦産 富栄養化の進行に関係? 店で幅きかすカナダ五大湖産 938
<琵琶湖から来た魚>浄化に一役ゲンゴロウブナ アオコが好物 ワカタやハスはアユと共に? 940
<盛んなコイ養殖>先進県抜き全国一の生産量 体長1メートル超える大物も エサをよくかみ早い成長 941
<漁獲量増したエビ>富栄養化進みエサが豊富に 生存厳しい稚エビ時代 低酸素時には“木のぼり”も 943
<三種類のフナ>すべてがメスのギンブナ 他の魚がオスがわり ゲンゴロウブナは琵琶湖から移入 944
<ライギョとナマズ>寄生虫をもつライギョ 英名スネーク・ヘッド 食通に人気のナマズ 945
<天然ウナギ>水門できて水揚げ減る 稚魚、湖内に入れず 台湾南方から黒潮に乗って北上 947
<佃煮の王者ハゼ>日本一の“生息密度” 1平方メートル当たり10〜20匹 湖底の“竪穴住居”で産卵 948
<植物を食べる>最も大きく育つハクレン 体長は1メートル以上に利根川水系のみに住みつく 949
<スズキとアユ>わずかながら姿みせるアユ 4〜5月に張り網で捕獲 水門閉鎖で?消えた?消えたスズキ 950
<シジミ>姿を消すヤマトシジミ 水門閉鎖で酸素欠乏 代わって淡水産を放流 951
<イケチョウガイ>真珠の母貝として脚光 卵は魚のひれに寄生 琵琶湖から数回にわたり移植 952
<七種の巻貝>高級料理入りしたタニシ マルタニシで人形細工 難病の宿主ヒタチチリメンカワニナ 953

 14 下水道 整備の現況 新たな課題
   昭和56年(1981)9月24日−10月29日
〈立ち遅れの背景〉45年以降ピッチ上がる 普及率なお全国44位 農村県、続いた農地還元 955
〈重い市町村負担〉補助率最高というが… 処理場は出来た 汚水が来ない、遅れる管渠 958
〈管径250ミリ〉補助率6割、実は3割 “大都市向け”改善を 新顔の第二種流域、「特環」制度 960
〈汚泥ケーキ対策〉埋め立て、野積みは暫定 普及とともに問題化 日立で堆肥化施設を建設中 963
〈「厄介者」「お客さん」〉流入前に「除害施設」を 大工場では進展 微生物の浄化力を左右 966
〈「汚泥源」扱い〉窒素、リン対策立ち遅れ 水質基準には合格 BOD中心、新たな対応を 968
〈「三次処理」とは〉まず普及率の引き上げ 先進各国から立ち遅れ NP対策、基準できれば 971
〈浄化槽はライバル〉手軽さで人気 水洗トイレ化が可能 維持管理の適合率四割弱 974
〈「ミニ下水道」構想〉簡易で効率的な方法 農村地域への導入検討 「一千人の集落」を想定 977
〈処理水の再利用〉水洗トイレや洗車用水 コスト面が課題に 千葉県などですでに実行例 979
〈トイレ改造資金〉各自治体で助成策 複雑な権利関係響く 「3年以内」に設置義務化 981
〈下水道のプロ〉処理の決め手、酸素量の増減 微生物は活躍しているか 判断の目安に「沈降性」 984
〈粉石けん使用〉各地で除去率アップ裏づけ 活発に微生物の分解作用 合成洗剤の処理は苦手? 986
〈維持管理の台所〉使用料収入では賄い切れぬ 一般財源から補てん 自治省「独立採算」へ動く 989
〈「流入計画」見直し〉水質基準達成が目的 水の高度利用もにらむ 新たに窒素、リン削減 991
〈清潔できれいな町〉快適な暮らしと環境 伝染病対策で始まる 新たな課題、解決に期待 994

 15 霞ケ浦漁業育てた出島村の先人 レイモン・アザディ
   昭和57年(1982)7月18日−7月20日
シラウオ帆曳きの折本良平 33歳で漁業を考案 塾に通わず父親に学ぶ 997
常識破りの漁法、6年で完成 舟を横に進める 特許申請せず自ら普及 1000
柳沢徳太郎、ワカサギ漁で確立 八郎潟では定着せず 省エネ・無公害、米国などで見直し 1003

 16 シリーズ土浦回顧(抄)
   昭和59年(1984)2月27日−5月21日
土浦八景の詩情失せて 相次ぐ埋め立ての近・現代 1007
湿地帯を埋め立て新開地 霞ケ浦海軍航空隊開設の時代 1010
数百の雪洞で不夜城現出 桜川堤に延々5キロの桜並木 1013
長さ500メートル、壮大な大徳網 霞ケ浦今昔─ワカサギ漁 1016
関東の三大名醸地 土浦の醤油は一州に冠たり 1020

 17 これだけある「茨城の歌枕」 ─土浦短期大学の発表から
   昭和59年(1984)11月12日−11月21日
大洗の波にくだけて散る草の 1025
桜川河口に生ふる葦の間を 1029
舟と舟かる口いうて下りゆく 1032
海ちかき国のたいらを利根は行く 1036
舟寄する夕川岸の葦の上に 1039
ここにして「土」は成りしか桑畑 1045
夕枯れの鬼怒の川洲に乾きたる 1048

 18 「霞ケ浦風土記」を読んで
   平成7年(1995)10月4日−10月27日
無告の民への鎮魂の譜(持田 鋼一郎) 1053
何気ない日常のドラマの迫力(小田切 マリ) 1055
内面に向かうフロンティア精神(土井 泰彦) 1057
日本人の原型(柘植 俊一) 1061

 19 霞ケ浦発「わたしの一冊」
   平成12年(2000)1月5日−4月25日
浮島舞台に昔日の霞ケ浦(本堂清)
 徳富蘆花『漁師の娘』 1067
循環の視点で捉える生物現象(岩崎順)
 『生物海洋学』 1068
歴史から消された先人たち(箱守伸平)
 山崎謙著『古代東国のゲリラたち─霞ケ浦湖賊』 1071
霞ケ浦が育んだ「人々の真実」(市川紀行)
 佐賀純一著、O・エバンス訳『MEMORIES OF SILK AND STRAW(聞き書き・土浦の里)』 1072
「人間の欲、文明の毒」への義憤(沼澤篤)
 坂本清著『霞ケ浦慕情』 1074
渚を抱く砂浜と松林(舟木賢徳)
 加藤真著『日本の渚─失われゆく海辺の自然』 1077
応用生態工学へ27年前の原点(廣瀬利雄)
 津田松苗著『汚水生物学』 1079
生態系複合としての流域(津田 勉)
 広瀬忠樹「霞ケ浦とその周辺の自然と人間活動─恋瀬川流域の自然と土地利用」 1080
罵声に耐えゴミを拾い続ける(鈴木かつ)
 本田カヨ子著『わが青春の谷津干潟[ラムサールへの道]森田三郎・干潟を守るたたかい』 1082
自然のからくりと共生(須藤隆一)
 栗原康著『かくされた自然─ミクロの生態学─』 1084
公害発生の根本に迫る(田井愼吾)
 E・J・ミシャン著『経済成長の代価』 1085
生態濃縮、身近な恐ろしさ(根本隆夫)
 有吉佐和子著『複合汚染』 1087
大勢の人々の熱意と説得力(武田宏)
 『全記録 連続シンポジウム「よみがえれ霞ケ浦」』 1089
5聖人の5番目の席に座る人(井内美郎)
 坂本清著『目で見るふるさと霞ケ浦─その歴史と汚濁の現状』 1091
陸生ソコミジンコの探求(菊地義昭)
 J.p.Harding「Bryocamptus stouti and Gonioccyclops silverstris-two new species of copepod crustacean from forest litter in New Zealand」
科学者の目、被害者の目(増島博)
 小林純著『水の健康診断』 1094
乱された元素の循環の回復(十倉襄)
 生態学研究所編『自然は管理できるか』 1096
「生物化学」と水環境(彼谷邦光)
 山崎幹夫著『毒の話』 1098
第三世代の地球科学(須藤清次)
 竹内均・島津康男著『現代地球科学─自然のシステム工学』 1100
戦略・戦術と浄化手法(中里広幸)
 ライアン著『史上最大の作戦』/宮崎駿著『風の谷のナウシカ』 1102
心の悩みと環境問題の構造(竹林征三)
 中村元著『佛教語大辞典』『図説佛教語大辞典』 1104
共生の文化、民族誌の古典(大川邦夫)
 赤松宗旦著(校訂柳田国男)『利根川図志』 1106
“3K”農林漁業への応援歌(川又忠義)
 篠原孝著『第一次産業の復活』 1108
科学性、総合性で運動の支え(奥井登美子)
 茨城大学農学部霞ケ浦研究会編『霞ケ浦』 1109
すべてが相働いて益となる(鷲見博生)
 『新約聖書(改訳・文語体)』 1111
単独浄化槽に対する疑問(瀬尾清子)
 冨山暢著『よみがえる霞ケ浦 生成、過去、現在、将来』 1113
湖と共に生きた38人の証言(中江元子)
 佐賀純一著『霞ケ浦風土記 風、波、男と女、湖の記憶』 1115
自然との闘い、そして共存(竹倉新吉)
 田村喜子著『物語分水路 信濃川に挑んだ人々』 1117
霞ケ浦を五感全てで感じ取る(鈴木明夫)
 霞ケ浦横断遠泳十周年記念誌『楽泳』 1119
流れを失った“かわ”(田谷利光)
 土の会編『湖は流れる─霞ケ浦の水と土と人』 1121
霞ケ浦のつぶやきを代弁(野原幸之助)
 坂本清著『目で見るふるさと霞ケ浦─その歴史と汚濁の現状』 1123
霞ケ浦・利根川は「かっぱ天国」(岡見晨明)
 『日本のかっぱ─水と神のフォークロア』 1125
生物膜上での攻防(中山勝夫)
 福岡文雄『イオン交換と溶液吸着の速度に関する研究』 1129
「泳げる霞ケ浦」のきっかけに(堀越靖子)
 坂本清著『目でみるふるさと霞ケ浦─その歴史と汚濁の現状』 1131
東遷のねらいは舟運開発(岩崎宏之)
 大熊孝著『利根川治水の変遷と洪水』 1133
「高水工法」批判と変更と(木村竜夫)
 富山和子著『水と緑と土』 1134
自然保護の科学的根拠(河合崇欣)
 エブリン・フォックス・ケラー著『動く遺伝子─トウモロコシとノーベル賞』 1136
聴衆の前での対話の術(原田泰)
 遥洋子著『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』 1138
二十一世紀への遺書(川津皓二)
 土の会編『湖は流れる─霞ケ浦の水と緑と土と人』 1140
土地に即して学んだ記録(及川ひろみ)
 宍塚の自然と歴史の会歴史部会『聞き書き 里山の暮らし─土浦市宍塚』 1142
街づくりの一環として参加(堀越昭)
 『よみがえれ霞ケ浦 住民ハンドブック1982』 1143
米をつくる大地との格闘(福田勝夫)
 『今井正「全仕事」スクリーンのある人生』 1145
市民活動の可能性(山根幸美)
 鷲谷いづみ・飯島博編『よみがえれアサザ咲く水辺〜霞ケ浦からの挑戦』 1147
課題の検証、実践評価の指針(柏村忠志)
 『地球サミット資料集(NGO条約、リオ宣言、アジェンダ21他)』 1149
あとがき 1153


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